手のひら泥棒
魚田羊/海鮮焼きそば
きみと手をつなげない事件
白雪姫――童話じゃなくて、それを原作にしたアニメ映画のほうを、さらに魔改造した劇。
『サイボーグ白雪姫』
それがわたしたち、2年3組の出し物だった。
上手の舞台袖。6番目の小人・スニージーの衣装を着て、わたしの手はぷるぷるしている。劇中の出番は終わったし、そもそも中学の文化祭の出し物なんてそんな気負わなくてもいいんだろうけど。
舞台はもうラストシーン。半分機械の身体に改造された白雪姫が、王子様の投げキッスで眠りから目覚めたあと。白雪姫は機械じかけの怪力で王子様を担いで、王国に旅立つ。幸せそうに話すふたりをとらえながら、照明がゆっくりと落ちていく。
舞台袖の
ぼやーっと、のべーっと。感動しているのかどうかもわかんない曖昧な目つきで舞台を見るこの子は、
7番目の小人・ドーピー。
ほかの6人の小人よりずうっと小さくて幼いという設定も、『おとぼけ』という意味の名前も、無口なところも。ぜんぶがジグソーパズルみたく実にハマっている。女の子のわたしよりも低い視線で、実はなにを考えているんだろうか。……なんにも考えてないのかも。
舞台が暗転する。鳴り響いていた拍手も、すぐに溶けてなくなった。
もうすぐカーテンコールだ。
「高木、立ち位置間違えるなよ~? 昨日のリハみたいなことになったら、劇が締まらないんだからな!」
「そんなプレッシャーかけないの。ねえ実くん。もっかい言うけど、目印にシール貼ってあるからね。それだけ見て歩いたら、万事おっけーだから!」
「うん、
白雪姫役の桐咲みらいさんを中心に、クラスメイトが念を押してくれてる。ささやき声で、軽く笑って。
ねえ実。きみ比ですっごく真剣な顔してるのはわかるんだけど。みんな心配してくれてるんだからさ、ちゃんと目を見て返事するんだよ?
ちょっと悩んで、自分も実に声をかける。
「だいじょうぶだよ。わたしの隣に立てばいいの」
「……わかってる」
白雪姫を真ん中に挟んで、小人たちは番号順に横並び。そうしてわたしたちは、手をつないでお客さんにお辞儀する。
どきどきを心臓の奥に押し込んで、わたしはただ笑いかけるだけ。
「相変わらずイイ感じじゃーん、おふたりさん」
「イイ感じってなに? そんなこと、ない」
クラスの男子が言う。……うるさいな。そんな関係だったら、普段からもっとべたべたできてるよ。
「じゃあどんな関係よ?」
けど、わたしの反撃じゃ、その男子は止まらなくて。そしたら、実が続いた。
「……家族?」
実の目はまっすぐで。そのひと言に、きっと本心が詰まってて。
――わたしの舌の奥から、苦い味がした。
そうしている間に明転。反対側――下手から、まずは王子。次に上手から、魔法の鏡を持った女王と、女王の手下が出ていく。あっ、客席の笑い声がすごい。女王の悔しそうな顔芸がウケてるな? やたら上手だもんね。
そのあとに上手から、たっぷりのフリルがついたロングスカート姿の白雪姫が出ていく。彼女が舞台の真ん中に立ったら、わたしたち、7人の小人の出番だ。緊張する。前も見れない。それでも、歩き出す。
4番目までが上手から、残りが下手から。それぞれ1番目と、
昨日のリハーサル通りに進んでいく――はずだった。
自分の立ち位置に収まった。でも、なにかちがう。
目だけで横を見て、気づいた。
――実がいない。
わたしの左隣が空っぽになっていること。えっ、なんで。それしか思えない。けど。
周りをきょろきょろ見たら――いた。
どうしてかわかんないけど。いつものぼんやりした顔で、
わたしがつなぐはずの小さな手のひらは、白雪姫の――白雪姫役のものになった。
カーテンコールの間じゅう。お辞儀をするときだって。
誰もいない左隣だけが、わたしの気持ちを引っ張っていた。空っぽの左手が冷たかった。
☆
「ねえ実、どうしたの。なにがあったの」
カーテンコールが終わってすぐ。わたしは、実を捕まえた。
舞台袖ではすぐ、次の演目の準備が始まるだろうけど。わたしたちは撤収作業をしなきゃならないけど。そんな場合じゃなかった。
同級生の顔だけして。手をつなげなかった女の子の顔はしないで、優しく訊くつもりだった。
「そ、そうだけど。立ち位置間違えないようにって、桐咲さんにも言われたから、ちゃんと床のシール見て歩いてたんだけど。気づいたら、まなちゃんじゃなくて……」
「桐咲さんの隣に立ってたの?」
「……うん」
白雪姫役、桐咲さん。小学校のときからずっと学年の中心にいる人。
その名前を出したら、
「僕もわからないよ。なんで、こうなったんだろう」
実の大きくてうるうるした目が、少しだけ揺れて。本当にわかってないんだろうな。わざとじゃないんだろうな。
それだけが、わかった。
「怒ってないんだよ。けど――」
「けど?」
言えない。
「ううん、なんでもない」
「ふたりとも~! ごめんだけど、帽子と靴だけ脱いで渡してくれる~? 服はあとでいいから!」
主役なのに衣装担当にまで立候補したあの人の、明るくてよく通る声に割り込まれる。
「ほら、桐咲さんも言ってるよ? 早く撤収しよ」
それだけ言って、靴と帽子を渡そうとしたら。
「わっ!」
「大丈夫ですか!?」
近づいてきた桐咲さんが、いきなり前にこけちゃった。平気かな。顔打ったりしてませんか……?
「う、ううん! 大丈夫! うっかり床につまずいちゃっただけだよ。あたしだってね、みんなで作り上げてきた劇の主役やるの、緊張してたんだから。無事に終わったらちょっとは気も緩むよ。ね?」
ぶんぶん首を振りながら、桐咲さんはぴょいっと立ち上がった。脱げかけてた黄色いフラットヒール――白雪姫の靴を履き直して、にこっとする彼女。ほんとに大丈夫、ってこと?
いつも自然体で明るい人がそこまで緊張するくらい、桐咲さんは真剣に主役を演じてたんだ。すごいなって、素直に思った。
「ならよかったです」
「心配してくれてありがと。じゃあもう少しがんばろっ、撤収までが出し物です!」
軽やかに去っていく背中を見送って。『終わった』と『よかった』の空気でいっぱいなステージを、力いっぱい踏みしめて歩く。
納得できなかった。だっておかしなことが起きてるもん。ステージの上になにか手がかりがないかなって、探偵さんみたいなこと考えても、いいよね?
撤収作業に加わりながら、周りを観察していたら。
「……あれ?」
カーテンコールのときに実が立ち位置を間違えないようにって、特別に貼られた紫色のシール。ドーピーの帽子と同じ色。それの位置が違っていた。
本番の途中で見たときには、舞台の上手側にあったのに。今シールが貼られているのは、舞台の真ん中――ちょうど、実が間違えて立ってた場所。
――と、いうことは?
誰かが本番中にシールの位置を変えて、カーテンコールで実を間違った場所に誘導させた……?
だとしたら、誰が。なんのために。どうやって。
なにもわからないけど、考えるしかない。
だって、わたしが実と手をつなぐはずだったんだよ? それを奪っていった人、許せるわけがないんだから。
☆
席に戻って、吹奏楽部の演奏を聞きながら。違うことだけ考える。わたしはわるい子。
実を予定と違う場所に立たせるの、なんの意味があるんだろう。いや、わたしは確実に損してるけど……えっ?
もしかして、これ?
わたしと実が手をつなげないように。それか、その人が実と手をつなぎたくて。
だとしたら――犯人かもしれないのは、ふたりだけ。あのカーテンコールで、実と手をつないだふたり。
下 ①②③④白⑤⑥⑦ 上
手 その他 その他 手
客席から見てこういう配置になるはずが、
下 ①②③④白⑦⑤⑥ 上
手 その他 その他 手
こうなったわけだから。
7番目の小人、実と手をつないだのは。
5番目の小人役、ぱっつん前髪の
どちらかが、実の隣を奪ったの?
『なぜ』はたぶんわかった。この『なぜ』がもし当たってたら、『誰が』もふたりに絞れる。
でも――『どうやって』はまだわかんない。
目印のシールを本番中に床から拾い上げて、実を立たせたい場所へ正確に貼る。どうやって?
舞台袖にも、客席にも、たくさんの人がいる。みんなが見てる。暗転しても、客席の前のほうからは多分見えると思う。舞台袖からはもちろん、はっきりと。
シールを床に貼ろうとしてしゃがんだら、ぜったい怪しまれるよ。
☆
文化祭の休憩時間。
『どうやって』がわからないまま、わたしは実とおしゃべりする。
「シールの場所が違ってた……?」
「うん。わたしだけじゃなくて、熊谷さんとか桐咲さんとかも気づいてたよ。でね、いっぱい考えてるんだけど、本番中にどうやってシールの場所変えたかわかんなくて。みんなに訊いてみても、そんな怪しい行動してるの見た人はいなかったみたいだし。実も探偵さんになる?」
「僕は……考えてもどうせわかんないし、いいかな」
「いいかな、って……」
わたしはよくないんだけど。
自分に関係あることでもたまにぼんやり流しちゃったりするのが、実のわるい癖。
「とにかく、ちょっとだけ推理に協力してくれる?」
「いいよ、別に」
「じゃあ訊くね。床からシールはがしたり貼ったりするのって、しゃがまないとできないでしょ。手を使わなきゃいけないんだから。でも本番中にいきなりしゃがんだりしたら目立つよね。実ならこんなとき、どうする?」
「手が使えないって……じゃ、足?」
即答だった。ぜったいなにも考えてないよね?
「反射で答えないで?」
「いや、思いついたから……」
「仕方ないなあ、
……足?
「あっ、それかも!」
「思いついたんだ」
「うん、もしかしたら。ありがとね、実」
「……うん。どういたしまして」
ずきん、となった。だって、本当にたまにしか見せてくれない顔。実の素でさらさらした髪の毛が近づいてきて、わっと手を引っこめるわたし。
☆
思いついた。実のおかげで思いついてしまった。
……でも。訊きたくないなあ、問い詰めたくないなあ、と思うわたしがいる。
だけど、こればっかりは止まりたくないから。
「どうしたの、根津さん。聞きたいことがあるって」
文化祭が終わって、放課後。
近くのファミレスで打ち上げしようって盛り上がってるクラスメイトたちに、『あとから行きます』と言って。
文化祭のにぎやかさを数時間前に置いてった、体育館の裏。ひっそりとした場所に。わたしは、人を呼び出していた。
「ぼやーっと言うのもかえってよくないと思うから、はっきり訊きます――桐咲さん」
くるんと巻いてある毛先まできれいに整った、つやつやのセミロング。すらっとしたスタイル。わたしよりだいぶ高い目線。ぱっちりまつ毛。
真っ白な歯が見れる、きらきらの人懐っこい笑顔。
勉強も運動もよくできて、友達がたくさんいて。みんなに優しい、理想の女の子。
クラスの隅のほうでひっそり生きてるわたしとは違って、真ん中で太陽みたく輝いてるこの人に。今からわたしは、ひどいことを訊く。
口の中がすっぱい。それと苦い。ゆずを噛んだみたいに罪悪感がわたしを責め立てて、こんなことしていいのかってひたすらひたすらに殴る。人気者に歯向かうの、わたしだってこわいよ。
でも。
「目印のシールの位置をずらして、みの――高木くんを自分の隣に立たせたのは。わたしからあの子の隣を奪ったのは、あなたですか」
「……いきなりどうしたの。そこまではっきり訊くってことは、なにか証拠があるのかな?」
桐咲さんは穏やかな笑顔を崩さずに、さらりとわたしに問い返す。
「これですって見せられる証拠はないですけど。根拠はあります」
「うん」
続けて、と言うみたいに、桐咲さんは少しだけうなずいた。
「犯人がどうしてこんなことをしたのか考えたとき、実の隣に立ちたかったからじゃないかなって思ったんです。隣に立って、お辞儀するときにあの子と手をつなぎたかったんじゃ、って」
「なんでそう思ったの?」
「わたし自身、そうしたかったからです」
できた脚本をクラスみんなで読んで、役者決めに入ったとき。
最初に決まったのが白雪姫役の桐咲さんで、その次がドーピー役の実だった。どっちもこの人しかいないって。きっと本人の気持ちより、みんなの後押しが大きかったんだと思う。桐咲さんも、実をドーピーに推してたし。 ……あれ? そうしたら実と手をつなげなくなるのに?
急にわかんなくなったけど、とりあえず置いといて。脚本の段階で、開演からカーテンコールまでの大体の流れとか舞台上の配置まで練り込んであった。カーテンコールのとき、小人と白雪姫が横一列に並ぶこと。小人は下手から出てきて、番号通りに並ぶこと。
カーテンコールでは隣どうし手をつないでお辞儀することも。
だから、わたしはスニージーになった。
あの子と手をつなぎたかったって、ほかの人に言うこと。今だけは恥ずかしがらずにできる。
「うん、うん」
桐咲さんはそれしか言わない。わたしの話が終わるまでは、それでいいと思ってるんだ。
「実の隣に立つために、シールを別の場所に貼り直したんだとして。本番中に怪しまれずにやるの、普通は無理ですよね。シールは床に貼ってあるんだから、はがすときも貼り直すときもしゃがまないといけない。暗転中にやったとしても目立ちます」
「うん」
「でもひとりだけ、怪しまれずにできる人がいるんです。劇の中で、床に倒れるシーンがある、たったひとつの役――白雪姫になら」
桐咲さんは、うん、とすら言わなかった。
「サイボーグ白雪姫は、普通の白雪姫とは違って強いので、女王は原作以上にあの手この手で暗殺しようとします。だからサイボーグ白雪姫は何回か倒れましたよね。でも、そのたびにすぐ立ち上がる」
「そういう役だね、あたしのは」
「何度かある倒れるシーンのどこか1回で、シールが元々貼られていた場所のそばに倒れた。たぶん、3回目かなと思ってます」
劇の最後のほう、ロケットブースターで逃げる白雪姫を女王が気合で捕まえて、緊急停止ボタンを押すシーン。
「白雪姫の衣装にはフリルがたくさんついていますよね。そのシーンの間は、はがしたシールをフリルの間にでも隠したのかな、なんて。そのシーンが終わって舞台袖にハケたら、靴の裏にシールを貼り付けます」
「靴の裏……?」
「はい。犯人は前もって、靴の裏に両面テープを貼っておいたんだと思います。歩く様子で怪しまれないように、邪魔にならなそうなつま先に。そうしたら、はがしたシールを、剥がれないぎりぎりくらいで両面テープに貼る。桐咲さんなら衣装担当でもあるので、誰にも気づかれずに両面テープの細工ができます。靴に貼ったテープを最後に自分で回収するのも、もちろん自分でできる」
続けて、のうなずき。
「あとは、カーテンコールで入場しながら、実を立たせたい位置でつま先を押しつけるだけです。そんなに難しくはないと思います。小人と白雪姫が横一列に並ぶおかげで、縦の位置は気にしなくていいので。劇が終わったら、衣装の回収ついでにシールも回収しようとしていたんだと思いますけど――それは単純に間に合わなかったんじゃないでしょうか。『どうやって』は以上です」
「すごーい、愛美ちゃん探偵みたい!」
推理を話した。きらきらの笑顔で返された。
だけど、その笑顔はすうっと消えて。
「でもそれだけじゃ、わたしがやったってことにはならないよね。倒れた白雪姫に小人が駆け寄るシーンだってあるよ? それに、実くんがシールに釣られるとは限らなかったでしょ?」
するどい。きっとずっと、わたしよりかしこい。
でも、わたしは怯まない。こんなので引き下がったりしない。
「先に、違う場所に貼ってあるシールに釣られるかどうかですけど。前の日にも失敗して、今日もみんなに『間違えないでね。シールだけちゃんと見てればいいから』って言われたわけです。桐咲さんも言ってましたよね」
「……うん」
「たしかに実はふだんぼーっとしてます。でも、そこまで言われたら。みんなに迷惑をかけたくないと思ったら。実はぜったいにそれを守ろうとするはずです。知ってるんですよ、幼馴染なので」
幼馴染なので。
桐咲さんの大きなくりくり目に、一瞬、火花が走った。
続ける。
「あとふたつ、桐咲さんがやったって言える理由があります」
「……うん」
「ひとつは、劇が終わったあとのことなんですけど。桐咲さん、わたしと実から帽子とかを回収しようとして近づいたとき、急に前へ転びましたよね? なんにもないところで」
「…………うん」
「あれは、つま先に両面テープ張ったのを忘れて、靴底を床にべったりつけて歩いちゃったからじゃないですか? つま先まで、べったりと」
桐咲さんは黙ったまま。でも、おでこに汗が浮くのが見えた。
続ける。
「もうひとつ証拠があります。それはですね――本番のカーテンコールで入場したとき、シールが貼り直された場所を通ったのは、実以外にはひとりだけ。
わたしは、ノートにいくつか図を描いてきた。広げて見せる。
下その他 (印) その他上
手 ↘ ↙ 手
下 (印) 上
手 その他 その他 手
最初に、小人と白雪姫以外が入る。この人たちは白雪姫と小人より前に立つから、印がつく予定の場所は通らない。
下 (印) ←白 上
手 その他 その他 手
下 白印 上
手 その他 その他 手
目的の場所――本当は白雪姫自身が立つはずだった場所に目印をつけ直し、通りすぎながら、白雪姫が入場する。
下④③②①→ 白印 ←⑦⑥⑤上
手 その他 その他 手
下 ①②③④白⑦⑤⑥ 上
手 その他 その他 手
最後に小人たちが入場するとき、
「今の説明で、大丈夫ですか」
「うん。とってもわかりやすかったよ」
桐咲さんの脚に、少しだけ力が入る。見逃さない。
この人は、
「とーっても、わかられてた」
「それって、」
「うん。ぜんぶ大正解。はなまるあげるね」
自分を犯人だって認めたあとで、この人はまだ、笑っている。
「なんで、こんなことしたんですか」
「愛美ちゃんが言った通りだよ。あたしは実くんのことが好きで、あの子の隣に立ちたかった。愛美ちゃんじゃなくて、あたしと手をつないでほしかった」
桐咲さんの大きな目に、まっすぐ見つめられた。
そっか。彼女は、わたしが実のことを好きだと察してて、こんなことを。ひどい。ひどいよ。……なのに。
――目つきが、真剣なときの実に似てる。そう思ってしまった。
「実くん、小学校のときから目立ってたでしょ。それで前から気になってはいたんだ」
「まあ、はい」
あまりよくない目立ち方だったけど。
パニックを起こして授業中に教室出ていくこともあったし。あの子はずっと、周りからしたら『変な子』で、『いじめていいやつ』だった。実が傷ついてるとこも、悩んでるとこも、全部見てきたわたしだけど。どうにかしようとしたけど。あのときは、なんにもできなかった。
「でも、中学入ったくらいからすっごくがんばってるよね。挙手することも増えたし、前よりはっきりしゃべるようになった。パニック起こすのも減ったよね。あとあいさつしたら、前はびくっとされてたのが、今はちゃんと返事してくれるようになったし。なにより――よく笑うようになった。あの子のほわんとした笑顔、見るだけであったかい気持ちになれるから大好きなの」
あの子のいいところをたくさん並べる桐咲さんは、ほっぺをほんのり赤くして、ちょっとうつむき加減。それから幸せそうにはにかんだ。
恋する乙女の顔って、こういうことなんだろうな。
――違う。そんな気持ち、今はどうでもよくて。桐咲さんに訊きたいことがあるんだ。
「よくわかりました。あの子のいいところを、桐咲さんはいくつも知ってくれているってこと。真剣に好きでいるってことも。でも、だとしたら」
「だとしたら?」
「……なんでっ! なんでこんな回りくどいことしたんですかっ。
わたしが幼稚園と小学校の8年間かけて、やっと『家族みたいな幼馴染』になれたのを。桐咲さんなら簡単に追い越せただろうなって、思えてしまうんだ。
だけど――
「無理だよ」
桐咲さんは、ゆっくりと首を横に振った。
「だってあたしは、『白雪姫』になるしかなかったんだから。あたしは、小さい頃からずっと人の輪の真ん中にいることができてたし、自分でもそうありたいなと思って頑張ってきた。だから、役者決めのとき、みんながあたしを白雪姫役に推した。自分だってちゃんと望んでなったんだよ、そのときは」
「そのときは……?」
「そのあとすぐ、実くんが7番目の小人役に――ならされたよね。実質。いや、わたしも推したけど」
「……そうですね。でもそれは、人前に立つのは苦手だけど克服はしたい、って思ってる実のことを、みんなが気遣ってくれたからで」
無口な性格で、ほとんどセリフのないドーピーなら。いちばん端の小人なら。人前には立ちつつ、そんなにプレッシャーがかからず済む。いい配役だなってわたしも思った。
でも、と。桐咲さんは続ける。
「そこなんだ。実くんにすっごく失礼な言い方をするけど――あの子にはいろいろと、配慮がいる。ちがう?」
「……そう、です」
一度にたくさんのことを伝えるとパニックになってしまうから、なにかをお願いするときはひとつずつ。
予定が突然変わるとうまく対応しづらいから、急な予定の変更があるときは「どうして予定が変わるのか」と「どう変わったのか、これからなにをするのか」をちゃんと伝えてあげる。
表情とか声の調子に敏感だから、どうしても必要なとき以外はできるだけ温かく接するように。
8年かけて少しずつわかってきた、実への接し方。この子のために必要なこと。
実の周りの人たちがちょっとずつ積み上げたものを、先生やクラスのみんなに伝えて。みんなも優しいから気を遣ってくれて。そのおかげで今、
――逆に言うと、今はまだ、そこまでしてもらえなきゃ入れない。
「実くんと仲良くしたくて、あの子にいっぱい構うとするでしょ。そうしたらたぶん、みんなは『桐咲さんはクラスの中心で学級委員だから、実くんが孤立しないように面倒を見てあげてるんだ』って思うよね」
「……否定はできないです」
「でしょ? まあ、みんなに何言われたって関係ないんだけど。問題なのはね、実くん自身にも『面倒を見られてる、気を遣われてる』と思われるだろうなってこと」
「そうですね。わたしもさっき言いましたけど、
ちゃんと考えてるんですよ、あの子は。目を見て言う。
桐咲さんはもうわかってるんだろうけど、それでもちゃんと伝えなきゃ。
「やっぱりそうなんだ。だからね、いくら『これは気遣いでも介護でもなくて、ただあたしが実くんと仲良くしたいだけ』と言ってもね、きっと誰にも伝わらない。実くん本人にも。だから一緒にいられない」
たしかにそうかも、となることしかできない。立場ってやっぱりあるからしょうがないのかなとは思うよ。思う、けど。
「あたしと実くんが対等だって誰も思ってくれないし、だから実くんは王子役にはなれない」
「
「あたしはそう思わないけど、他のみんなには心のどこかでそう思われる気がする。それに、たぶん実くん自身が恐縮するんじゃないかな。あたしが勝手に王子役に指名するのはいろいろ違うしね。あと強引すぎるよ」
「だったら、本番中に細工してまで実と無理やり手をつないだのは、強引じゃないって言うんですか」
やっぱり、やり方が違うと思うんだ。
放課後でだいたいみんな帰ってはいるし、ここは元から人気がないけれど、それでも学校だ。なのに、大きな声が出てしまう。
桐咲さんの目は揺れない。
「……本当にごめんなさい。こんなことしたら、実くんと愛美ちゃん、両方とも傷つけちゃう。それは充分わかってた。でもね……あたしは、実くんのことが好きで、隣にいたいと思ったから」
「……そう、ですか」
わたしも揺れるつもりはない。
桐咲さんの静かな謝罪と、宣言。どっちも透明に受け止めて。
「でもそれは、『実くんが好きだから隣にいたいけど、クラスの真ん中にいる自分があの子に近づくことで、周りに悪く思われたくはない』だけだったりしませんか。自分の印象に傷をつけたくないだけの言い訳じゃないんですか」
「いや、えっ」
「もしそうだとしたら――実のことより自分の立場を気にするような人には、あの子の隣にいてほしくないです」
一歩近づく。
吐き出した声色が思ったより冷たくて、自分でもぞっとした。クラスの中心人物に突き付けていい言葉じゃない。反撃が怖くなる。でも、これはしょうがないんだ。しょうがないって思えるくらいには、今のわたしはきっと――怒っている。
だって、『実と付き合うと自分の評判が落ちる』と言ったようにしか聞こえなかったもん。
桐咲さんは、少しの間黙っていた。険しそうな、でも落ち込んだみたいな顔で。
「たしかに、そうかもね。実くんを気遣ってるつもりで、ほんとは自分のことしか考えてなかったんだと思う。そんな人間には、実くんを好きになる権利なんて最初からなかったのかもしれない。でも――」
一歩下がられる。
両手をそっと重ねて、うつむいて、表情を隠した桐咲さんは。ひとり言みたいに小さな声で。
「愛美ちゃんと実くんがもう恋人どうしだったら、好きになる前に諦められてたのに、とか思っちゃうんだ。ふたりがずうっと幼馴染のままでいるから、あたしも立候補したってだけだもん。実くんがもう誰かのものになってたなら奪うつもりはなかったよ」
ひどい、と思った。なんでわたしのほうが責められてるんだろう。
でも。
ちくり。そうかもしれない、という気持ちが刺さって、抜けてくれない。
かわいくてやさしくて、たまーにかっこいい実のこと。小さいころから好きで。ちがう、大好きで。ずっと一緒にいたい、いつか実のお嫁さんになりたいって思う。
だけど、わたしたちはもう、ほとんど家族になってしまった。少なくとも、実のほうはそう思ってる。どっちかの家にふたりでいるとき、たまにわたしを"お姉ちゃん"って呼んじゃって赤くなるあの子だもん。
そんな実にはきっと、わたしの"好き"が届かない。だから諦めるしかない――
――という言い訳をしてたんだ、ずっと。
本当のきょうだいに近いくらい一緒に過ごしてきたわたしたちの関係が、告白ひとつで壊れちゃうかもしれない。それが怖いから実に責任を押しつけて、ただただ逃げてたんだな、わたし。
「かわいい」みたいなのを直接言うとか、やわらかそうなほっぺをつつくとか、おでこにキスするとか――手をつなぐ、とか。『家族みたいな幼馴染』に許されるかどうか、くらいのこと全部、したいのにしてこなかった。
あの子と手をつなぐためにこの劇を使ったのは、わたしもおんなじ。
「そうかもしれないです。桐咲さんに言われて気づいたんですけど、わたしも踏み出さない言い訳をしてたんだと思う。でも、」
「でも?」
「わたしは、今日から変わろうと思います。実のことがすきだよって気持ち、あの子の前で隠さないようにします」
「……そっか。あたしなんかに取られる気はない、ってことだよね」
「もちろんです。変わるきっかけをくれたのは感謝してますし、今日のことは誰にも言わないって約束しますけど、あなたみたいな卑怯な人に実を渡したくない。だからわたしは、桐咲さんより先に変わってみせます」
自然と言葉が出てきた。
わたしはこれから、強くなる。強くなりたいと思ってる。そう心から伝えるんだ。
桐咲さんの表情は、つやつや前髪に隠れてわかんないままだったけど。
「……本当にごめんなさい。実くんの隣にいられる愛美ちゃんのことが、うらやましかった」
小さく、でもたしかに聞こえたから。
「こちらこそ、ひどいこと言ってごめんなさい」
そしたらわたしは、くるっと回って歩き出す。
「それじゃ、お先に失礼します」
桐咲さんとはいっしょに行かない。スキップするみたいな勢いでひとり旅。わたしの後ろで、あの人はどんな顔してるんだろうな。このあとの打ち上げも、明日からも、すっごく気まずいな。それでも足は進んでく。なんだか止まりたくなかった。
☆
文化祭の打ち上げが終わって、実とふたりきり。
10月の夕方の帰り道は、いい感じに涼しかった。
「ふっふふ~ん」
「なんかあったの、まなちゃん? 楽しそうだけど」
「別に? 昼間ね、テープの位置が違ってた話したでしょ。あれが無事解決したってだけだよ」
「へえー、そうなんだ。名探偵まなちゃんじゃん」
相変わらずぼんやりさんの実は、この話もふんわりとだけ受け止めて。どんな真相だったかまでは聞いてこなかった。
うん、実はそれでいいんだよ。あんな舞台裏なんて知らなくていい。いつもよりちょっぴり勇気を出したわたしのことだけ見てくれたら、それで。
「でしょでしょ、もっと褒めてっ」
「え、ええっと……」
「じょーだんだよ。というかさ、今日褒められなきゃいけないのは実のほうだよね。かわいくてかっこいい小人さんだったよ、実。きみが台本と格闘するとこに付き合ってきたわたしが言うんだもん。間違いないよ」
「か、かわいいって。でも……ありがとう、まなちゃん。僕はがんばった。うん。できなかったこともあったけど……」
「うん? なになに」
「ドーピーって、あの……すごい設定あるよね。あれ、恥ずかしくてできなかった」
「すごい設定? ――あっ、あれかあ」
「うん。ドーピーは――」
わたしと実。小さな声がふたつ、重なる。
「『白雪姫のことが好き』」
この劇の元になってる映画から、ドーピーにはそういう設定があった。彼は無口だから言葉には出ないけど、べったりと懐いてる。
「元々、白雪姫に――桐咲さんに頭なでてもらうとこあったじゃん。あれもさ、お願いしてなくしてもらったんだ。そういえば、桐咲さんはなんか嫌そうだった。なんでだろ」
――あっ。そういうこと。
桐咲さんはなんで、実を七番目の小人に推したのか。そうしたらカーテンコールで手をつなげなくなるの、わかってたはずなのに。
あの人はとことん、この劇で実に近づこうとしてたんだ。意識してもらおうとしてたんだ。ずるい。ずるがしこい。負けたく、ない。
「なんでだろうね。ふふっ、残念だった?」
「残念、って?」
「わかんないならいいの!」
手袋で隠れるにはちょっとだけ早い、実の小さな手。白くて、かわいくて、きっとあったかいその手のひらを。
「うわっ! ど、どうしたの、まなちゃん」
「わたしと手をつなぐの、いや?」
「……いやじゃない」
わたしの手で、ぎゅっとつかんだ。すべすべであったかい。やっぱりだ。
ずんずん歩いちゃうわたし。緩めたいけど、今はむりかも。
――離したらだめだよ。ねっ?
手のひら泥棒 魚田羊/海鮮焼きそば @tabun_menrui
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