死神と魔女

紫月旅或

死神と魔女

 横たわる老婆を見下ろし、わたくしは、ふと思う。——ああ、まさしくこれは、どく林檎りんごであると。それもしなびた不味まずいもの。

 老婆のまぶたが開き、二つのまなこがこちらを向いた。


「お前もこのわしちぎりを望むか」


 その容姿とたがわず、実に聞き取りにくい声。

 私は微動にもせず老婆の言う事を一蹴いっしゅうした。


いな。私はお前との契りなどは望まない」


 つまらない、というように老婆は視線を外す。天井を見上げ、彼女はどう思っているのだろうか。憤慨ふんがいか、悲壮か、嫉妬か、失望か。私にはわからない。


「私はお前を連れてゆく」


何処どこへ」


 さとったのか、老婆はそのまま目を閉じた。

 どうやら眠るつもりはないらしい。言葉が続いた。


「儂を天の国にでも、連れていってくれるのかい」


「否。お前がゆくのは地の底だ。悪霊あくりょうどもがお前を呼んでいるではないか」


 すると、老婆はケタケタと笑い始めた。それはもう、老婆まじょらしく。


「お前、お前は死神だ。なるほどそうか。儂はもうじき死ぬか」


 寝台から起き上がると、ふらふらとした足取りで戸棚とだなへとゆく。


「死神よ。儂はどれほどの人間を殺した」


四七しじゅうなな


「おお、おお。そうかそうか」


 老婆の声は嬉しそうに弾む。


何故なぜ喜ぶのか」


「麦をらすのであれば銅七枚。とこせさせるのであれば銀五枚。呪殺じゅさつであれば金十枚。殺した分だけ美味うまい酒がたんまりと飲める」


 老婆は一つの林檎と酒をひとびん持ち、寝台に座る。

 何の前触れもなければ、突然に老婆は林檎にらいつき、おおよそ半分を咀嚼(そしゃく)する。そしてさかびんから直に口へと酒を注いで流し込む。なんと豪胆ごうたんなことか。ただよってくるこの香りはどうやらブランデーのようだ。

 一瞬にしてそれらを腹の中へと収めた老婆は、再び寝台に横たわる。私が見下ろすと、老婆は語る。


「後悔などはしておらぬ。刹那の享楽きょうらくさえ儂には永遠であったのだ、否、これより永遠となるのだ。酒におぼれそして死ぬ。これほど幸せなことは他にはあるまい」


 恍惚こうこつとした、嬉々ききとした表情で、老婆は目を閉じる。そして二度と瞼を開けることはない。


「自らを呪殺するとは、何とも愚かしく人間らしい」


 動かない老婆に、私は言った。

 甘い酒の匂いに耐えかねて、私は開け放たれた窓から飛び出した。背後に認める気配は、これより私が導くべきその人。

 しかし、その人は、あの口うるさい婆ではなく、何事も語らぬ人間には感知できぬ空虚くうきょ、すなわち人間の本質の塊。

 私はそれを連れ、これより地の底へと向かうのであった。

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死神と魔女 紫月旅或 @Shiduki-Roa

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