そこにいる気がして

まず言いたいのは、私はこんなにも優しい話は読んだことがないということです。文章を読んでいると、登場人物の感情がどこまでも伝わってきて、目頭が熱くならざるをえません。
こんな夫婦になれるのなら、誰かと生涯を歩むのも悪くないな。そう思わずにはいられませんでした。
以下はネタバレになってしまいますので、どうかまずはご自分の読むことを強くお勧めします。


高齢の夫婦。妻が耳に付けているのは、夫がプレゼントしたコードの繋がっていない高価なヘッドフォン。
妻が聞いていたのは音ではなかった。それは血潮の流れる音。「まるで波の音みたいに聞こえるんですよ」と嬉しそうに言う。

細やかな幸せの中に時折り混ざる違和感。爪、肩、色へ。
見ないふりをした。気付かないように。
けれど、ある日別れは静かにやってきてしまう。

すべきことを終え、一人を自覚したとき、夫は不意にカメラを手に取った。
家のあちこちを写真に収めながらも溢れる涙。妻がいないという事実を、繰り返しシャッターを切る度、その度に彼は突きつけられていく。

思い出した頃に現像した焦点の合っていない写真には、きっと誰の目で見ても誰も写ってはいなかったのだろう。ただ一人、それを撮影した者を除いてではあるが。