蘇り

 目を覚ましたとき、ちょうどバスは停車していて、バス前方の降車ドアが開いていた。僕は交通系ICカードをタッチしてバスを降りた。


「……あれ?」


 僕が降りた標識とベンチだけのバス停は、僕の家から歩いて十分の最寄り停留所だった。眠りすぎて、バスが折り返してしまったんだろうか。


 仕方がないので、僕は車道を横断して向かいのバス停のベンチに座った。もう一回バスに乗るしかない。


 待っている間、僕は空を見上げた。眠る前は分厚い雲に覆われていたのに、いつの間にやら澄み渡った秋晴れに変わっている。吹き抜ける風はひんやりとしていて気持ちいい。


 手元のスマホで時間を見て、バス停の時刻表を確認した。次のバスが来るまでには、あと十分ぐらいある。


 そのときだった。


「おっ、アキ」


 時刻表付き標識の向こう側から、誰かが声をかけてきた。


 ……いや、「誰か」じゃない。僕は声の主を知っている。僕を「アキ」と呼ぶ、声変わり前の声……


「優希……」


 いるはずのない友、比良坂優希が、標識を挟んだ向こうに立っていた。くるんとした長いまつ毛に整った目鼻立ちは、まさしく優希本人だ。見間違うはずはない。


「どうしたアキ? お化けでも見るような目をして」

「いや、だって、その」


 言葉が詰まってしまう。「優希は居眠りトラックにはねられて死んだはずでは」なんて、本人の前で言えるもんじゃない。


 怖いとは思わなかった。よしんば幽霊だったとしても、それは優希の幽霊だ。彼が悪いことをするはずはない。もし悪意をもって僕を呪い殺そうとしているなら……それでもいいと思う。どうせ僕は自分の命を捨てようとして、バスに乗っていたんだから。


「あっ、そうだ。せっかくだからさ、あそこの水族館行こうよ」

「水族館?」

「ホラ、このバス一本で行けるとこあるじゃん。前行ったとこだよ。三連休も最終日だしさぁ」

「ああ、あそこか」


 前行ったところ……確か、まだ小学四年生の頃だったか。二人で水族館に行ったことがある。チュロスを食べながらイルカのショーを見たり、大きなサメの泳ぐ水槽の前で飼育員さんが解説をしていて「このサメはサメの中で三番目に多く人を襲っています」みたいなことを言っていて恐怖を覚えた記憶がある。


「……うん」


 唐突な提案だったが、断る気にはなれなかった。どんな形であれ、優希と再び出会えた。こんなに嬉しいことはない。


「よし、それじゃあ決まりだな」


 優希は白い歯を見せてニッと笑った。彼のやや長めの黒髪を、涼しい風がさらりと吹いた。


 それから、僕は優希と一緒にバスに乗った。車内後方の二人掛けシートの窓際に僕が座って、通路側には優希が腰かけた。


「あー……なんか眠い……水族館前に着いたら起こしてくれ」


 バスが動き出してすぐ、優希はそう言って眠ってしまった。そういえば、優希は急に眠ってしまうことがあった。勉強できるくせに午後の授業で居眠りかまして、先生にしばしば怒られていたっけ。


 窓の外には、すがすがしい秋晴れが広がっている。あのひと雨降らしそうな分厚い雲は、どこへ消えてしまったんだろうか。

 もしかしたら、僕は夢の世界にいるのかもしれない。自死を決めた僕が、幸せな記憶にすがろうと見ている美しい夢……そうだとすれば、ずっと覚めないでいてほしい。


 やがて、バスが水族館前のバス停に停まった。優希を揺すって起こそうとしたけれど、その必要はなかった。優希はすでに目を覚ましていて、席を立った。


 水族館はバス停から歩いてすぐだった。ここまで来て、僕はスマホと交通系ICカード以外何も持ってきていないことに気づいた。死ぬつもりだったんだから仕方ない。

 ここの券売機、交通系ICで決済できればいいけど……なんて思っていると、優希がスタスタと券売機まで歩いていって、二人分のチケットを買っていた。


 ……ここで、僕は首をかしげた。優希が中学生料金のチケットを二人分買っていたのだ。これはおかしい。僕は中学生だけど、優希は小学生のうちに死んだのだからありえない……


 ――いや、ありえないというなら、優希がここにいること自体ありえないじゃないか。


 僕はチラとスマホを見た。バスで寝る前と日付は変わっていない。


「財布、持ってないんだろ。ホラ」


 戻ってきた優希が、入館チケットを手渡してきた。

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