カクカタル

秋待諷月

カクカタル

 草木も欠伸を噛み殺す深夜零時。単身で暮らすアパートの一室、デスクライトを灯してノートPCの前に座る僕の頭上から。

「ほら書け! やれ書け! 書けば書くとき書きくけこぉっ!」

 そんなけたたましい声が引っ切りなしに降り注ぐものだから、耳も痛ければ頭も痛い。

 真っ白な背景に文字カーソルが点滅しているだけの文章作成ソフトの画面から目を離し、僕はぎりりと歯噛みしながら、プリンターラックの上にふんぞり返る「そいつ」を睨み上げた。

「今、書こうとしてるところだろ。書けって言うなら邪魔すんな」

「ほっほう。『今』、ねぇ? オレが知る限り、かれこれ一時間はそこで画面と睨めっこをしているようだが、オマエの『今』ってのは一体何時何分何秒になったら訪れるんだ?」

 嫌味な語調でねちっこく痛いところを突かれた僕は、返す言葉に詰まって押し黙る。

 僕をやりこめたことで分かりやすく勝ち誇り、にまりと嫌らしい笑みを浮かべたのは、一羽の茶色い「トリ」。それも本物ではなく、鳥のような姿を模したぬいぐるみだ。

 ほとんど球体に近い丸っこい体に、三つ山状にとんがった珍妙なトサカ。メンフクロウのように顔面だけが白いのは、「茶色い鳥の着ぐるみを着た白い鳥」という紛らわしいデザインを気取っているためだろう。

 そしてこのトリ。不可解かつ不愉快なことに、喋るのである。

 喋るだけでなく、自在に動く。どんな仕組みなのかは全く分からない。ものを食べるわけでもなければ、充電をしている様子も無い。生物なのか機械なのか、いずれでもない何物かなのかも分からない。

 僕の家に棲みつき、僕の部屋を我が物顔で徘徊し、そして、僕の神経を逆撫でながら、トリは連日連夜、先ほどのように僕をせっつく。


 「早く小説を書け」、と。


 誤解が生じないように注釈すると、僕は作家ではない。本業はしがない地方公務員で、執筆活動はあくまで趣味だ。

 その上、就職してからというもの、長編小説を完結まで書き上げたことは一度も無く、趣味を自称するのもおこがましいほどである。

 少し書いては煮詰まり、また少し書いては「面白くない」ような気がして立ち止まり、書いては消し、書いては飽き、そうして、冒頭だけしか書いていない未完結作品ばかりを量産する日々。最近は執筆そのものもサボりがちで、PCを開いても動画やゲームに興じるうちに夜が更けていることもざらだった。

 そんな僕がここのところ、毎夜文章作成ソフトを立ち上げてはウンウンと唸っているのは、この厄介なトリに尻を叩かれているせいに他ならなかった。




 あれは二週間前。やはり筆が乗らずに、気分転換がてら繰り出した、深夜の散歩で起きた出来事。

 近所を気まぐれにうろついていると、すでに日付が変わる直前だというのに、馴染みの本屋がまだ店を開けていた。

 どこの家も寝静まった住宅街の中、ほわりと浮かび上がるような明るさに蛾のごとく引き寄せられて入店したものの、店内に他の客の姿は無い。カウンターで文庫を読んでいる店員は僕の知らない顔で、長居するのは気が引けた。

 とは言え、入ってしまった以上、そのまま店を出るのも憚られるものだ。

 平台の上から目についた文庫を取り上げて会計に出したところ、ふっくらとした体型の中年男性店員が、愛想よく微笑んでこう言った。


「くじ、引けますよ!」


 言われるがまま抽選箱に手を突っ込み、結果、押しつけられたのは、「7等」の札が下げられた不細工なトリのぬいぐるみ。

 手を叩いて祝福してくれる店員に「要りません」とも言い出せず、一抱えほどのサイズのぬいぐるみを裸で持ち帰る羽目になった僕が、人目の無い時間帯であることに感謝しつつ帰宅して安堵したのも束の間。

 置き場に困ってとりあえずプリンターの上に乗せた途端、ぬいぐるみが「あの」調子でぺらぺらと喋り始めるのだから、僕の驚きといったら想像にあまりあるだろう。

 窓から追い出そうとすれば叫声を上げて騒ぎ、ゴミ袋に入れようなどしたものなら嘴で僕の髪の毛を散々に毟り始めるものだから堪らない。一時間と経たずして僕は白旗を上げ、以降、このトリの横暴を許してしまっている。

 恨めしいのは、7等のくじを引き当ててしまった自分自身。ラッキー7どころか、アンラッキー7だ。




 曰く、トリは「小説の妖精」的な存在だという。妖怪の間違いだろうと僕は思っているが、どうでもいいとも思っている。

 トリが僕の小説の熱狂的なファンであり、そのために続きを渇望している、というわけでは全くない。そもそも読ませたことすらないのだから。

 PCの前で漫然と時間を潰す僕を、トリはただただ煽り、叱責し、小馬鹿にし、そして執筆を強制する。あたかもそれが使命であり、存在意義であるかのように。

「あーあー、まだ一文字も打ってないじゃねぇか。まさか、『善人にしか読めない作品だ』とでも言うつもりじゃないだろうな?」

「どこの裸の王様だ。気が散る、いい加減に黙れ」

「いいや、黙らないね。本気で書くつもりがあるなら、オレがちょっとやそっと囀ったところで、集中を乱されたりなんざしないはずだろ」

 僕の頭にぼすんと飛び乗り、トリはフェルトのような質感の足で僕の頭をたしたしと叩く。頭を揺すって振り落とそうと試みるが、髪の毛を嘴でついばまれるという恐ろしい抵抗に遭い、首の筋を痛める前に諦めた。

 その代わりのように、大きく一つ溜息をついてから、僕は力なく反論する。

「少しの集中の乱れも命取りなんだよ、凡人にとっては。大体、仕事で疲れてて、ろくに頭も回らないしさ」

 机上に頬杖をついて正面を見る。真っ白な画面。点灯するカーソル。僕の目に映っているのはそれだけで、そこには小説どころか、文字の一つも見当たらない。

 凝視したところでスクリーンセーバー以外のものが現れるはずもないウィンドウをぼんやりと見据え、「そもそも」と続けた。

「どうして、そこまでして書く必要があるんだよ。仕事ならともかく、ただの趣味なのに。文才だって無いし、アイデアだって平凡だし、いくら頑張ったところでどうせ大した話は書けないんだ。誰かが読むわけでも――待ってるわけでもないんだし」

 呟きながら僕は、「そうだよ」と、自分で自分に同意する。

 学生時代から長く独りでこっそりと執筆を続けていた僕が、一念発起してWeb小説投稿サイトに登録したのは、今から一年ほど前のこと。当初こそ、素人作家仲間が溢れる世界が新鮮で、投稿や閲覧を純粋に楽しんでいた。

 だが程なくして、僕は嫌というほど思い知ったのだ。

 プロ顔負けの筆力で、商業作と見紛うような傑作を次々と生み出す作家がいる。驚異的な執筆速度で連日作品を投稿する作家がいる。百万字を超えるシリーズ大作をいくつも完結させている猛者が、オリジナリティ溢れるアイデアや設定で読者を気持ちよく殴ってくる玄人が、投稿サイトの中には吐いて捨てるほど溢れていた。

 きら星のような作家が、作品が、これだけ揃っている中で、僕の作品を楽しみにしてくれている人など、きっとどこにもいないだろう。

 それなのになぜ、これだけ苦しんでまで、僕は。


「ぐちゃぐちゃと、言い訳ばかり並べてるんじゃねぇよ」


 煩悶する僕の頭上で、ぶっきらぼうにトリは言った。

「四の五の言わずに、とにかく書け。オマエに書きたいものがあって、それを誰かに読ませたいと思うならな。どれだけイカしたアイデアがあろうが、どれだけ練り込んだ設定があろうが、書かなきゃ誰も読めやしないんだよ」

 乱暴で、一方的で、容赦も配慮もない、その言い草。

 だが、それこそぐちゃぐちゃとしていた僕の頭に、苛立たしいはずのトリの声は妙に清々しく響き渡った。


 僕は、僕の原点を思い出す。

 僕が小説を書こうとしたのは――。


 ぎゅっと口を引き結び、僕は再び、真っ白な画面を見据える。

 一定のリズムで点滅するカーソルが、不思議と、僕を待ってくれているような気がした。

 そんな僕の心境の変化には気付かなかったらしく、トリは「ふむ」と、何事か考え込むような声を出すと、僕の頭から机上へと飛び降り、唐突にこんなことを言い始める。

「だがそうだな、このままじゃいつまで経っても話が始まらねぇ。このオレが直々に、助言をくれてやってもいいぜ」

「は? 助言?」

「ああ。卑屈で悲観的でどうしようもないオマエのような駄目なやつでも、たちまちやる気が出てくること間違いなしの、とびっきりの提案だ」

 憎まれ口しか発しない嘴をセロテープでぐるぐる巻きにしてやりたい衝動に駆られるが、自称「小説の妖精」が偉そうにここまで言う以上、どんな提案をしてくるのか気にならないこともない。

 不承不承、「どんな」と僕が先を促せば、トリはしたり顔で小さな瞳を輝かせ、堂々と言い放った。


「オレを主人公にした作品を書け!」


 トリの目に勝るとも劣らないほどに、僕の目が小さな点になる。

 脱力した僕の体がずるずると斜めに傾いていくことも意に介さず、トリは僕の右手の上に飛び乗ると、怒濤の勢いで語り始める。

「ジャンルは王道、ファンタジーで決まりだな。と、なると、トレンドはやっぱり、チートスキル持ちの異世界転生ものか? いっそヒロインを追放悪役令嬢にして、一作で二度おいしいラブコメバトルアクションにするっていうのはどうだ。オレの外見は、まぁこのままでも人気沸騰間違いなしだが、あえて擬人化するならイケメンの王子様……いや、筋肉モリモリのナイスガイも捨てがたいか」

 ご満悦な様子で胸を膨らませながら、トリは機嫌も麗しく、短い羽で僕の横面をぺしぺしとはたく。僕は無表情のまま、無言でされるがままとなっている。

「おい、黙ってないでなんとか言えよ。最高にいいアイデアだろ?」

 最低のドヤ顔を間近に突きつけられた僕は、にこりと微笑み、そして言う。




「いいわけあるか!」




 Fin.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カクカタル 秋待諷月 @akimachi_f

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説