決着

入河梨茶

リーダーの場合

 キャラコはその夜、家を出る前に贅沢をした。

 香道をたしなむ親が持っている伽羅の香木。その小さな木片から、ほんの一かけらを薄く削り取り、火にかけた。

 立ち込める香りを嗅ぎ、できるだけ全身に浴びてみる。いい香りとは思うが、とても高価なものとしてはどうなんだろうと思わなくもない。人工的な香料との差がよくわからない自分の嗅覚を残念に思う。

 それでも、最後に己が名前の由来を知ることはできた。

 今日の放課後の帰り道、変な二人組に襲われて返り討ちにした。キャラコが魔術書を持っていることとそれで魔術を使うことが問題視されているらしい。となると、あの二人では終わらず新手が近々来るだろう。

 もうこの家には帰れないだろうな、と覚悟を決めて家を出た。


 とある店で、下準備としての買い物をしておく。

 ジュンコを倒し、ルリエを破滅させる。

 ルリエへはつい今しがた、魔術を仕掛けた。多少の代償は払ったが、まあしかたなかった。

 たぶんあいつは自分可愛さで首謀者にまではすぐに意識が回らない。それでも何か起きてしまったと感じたら、親分にすがるように連絡してくるだろう。それが要領を得ない報告になっていて、あのリーダー気取りの意識を少しの間でもそちらへ向かわせれば、ちょうどいい。たぶん数分後のしばしの時間。

 それまでに首謀者になるべく近づいておかないと。

 キャラコは十時半を過ぎてるというのにまだ広く開け放たれている門を通り、広い敷地に足を踏み入れた。首謀者自体は最近越してきたけれど、その親は代々この地方で政治家をしている一族だ。来客は多い。

 さっそく寄ってくる秘書だかボディガードだかを、連絡されて情報共有される前に片っ端からトカゲに変えていった。



 リーダーは、こんな土地に来たくなかった。

 もともと自分は親の跡を継いで政治に関わる予定などなかったはずだ。それは母親が考えたこのいかれた名前をそのまま通した父親の判断からも明らかだった。ペット的に可愛がり、いずれどこぞの有力政治家の息子に嫁がせる、その程度の存在。

 なのに両親の間には彼女以外の子はできず、父親はいっそ一人娘に婿を取ろうといつの間にか宗旨替えしていた模様。その一環として、彼女は都心を離れて父親の地盤であるこの地方都市へ送り込まれたようである。婿殿が、この地の新たな有力者か、あるいはよその政治家の次男三男か、どちらにせよ、その妻になる娘が地盤に根を下ろしておいて悪いことはないという理屈。

 そんな事情をよく汲んで、彼女は教室で親の真似事を始めてみた。意外と才能はあったようで、有力なクラスメートを配下にして、クラスの大多数を従えることに成功した。この調子なら卒業までには学校全体を支配できるかもしれない。高校で地元の進学校に進めば地域全体にネットワークを張り巡らせるかもしれない。

 だが、別にこんなことをやりたいわけではなかった。通い慣れた都心の私立女子校が恋しかった。何もないこの街――この地域ではまだ栄えているそうだが――が厭わしかった。

 そんな憤懣をぶつけるのにうってつけの相手がキャラコだった。

 リーダーに媚びへつらわず、対抗勢力を作るでもない孤高の存在。それはつまり、孤立無援で攻撃しやすいということでもある。

 徹底的にやった。証拠は残らないように気をつけたから、死んだら死んだで揉み消せるという自信はあった。なのにあいつはしぶとかった。

 そのうち、クラスで異変が起き始めた。ケイとミネコの大怪我。サナエの発狂と転校。

 保身のための警戒心は、この国で与党政治家をやっていくための必須スキル。ジュンコとルリエに注意喚起をしておいた。

 ちらりとキャラコを思い浮かべた。だが、年がら年中本を読んでばかりのあいつに何ができるとも思えない。


 しかし、その予感は正しかったと、身をもって知った。

 ルリエからのまったく知性を感じさせない報告に苛立ち、直接話を訊こうとした直後。

 手にしたスマホを取り落とした。

 全身が縮んでいき、手足が消え失せていく。呼吸が苦しい。

 部屋着に埋もれ、身をくねらせてもがいていると、部屋に何者かが侵入してくる音がした。

 服ごと彼女を抱えると、侵入者は素早く移動を開始する。

 酸欠で死にそうに感じる地獄の時間が何分か過ぎた後、水の入ったポリ袋に放り込まれると水につかった首筋の部分から不思議なほど楽になるのを感じた。自分がエラ呼吸する魚になっていることを悟る。

 その直後、次の変化が起きる。全身がさらに小さくなっていき、ポリ袋にすっぽり収まった。ひらりと動く自分の赤い尾びれが見えた。

 透明なポリ袋の向こうから、キャラコが見つめているのに気づいた。



 キャラコは首謀者をまず鯉に変えると、そいつを抱えて屋敷を急いで脱出した。

 次いで準備していた水入りポリ袋に突っ込み、今度はもっと小さくて運びやすい金魚に変える。

 屋敷で変化させた連中は、三分の制限時間が尽きた後にもう一度トカゲに変えておいた。そしてその時間も尽きそうな今、さらにもう一度。

 それらによって人の動きと情報伝達は防げている。しかし変化の対象にならなかった他の人間がいたかもしれないし、外から戻ってくるかもしれない。防犯カメラなどには手の打ちようもなかったから、何が起きたかはわからなくともキャラコの一時的な侵入だけは確実に判明するだろう。

 だから、復讐は手短に済ませないと。


 荷物を隠しておいた場所に戻ると、空っぽの大きめな水槽に金魚と水を注ぎ入れると蓋をした。水が足りるはずもなくまた酸欠でのたうち回っている首謀者を、ネズミに変える。

「聞こえてる?」

 水槽の上から話しかけると、濡れ鼠状態の相手は見上げて睨みつけてきた。

「あんたの言い訳には興味ないから、まだその身体を人間に戻すつもりはない。そのまま黙って聞いてなさい、プチミ」

 彼女のユニークな本名を告げると、狂ったように水槽の中で暴れ回る。ひっくり返りそうになったのであわてて押さえた。

「自分がどうしてこんな目に遭うのかわからない、とは言わせない。あんたが私にしてきたことを考えれば、このまま川に沈められても文句は言えないはずでしょう」

 キャラコの言葉に、ネズミは動きを止める。ずいぶん神妙なことだとキャラコはおかしくなる。想像では、何かしら言い分があるかのように徹底的にアピールし続けるかと思っていたのに。

 まあ、それだけ今のキャラコと首謀者の間には力の差があるということかもしれない。

 そして勘違いしてはいけない、ともキャラコは思う。こんなインチキじみた魔術書のおかげで成立している現状の力関係であり、本来なら牙を剥くことすらできず叩き潰されていたのはこちらなのだ。うぬぼれてはいけないし、下手な憐れみもいけない。

「当然、あんたを変化させているのにも限度はある。この魔術は一回につき三分」

 一日一回午前二時のみだった最初に比べればずいぶん便利になったけど、結局動物変化魔術の時間制限は変わらないままだった。

「でも、私が使えるのはこの術だけじゃない」

 言いながら、これまで隠しておいた小さなケージを取り出す。中にはシャム猫が入っている。ペットショップでなかなか買い手がつかずにいた年寄りの雄。さっき大枚はたいて買ってきた、この復讐の鍵。

「生物と生物の魂を入れ替えることもできる。これも制限時間は本来三分なんだけど……私の寿命を削れば、制限時間はもっと増やせる」

 ルリエに使った知能低下と同じ理屈だ。あちらはキャラコの寿命を半年以上削って五年間以上低下したままにできたが、こちらはもう少しレートがシビア。

「私が寿命を十年削れば二十年入れ替わったままにできる」

 そこまで聞くと、自分がどんな目に遭うかわかったのか、ネズミが騒ぎ出した。

「最近は腎臓病の研究で、猫の寿命も延びる見込みがあるみたいだし、まあ奇跡を信じてがんばって」

 言うと、キャラコは復讐の総仕上げとなる呪文を唱えた。


 ケージの中のシャム猫がとたんに騒ぎ出す。一方、水槽の中のネズミは静かになった。水槽から外に出すと、程なく変化の魔術の制限時間に達して裸のプチミに戻る。ぺたんと草むらに座り込み、人間になったばかりの猫はぼんやり自分の新たな身体を見つめていた。

 巻き込んでしまって申し訳ないが、まあがんばって長生きして欲しいとキャラコは元猫に内心で詫びた。

 猫があまりに騒がしいので、キャラコは魔術でトカゲに変える。ケージを抜け出してキャラコに向かってくるトカゲを引き離しキャラコは走った。

 この春以降のすべての煩わしさから逃げるように、キャラコは走った。

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