両親

 水族館にかれこれ二時間ほど滞在した後、僕たちは帰りのバスに乗り込んだ。疲れからか、優希はすぐに寝息を立てた。


 僕はといえば、ぼんやり窓の外を眺めながら考えごとをしていた。傾きかけた日の光が海に反射し、きらきらと光っている。

 優希は生きていて、しかも中学生になっている。日付も変わっていないということは、今僕がいるのは過去の世界なんかじゃない。そもそも夢にしては実感がありすぎる。これは現実で、夢なんかじゃないんだ。


 優希と僕のお父さんは、数か月前……小学校の卒業式があったその日に命を落とした。


 卒業式を終えた後、僕と優希は家族で食事に行くことになった。その道中、居眠り運転のトラックが突っ込んできて……僕は無事だった。僕のお母さんと優希の両親は軽い傷で済んだ。でも僕のお父さんと優希は助からなかった。

 今でもたまに、あの光景が夢に現れる。スローモーションで突っ込んでくるトラックと、耳をつんざく金切声。そして次の瞬間、けたたましい衝突の音と、飛び散る赤い血肉が、僕の耳と目に飛び込んだ。


『次は、鱶見坂ふかみざか。次は、鱶見坂です』


 車内アナウンスが、次のバス停を告げている。僕は慌てて降車ボタンを押した、危ない。危うく乗りすごすところだった。それから僕は優希の肩を揺すった。


「ん、ああ……もう次か……」


 目覚めた優希は目をこすって、「ふああ」と間の抜けたあくびを一つした。


 バスを降りると、もう空は暗かった。僕たち二人は、街灯に照らされた路地を歩いている。


 これから、僕は家に帰らなければならない。それはとても気が重いことだった。


 お父さんが死んじゃってから、お母さんはおかしくなった。いつもソワソワしていて、「悪いやつらに盗聴されてる」「頭の中をのぞき込まれている」って言うようになった。最近はお仕事も辞めて、家事も手につかなくなったから、家のことはほとんど僕がやっている。


 もうすぐ家だ……というところで、僕はまたしてもを見た。優希の家が、そのまま僕の家の向かいに建っていたのだ。もうあそこは取り壊されて、跡地は駐車場になったはずだった。


 ……でも優希がいるなら、この家があるのも当然だ。


 互いに自分の家の門前に立って「じゃあな」と言って手を振り合った後、僕は鍵を上着のポケットから取り出した。「はぁ」という腑抜けたため息が、自然と口から漏れ出た。

 

 鍵を開けて、家に入った。リビングのドアを開けた僕は、ハッと息を吞んだ。


「おっ、あきら。おかえり」


 僕を出迎えたのは、優希と一緒に亡くなったはずのお父さんだった。そのとき、僕は今日で二度目の涙で両目を濡らした。


 僕はお父さんに駆け寄り、抱きしめた。お父さんの肌は温かかった。お父さんは僕の心情が穏やかでないことを察したのか、息子の頭を優しく撫でてきた。


「母さん、お前の好きなチーズハンバーグ作ってるぞ」


 お父さんの声色は、あの日のように優しかった。


 その後、僕は夕飯の食卓についた。テーブルの真ん中に置かれた大皿には、チーズの乗ったハンバーグは六個乗っている。


「ほら、アキの好きなハンバーグ」


 お母さんはにこやかな笑顔で僕にハンバーグを勧めた。その様子からは、少しもおかしなところを感じられない。お父さんが死ななかったことで、お母さんもヘンにならなかった、ということだろうか。


 お父さんがいてくれて、お母さんも前の優しいお母さんのまま……こんなに幸せないことはない。もう忘れかけていたハンバーグを口に入れると、僕の口の中いっぱいに幸せの味が広がった。

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