夕暮れの下でさよならを

夢月七海

夕暮れの下でさよならを


 放課後。私は園芸委員として、花壇の水をやろうと、じょうろが置かれた外の物置へ向かう。すると、先に後輩の一年生の秋定君が待っていた。

 「先輩、こんにちは」とはにかんだ秋定あきさだ君の、いつもと違う所を、私がすぐに気付く。


「秋定君、コンタクトにしたんだ」

「はい。どうですかね?」


 普段だと銀縁のメガネをかけていた秋定君は、今日からコンタクトをしている。いつもはインテリという印象が強い秋定君だけど、コンタクトだと目がくりくりとしていて、途端に可愛らしく見える。


「うん。似合っているよ」

「そうですか。ありがとうございます」


 ほっぺを赤くしながら、斜め右下を見る秋定君。最初は素直に、恥ずかしがっているのかと思ったけれど、赤い顔には少し翳りが見える。


「でも、クラスメイトからの評判は悪いんですよ。メガネの方が似合っていたのにって」

「えー、そうなの?」


 信じられないという表情で、大袈裟なくらい仰け反ってみせる。クラスメイトの方が見る目がないと、怒っている雰囲気も出す。……ちょっと大袈裟だったかな。


「みんな、見慣れていないだけだよ。その内、こっちのほうがいいって、言ってくれるって」

「そうですかね?」

「うん。私はもう、今の方がずっとかっこいいって、思っているもん」

「……はい、ありがとうございます」


 先輩の余裕をたっぷり込めた一言に、秋定君は顔を真っ赤にして、つむじだけが見えるほど俯いてしまった。そんな彼の斜め上に、半分ぐらい緑色になっているメーターが現れる。

 「チロリン」と軽やかな音がして、「好感度アップ!」という赤い文字と矢印も浮かび上がった。すると、緑色のメーターが増えて、先端の方が黄色のグラデーションの始まりに入る。


 よし! と、私は秋定君が目の前にいるのも忘れて、大きくガッツポーズする。

 これで、秋定君にとっての私は、同じ委員の優しい先輩から、ちょっと気になる先輩へと変化した。……この夢の中では。






   ▢






 校舎の三階の廊下を、私は全力疾走していた。現実では絶対にそんなことしないけれど、ここは夢の中なので、注意する人もいないし、誰かとぶつかることもない。

 向かったのは、一番端の教室。「新聞部」と書かれた紙が貼っている扉を横へ大きくスライドさせる。


安寺やすでら君!」

「おう。早速来たか」


 ロッカーの前の長テーブルで、パイプ椅子に座っていた少年が、真っ赤な瞳をこちらに向けた。うちの高校のブレザー姿で、今は何故かコンビニの骨なしフライドチキンを食べている。よく見ると、テーブルの上には、同じ種類のフライドチキンがいくつも置かれていた。

 彼は安寺君。この高校の新聞部部長――という設定のお助けキャラ。実際の学校には新聞部はないし、そもそも安寺君はいない。


「その様子だと、俺のアドバイスが通じたみたいだな」

「うんうん。秋定君の好感度、すっごく上がっちゃった」


 私は、テーブルを挟んで、安寺君の向かいに座る。安寺君は、食べかけのチキンを置いて、代わりに一冊の手帳を手に取ると、ペラペラ捲る。


「やっぱりな。コンタクトにしたのに、評判が良くないのを、気にしていたから、大成功だ」

「ちゃんと、周りも受け入れてくれるよ、って言っておいたよ。でも、可愛い顔になったって、正直に言わなくて良かったの?」

「秋定の歳だと、まだ男で可愛いと言われる価値が分かっていないみたいだ。褒め言葉とは受け止めきれない。事実、クラスメイトの女子たちから可愛いと言われて、馬鹿にされたと思い込んでいる」

「そっかぁ~。悪い意味じゃなくても、そう感じちゃうんだね」


 言葉ってややこしいなぁと思いながら、ちらりと安寺君を窺う。秋定君の心の内をさらりと分析してみせても、特に自慢するわけでもなく、平然とまたチキンを食べている。

 私は自分の夢の中で、通っている高校を舞台にした恋愛シミュレーションゲームをしている。攻略相手はこの学校で会う人たちのイメージで、秋定君も現実で同じ委員をしていた。ちなみに、彼も先週にコンタクトへイメチェンしていたのだが、実際の会話は「似合っているよ」「ありがとうございます」だけだった。


「しっかし、また攻略対象が増えたか。これで、十八人目か?」

「いいじゃん。秋定君、コンタクトにしてなんか気になって来たんだから」


 片手だけで器用に手帳を捲る安寺君は、呆れた様子で言う。でも、こんな反応は毎度のことなので、私も平然と言い返す。

 事実、秋定君がコンタクトにして、「あ、いいかも」と思ったのは確かだ。だけど、本当はそれ以上の気持ちは無くて、彼は私にとっては普通の後輩のままだった。


「他の面々の好感度も確認しとく?」

「うん。おねがーい」


 ちょっと甘えた声を出して見ても、安寺君は反応せずに、ぱたんと手帳を閉じる。代わりに、彼の右手側の斜め上に、キャラクター一覧のような画面が現れた。この高校で顔を合わせる男子たちの顔写真とプロフィール、この夢の中での好感度のメーターがある。

 いつの間にか、チキンの代わりに先生が使うような指し棒を持った安寺君は、好感度が下がってメーターが青くなっている相田君と酒井君と白石先輩の三人を、順番に指した。


「ここら辺。ずっと放っておいたけれど、そろそろアプローチしないとまずいぞ」

「あー、そうだねぇ」

「むしろ、ここは切り捨てて、別の奴らの好感度を上げるか?」

「うーん。でも、気持ちが完全になくなったわけじゃな無いからさぁ。それに、今まで上げてきた好感度がもったいないし」

「もったいない精神で恋愛すんなよ」


 苦笑する安寺君に、「だってこれ、ゲームだもん」と言いたかったけれど、流石にそれは雰囲気を壊すから言わない。代わりに口を尖らせて不満を見せた。

 しかし、安寺君は、急に人間離れしたその赤い瞳を細めた。見慣れた私でも、ぞくりと背筋が冷たくなる。


「ま、このゲームが長引くと、嬉しいのは俺の方だけどね」

「……そうだったね」


 約一年前のこと。私の夢の中に、いきなり安寺君が現れてこう言った。「君の好きな夢を見せてあげる。代わりに、君の生命力を少し分けてほしい」――私は、すぐにその誘いに乗った。

 理由は、彼氏を作る前段階を、恋愛シミュレーションゲームみたいに練習したいと思ったから。安寺君は私が思い通りの世界を作ってくれて、自分もサポートキャラとして客観的なアドバイスをくれた。そうやって、ここの練習を活かして、現実の世界で彼氏を作るのが目標だったけれど……。


「……安寺君、なんでチキン食べているの? しかも、全部同じ種類で」

「いや、同じコンビニ系列店でも、店舗によってチキンの味は変わるのかなって、検証中」

「何それ。変化あったの?」

「正直そんなに。だから、ちょっと飽きてきた」


 本気で困った顔をしている安寺君を見ていると、おなかの底から可笑しみが湧き上がってきて、私はゲラゲラ笑った。

 ちなみに、私が夢の中で何を食べても、現実の体に影響は出ないけれど、安寺君自身はこっちの世界でも、食べるという行為は重要な意味を持つらしい。


「安寺君て、すごく変わっているよね」

「普通とはズレている自覚はある」

「そんなんじゃあ、モテないんじゃないの?」


 さあ、ここでなんと言うのか。私は安寺君の反応を注視する。もちろん、この緊張を相手に気付かれないように、さりげない顔をして。

 そんなのを全く知らない安寺君は、ハハッと爽やかに笑ってみせた。


「別にモテなくてもいいよ。俺は、百合葉ゆりはみたいに移り気じゃないから」

「……酷いなぁ。私は一途だよ?」

「十八人同時に攻略しながら、どの口が言うんだ」

「攻略はね? 彼氏ができたら、その人のことをずっと愛するよ。浮気も絶対にしない」


 仕方ないこととはいえ、安寺君からそんな風に見られていたなんて、すごくショックだ。その動揺を隠して、必死に自分の純粋さをアピールする。

 これで、挽回できたかなぁと不安になってくる。私が一番知りたい人の好感度は、一度も見れないままだ。


「安寺君にはさ、」

「何?」

「誰かと付き合いたいって気持ちはないの?」

「うん? 付き合いたい?」

「安寺君が私と別の女の子と話している場面、見ないから。お助けキャラという役割上、そうなのかもしれないけれど」

「ああ、その事か」


 ずっと不思議そうな顔をしていた安寺君は、急に曇りが晴れたような明るい表情になった。

 もしかして、私以外の女の子には、あまり興味が無いのかな。そんな一縷の望みをかけて、彼の言動を注視していると、安寺君は、ひらりと自分の左手を私の前に差し出した。


 その薬指には、今までなかった指輪が嵌っていた。


「俺、結婚しているから」

「え、」


 はにかんだその笑顔を、停止した頭で、五秒ぐらい見詰めてしまっていた。


「ええっーーーーー!」


 私が立ち上がって、大声で叫んだので、驚いた安寺君は、パイプ椅子ごと後ろにひっくり返ってしまった。ガシャーンとすごい音がして、私は慌てる。


「ご、ごめん!」

「……夢だから、痛みはないけど、脅かすなよ……」


 安寺君が立ち上がって、パイプ椅子も直す。彼は大分落ち着いていたけれど、私はまだ混乱していた。


「ちょ、ちょっと、指輪、指輪見せて!」

「別にいいけど……」


 なんで? と言いたげに、差し出された安寺君の左手を掴む。指輪にも触ってみる。プラチナ製の、曇りもない綺麗な指輪だった。


「さっきまで無かったのに……」

「夢の中は俺の自由自在だからな。見せたいと思ったから、現れるんだ」


 私の手を優しくほどいて、安寺君が左手を左右に振ると、また指輪が消えた。消えた、というよりも、見えなくなったんだろう。


「えっと、つまりは、学成婚?」

「違う違う。今の見た目も、百合葉に合わせているだけだから、本当の俺はもっと年上なだけ」


 涼しい顔で、安寺君は言ってのける。……私にとっては、結婚ほどじゃないけれど、衝撃の事実というのに。

 じゃあ、本当の安寺君って何? 混乱して頭を抱える私を見て、安寺君は困ったように頬を掻きながら、「えーと」と話し掛けた。


「俺が人間じゃないのは、分かっている?」

「それは、何となく」


 他人の夢を操れる赤い瞳の少年が、人間ではないだろうということくらい、鈍い私でもさすがに分かる。その正体についても、いつか考えたことがあった。


「安寺君って、実は獏の妖怪?」

「惜しい! けど違うな」


 クイズの司会者みたいな軽い調子で、安寺君は指を鳴らす。こっちは真剣に訊いているのに。怒って、頬が膨らんでしまう。


「安寺君の正体って何なの?」

「それは、百合葉がエンディングを迎えたら、エピローグで教えるよ」


 満面の笑みでそう言われてしまうと、追及できない。一緒に笑いつつ、素直に、ずるいなぁと思ってしまう。

 私が、攻略相手の内の一人と結ばれて、このゲームのエンディングを迎えることなんて、あるわけないのに。






   ▢






 頭上は綺麗な夕暮れだった。雲一つないオレンジ色の空が、三百六十度、全部に広がっている。

 私は、河川敷を白石先輩と並んで歩いていた。偶然一緒の帰り道になって、なんとなーく一緒に歩いている、そんなシチュエーションだった。


 白石先輩は、殆ど接点が無くて、知っているのは名前くらいだけど、図書室で私が好きな作家の本を借りているのを見てから、気になった。だから、夢の中でも攻略相手として出てきている。

 接点は本のことだけだから、自然とその話題が中心になる。あの作家の新作、良かったよねとか、話題の小説の実写化見たけれど、あのシーンは削らないでほしかったなぁとか。すごく楽しいけれど、趣味の合う友達止まりで、好きとは遠い気持ちだった。


 ふと、河原の方に、安寺君がいるのを見つけた。川に向け、見事なアンダースローで、水切りをしている。

 安寺君はお助けキャラだから、私が行く先々に現れる。カフェでウェイターをしていたり、本屋で立ち読みをしていたりして、私が助けてほしいのアイコンタクトをすると、ヒントをすっと差し出してくれる。


「あれ。新聞部の部長だ」


 白石先輩も、安寺君に気が付いた。安寺君が投げた石が、川面を八回跳ねたので、自身の最高記録だったのか、安寺君は大きくガッツポーズをした。

 可愛いなぁと私が思っていると、白石先輩は小馬鹿にするように笑った。


「あいつ、暇なんだな」


 私も同じことをよぎったけれど、先輩の言葉は冷たすぎて、嫌だなと思ってしまう。

 安寺君によると、私の攻略対象は実際の人間ではなく、人が眠る瞬間に思い返した言動や気持ちを元にしたAIみたいなものらしい。だから、夢の中の先輩は先輩じゃないけれど、本当の先輩も同じことを言うかもしれない。


「白石先輩、すみません。安寺君に返す漫画あるので、行ってもいいですか?」

「まあ……別にいいけど」


 先輩は話も合うし、悪い人ではないけれど、今の一言で気持ちが冷めてしまった。ぺこりと頭を下げて、安寺君の方へと走り出す。

 攻略対象たちは、別の男子の話題をするとすぐに機嫌が悪くなるけれど、安寺君だけは例外だった。お助けキャラだから、ライバルとみなされていないだろう。


「安寺くーん!」


 叫びながら手を振ると、振り返った安寺君が、目を丸くして、こちらへ歩み寄ってきた。河川敷の上の方を歩いていく白石先輩と、私の顔を見比べている。


「どうした? ヒントでも欲しいのか?」

「ううん。安寺君と話したいだけ」


 涼しい風が吹き抜ける河原で、私は安寺君と向かい合う。本当の気持ちを話したけれど、彼は納得していないようで、首を捻る。


「いいのか? 白石との好感度、下がるぞ?」

「平気。……好きな人、一人に絞ったから」

「マジか!」


 私の一言に、安寺君は驚いて、手帳を捲りだす。


「一体誰だ? 秋定? 寺田? 佐々木?」

「違うよー」

「じゃあ、村上か? それとも、大林か?」

「残念、違います」

「誰だよ、そいつは」


 痺れを切らしたように、眉を吊り上げる安寺君の顔を、真っ直ぐに指差した。


「はっ」


 口を開けた安寺君が、息を吸い込む。


「はああああああああ!?」


 安寺君が叫んだ。こちらが仰け反ってしまうほどの大声で、耳を塞いでも、わんわん鳴っている。


「うるさい」

「わ、悪い。この前の仕返しじゃなくて、」

「分かってるよ」


 慌てる安寺君の姿が可笑しくて、自然に笑っていた。

 「そうか……そうだったか……」と、私の告白を受けて、安寺君は口元を覆って、目線を下に向けている。これで、顔が赤くなっていたら手応えがあるけれど、むしろ青褪めていた。


「すみません。俺には、愛する人がいます」

「うん。分かっています。だから、伝えたかっただけ」


 正々堂々と頭を下げる安寺君に、軽やかに笑って言い返す。夢の中だから、どんな顔でも作れて良かった。現実だったら、大泣きしていただろう。

 顔を上げた安寺君は、気まずそうにしていた。見方によっては、泣くのを我慢しているようにも。残酷なくらいに、彼は優しい。


「……ほじくり返すようだけど、俺の何が好きなの? 今の顔、平均的なものにしたつもりだったけど」

「難しいなぁ。なんか色々話していて、好きだなーって、思うようになっただけ。顔はあんまり関係ないよ」

「一体、いつから?」

「会って数回目から。でも、多分最初の方から、ドキッとしていたと思う」

「人間じゃないけど、それは気にならない?」

「うん。全然」


 なんだかインタビューみたいなやり取りだった。安寺君は、私の返答を全部聞いて、「うーん」と唸っている。

 「性別まで変えた方が……いや、それはやり過ぎか……」と呟いているので、きっと今後の対策を考えているんだろう。


「ねえ、こっちからもいい?」

「ああ、何?」

「私と会うこと、奥さんはなんか言っているの?」


 核心をついた質問のつもりだったけれど、安寺君はきょとんと瞬きをしている。


「いや、特に何も」

「そうなんだね」


 これで嫉妬でもしてくれてたら、と思ったけれど、無駄だったみたい。結局、私は、安寺君とその奥さんと、同じフィールドにもいなかったようだ。

 それを意識すると、ずっとすっきりした。ふーと、肺の中の空気を全部抜くような、長い溜息を吐く。


「私は、そろそろ起きるよ。もう、この夢の世界には、来ないと思う」

「そうか。そうするしかないよな」

「あ、惜別にさ、安寺君の本当のこと、一つだけ教えて」


 まだちょっとだけ名残惜しいから、最後にそれだけ尋ねた。安寺君はそれを受けて、真剣な顔で頷く。


「俺の本当の名前は、ディーロ・アンデルセンだ」

「人種から違うじゃん」


 真面目に聞こうと思っていたのに、つい吹き出してしまった。安寺君も苦笑していると、空のてっぺんから、ジリリリリと、私の部屋の目覚まし時計のベルが鳴りだした。


「じゃあね、安寺君。さよなら」

「ああ。何か困ったことがあったら、いつでも呼んでくれ」

「うん。ありがと」


 この瞬間まで、彼は優しかった。すごい嘘つきだったけど。色々泣かされたけれど。

 ベルの音が、どんどん大きくなる。空のてっぺんが真っ黒になり、ゆっくりと落ちてくる。それに包み込まれる前に、私は夢の中で、目を閉じた。































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夕暮れの下でさよならを 夢月七海 @yumetuki-773

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