井伊と和気のいいわけは……

冬華

井伊と和気のいいわけは……

「へい、らっしゃい!……って、お二人さん、今日は惜しかったね」


「「え……?」」


「だって、テレビにヤジっていたのが映っていたよ。行っていたんだろ?球場へ」


店に入るなり、カウンターの向こうにいる大将に言われて、井伊(いい)と和気(わけ)の二人は驚き、顔を見合わせた。確かに7回表が始まるころにヤジった覚えはあったが、まさかそれがテレビに映っているとまでは思っていなかったからだ。


「でも、いいのかい?内緒だったんだろ?」


「ま、まあ……いいわけはありませんが……」


それでも、映ったのは一瞬。そんなに運が悪く、見られてはいけない人に見られはしないだろうと……そう高を括っていると、突然スマホが鳴った。井伊が顔をこわばらせて見ている画面には、【遠山部長】という表示が浮かび上がっていた。


「は、はい、井伊です……い、いえ、部長。これには海よりも深いわけがありまして……決してずる休みだったのではなくて、あくまで故人の最後の願いをかなえるためでして……」


まさに、それは苦しい言い訳。和気が大将に語るには、井伊はどうやら親戚の葬式ということで仕事を休んだらしい。伯父さんの従弟のお嫁さんの大叔父が、果たして本当に親戚なのかはおいておくとしても、葬式当日に球場で楽しそうにヤジっていては流石に取り繕いようもなく……スマホからは叱責の怒鳴り声が漏れてくる。


「はぁ……叱られたよ……。明日、仕事に行きたくなぁい……」


「「どんまい」」


通話を終えて、半べそ気味の井伊を和気と大将が気遣った。そして、話が落ち着いたところで大将が訊く。


「それで、何にしましょう?」


すると、右側に座った井伊が代表して言った。「とりあえず、生2つ」と。大将は早速、冷蔵庫からジョッキを取り出してビールを注ぐと、あらかじめ用意していたお通しを添えて……


「へい!お待ち!」


二人の前に威勢よく置いた。だから、和気がいつもの調子で訊ねた。


「今日のこれは何だい?」


「井伊さんの方が『広島カキは五位の季節焼き』で、和気さんの方は『鳥九郎のミンチ焼き』です。大丈夫ですよ。まだ3ゲーム差ある。火曜日から勝てば何も問題ない!」


熱狂的なキャッツファンである大将は、こうやって負けた日も勝った日も、そのときの心境をベースに料理に名付けて客に提供している。ちなみに、大層な名がついたこのお通しは、実際にはただの『カキのバター焼き』や『鳥のつくね』だったりするのだが……。


しかし、今日は広島相手に取りこぼしたという恨みもあり、またバードズが失速して欲しいという願いもあり、こういうネーミングは井伊と和気をいつも通り楽しませた。何より、大将の威勢のいい言葉は、敗戦と部長の叱責で落ち込んでいた気持ちを盛り上げ直してくれる。


「ねえ、井伊。分けてくれよ」


「いいけど、その代わりそっちのも頂戴」


だから、こうして料理をシェアし合うなどして、今日もいつものように楽しく酒が進む。だが、そうしていると、今度は和気のスマホが鳴った。


「一体、こんな時間に誰だ?」


酔いが回り赤くなった顔で呟きながら、スマホを取り出した和気は一気に顔を青くした。画面には【鬼嫁】の表示が……。


無視することも考えたが、やはり後のことを考えれば、無視するわけにもいかず、和気は恐る恐る通話ボタンを押した。


「は、はい。もしもし……」


『ちょっと!あんた、何で大阪にいるのよ!!福岡に出張に行ったんとちゃうの!?隣にいた女は誰よ!!浮気!?もし、そやったら、許さへんで!!』


さっきの部長よりも強烈な怒りの声は、隣に座る井伊にも、さらに大将にも聞こえた。


「ち、違うよ。彼女は仕事仲間で……おまえのいうような関係ではなくてだな……」


さっきの井伊同様に苦しい言い訳を繰り広げているが、大将は知っている。二人は職場の同僚などではなくて、そういう関係であるということを。何しろ、明け方に近所のホテルから出てくるところを何度か見たこともあるのだ。


だから、心配していたのだ。テレビに映っていたから、二人の関係が奥さんにバレるんじゃないかと。


『いいわけはよろしっ!さっさと帰ってくる。いいわね!!』


ガチャリ。最後は一方的に切られてしまい、和気の運命は決まった。


「あはは……すぐに帰って来いとさ。お義父さんとお義母さんも呼んで、家族会議するって……」


店内で、シャ乱Qの「いいわけ」が流れる中、通話を終えた井伊は、がっくりと肩を落として二人に伝えた。そして、「今日は悪いけど先に帰る」と彼女に告げて、一人会計を済ませて店を出た。その後ろ姿は、売られていく子牛の様にも見えて、憐れみを誘った。


「上手く誤魔化せるといいですね」


そんな彼の末路に思いを馳せた大将が、一人残った井伊に語り掛けると、彼女は「そうですね」と言って寂しそうに笑った。その上で、手の持っていたビールを一気に飲み干すと、次は焼酎の湯割りを濃いめで追加オーダーしたのだった。

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井伊と和気のいいわけは…… 冬華 @tho-ka

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