後編




 反抗的な青年は、わざわざ鳥居の側まで行って反省した青年の後ろ姿に罵声を浴びせた。


「オマエ、ふざけんな! 何で余計な事するんだ! いいんだって、別に俺達には何の落ち度もねーんだから! こっちが悪いみてーじゃねえか! 大学でも腰巾着のくせによおっ! 臆病風に吹かれやがって! 齧られて泣き喚け、バカ野郎!」


 だが、反省した青年はその声に惑わされることなく、一本道をゆっくりと歩み、ブレることなく足取りを進めていった。


「君は、どうするのかね」


 反抗的な青年に、そう問いかける。


「ああっ? あの気味悪いモノが消えるんだったら、その後帰るに決まってんだろ!」


 鳥居に手をかけ、こちらを振り返った反抗的な青年は、そう怒鳴る。


「自分は何もせずに?」


「アイツがわざわざやんなくてもいーのに勝手にやったんだからよ、知らねーよ」


「そうかね。なら好きにすればよい。

 ただね、ちょっと伝え忘れたことがあるんだが、気になるかね?」


「ならねーよ! もう二度と来ねーし! 腹立つ!」


「そうか。なら仕方ない。まあ、聞かせたところで何か変わる訳でもないしね」


「何だよ、負け惜しみか、神主のくせによ!」


 威勢よく吠える彼は気づいていないようだ。

 鳥居をくぐってぞろぞろぞろぞろ。

 無数の小鬼が潮が満ちるかのように這い寄って来ており、既に彼の足元に至らんとしていることを。


「うわあ、何だ!」


 下半身にびっしり纏わりついた無数の小鬼が一斉に彼の体に噛み付いて、ようやく彼は気づいたようだ。


「痛て、痛ててて、おい、助けろよ、何ボーっと見てんだよ!」


 彼の下半身に纏わりつき彼に噛みつく無数の小鬼。その背をよじ登り更に多くの小鬼が彼の腹へ、上半身へと登って次々に噛みついて行く。

 そんな小鬼たちを払い除けようと彼は手足をバタバタさせるが、小鬼たちの鋭い爪と歯は、彼と彼の衣類に食い込んで離れようとしない。


「おまえ! 松明持ってるんだったらこいつら焼けよ! 他人事みてーに見てんじゃねえ! 人が襲われてるんだぞ!」


 後ろで松明を持っている神職は、その声を聞いても微動だにしない。


「ふざけんな、何デクノボーみたいに突っ立ってるんだ、クソ!」


 そう言うと、上半身までびっしり小鬼にたかられた彼は、神職に向かって走り、神職の持っていた松明を奪い取って自らにたかる小鬼を焼こうと近づけた。


 キーッ!


 火を近づけられた小鬼は怯み離れるどころか、ますますいきり立って彼の体に食いつく。

 パリパリパリパリ、と一つ一つは小さな音だがそれが沢山重なりあって騒々しい。


「何だよこいつら! 焼けねえじゃねえか、尚さら噛みついてきやがる! おい、何とかしろ!」


 そういうと彼は松明を投げ捨て、よろけながら神職に抱き着こうとした。

 自分にたかっている小鬼をなすりつけようという意図だ。 


 だが、彼の体は神職を掴むことが出来ずにすり抜けて境内に転がった。

 彼は一瞬何が起こったのかわからなかったようだ。


 小鬼にたかられながら転がってこちらを見上げ、驚愕した表情で聞いた。


「あ、あんた、いつ……一体、何者なんだ……?」


「それに答える理由があると思うかね」


「あるだろ! 俺達をこんな目に遭わせて突っ立ってるなんて人じゃねえよ!」


 そう、人じゃないのだよ。

 境内に転がった彼には、満ち潮が砂浜を浸すように小鬼どもが群がっていく。


「そんなことより、そうやって寝転がっていると、ますます小鬼にたかられるんじゃないかね」


 そう言った時には彼の全身は小鬼で覆われてしまっていた。


「うわー、やめろやめろやめろ、止めてくれえ!」


 彼はそう叫びながら境内を転げ回る。


「俺が悪かった、すまなかった、今からでもアイツを追っかけるから、責任取らせてもらうから、何とかしてくれえ……」 


 彼の体の下になった小鬼はプチプチと潰れるが、潰れた数以上の小鬼が彼に襲い掛かる。

 彼が身に付けている衣類は既にほとんど小鬼に齧られ無くなっており、小鬼が群がって隠れて見えないが肉も相当喰われてしまっているようで、鉄さびのような匂いが辺りに漂っている。

 潰れた小鬼も他の小鬼が食べており、彼の滴った血も小鬼がぴちゃぴちゃと舐めとっていた。


 いつの間にか彼は大声を出すのをやめていた。

 のたうち回っているからまだ生きている。

 大声を出して口に小鬼が入りこむのを警戒したのかも知れない。




 小鬼に顔までたかられた青年は、自らの体を小鬼が齧るパリパリパリパリという騒々しい不快な音が何層にも重なり響くのを聞いた。

 痛みでははなく、痛痒い。やがて下半身から徐々に痛痒さも感じなくなっていく。

 不快なパリパリパリパリという音の重なりの隙間から、その声だけが遠くから響くように聞こえくる。


 きみ、早く友人が藁面を戻してくれることを祈っているのかね。

 今となっては、それを祈るしか君に手立てはないからね。

 なんで自分で行かなかったんだろうと後悔しているのかね。

 元はと言えば、藁面を燃やすなんてことをしなければ良かったのにね。

 今更だけど、その小鬼は他の人間は襲わないんだよ。

 その小鬼は、君の我欲なんだよ。

 誰もがやらない不文律をあえて破る自分は凄い、禁忌を冒涜する自分は凄い、他者が敢えてやらない他者に対する配慮をかなぐり捨てられる凄い自分を、他者に配慮して生きている多くの有象無象の者たちに知らしめてやりたいという、膨れ上がった我欲なんだよ。

 その我欲は君が連れて来たんだ。君だけの我欲なんだよ。

 実に、実に多いねえ。


 声が木々の間にこだまし、スーッと消えていく。


 残された彼の耳にはパリパリパリパリという無数の不快な音が響いている。






 責任を取ることを決めた青年は、小鬼にたかられながら、ゆっくりと足を進めて一本道を道祖神まで戻っていた。


 足を出すごとにプチプチっと足裏で小さな動くものが潰れる感触。

 たかってきた小鬼が、彼の服をパリパリと食む音。

 時折、襟元から服の中に小鬼が入り込もうとするが、ビクッとはしたものの、あえて除けようともせず我慢していると、何故か興味がなくなったかのように、また襟元から出て行く。

 そうしたものに内心慄きながらも、彼は神主の言ったことを信じて、歩みを止めなかった。

 おそらく僅か100m程の道程だったが、彼にとっては恐ろしく長い距離に感じ、永遠に続くかと思われた。


 地面は小鬼で埋まっていたが、道祖神の石碑には小鬼は一匹もたかっていない。

 彼は左手に松明を持ち換え、左脇に新しい道祖神の藁面を挟み右手で丁寧に焼け残った藁面の灰を払った。

 飛び散った灰が嫌なのか、キーッ、キーッという小鬼の鳴き声が周囲の暗い地面から聞こえた。


 彼は新しい藁面を、丁寧に道祖神の石碑に被せた。

 しっかりと上から押して、藁面を石碑にぴったりと密着させ終えると、突然左手に持っていた松明の火が消えた。


 彼は突然の暗闇に驚愕したが、ここで大声を上げ取り乱す訳にいかないと思い、耐えた。

 少しづつ目が暗闇に慣れると、半月の薄明かりで周囲の様子が何となくわかる。


 地面を覆っていた小鬼の気配はすっかり消えていた。


 彼は、うっすらと見える彼の車に、足元に注意しながらそろそろと近寄る。

 友人に頼まれ「収益が上がったら払ってやるから」と言われ、ガソリン代、高速代も彼が負担してここまで来た。

 友人が藁面を燃やし、彼がそれを撮影していた時に、突然小鬼の群れが現れてにじり寄ってきたのだが、車はその時既に小鬼の群れで覆われていた。

 彼より先に車の反対側に駆け出した友人の後を慌てて追って、彼らはあの神社に逃げ込んだのだ。


 あんな奴でも、友人は友人だ。

 友人を迎えにいってやらないと。

 それに友人は神主さんに散々失礼なことを言っていた。

 なかなか自分の非を認めようとしない奴だが、今回ばかりは神主さんの前で頭を下げ非礼を詫びさせよう。


 そう考えながら車のエンジンをかけ、神社に向かって出発した。


 だが、彼は神社を見つけることができなかった。

 道祖神の石碑から真っ直ぐ100m程度のところに鳥居があったはずなのに、鳥居が見当たらない。

 彼は一度行き過ぎたと思い、再度戻ったが、やはり鳥居は見当たらなかった。

 林を切り開いた一本道は、木々と下草の草叢がずっと続いている。

 藁面を持って戻って来た時は、緊張していて目印になりそうな周りの様子など覚えていられなかった。

 おそらくこの辺りだろう、と言うあたりで車を停め、ヘッドライトの明かりを頼りに辺りを探した。


 暗がりの草むらの中から「ううう……」といううめき声が聞こえた。


 彼は、スマホのライトをつけ、暗い草むらを掻き分けると、草むらに一か所不自然に草が倒れているところを見つけた。

 そこからは、冷えた空気の中、仄かに湯気が立ち昇っている。 


 彼は近寄り、スマホのライトで照らす。


 一見して、友人とは判別できなかった。


 全身の皮と表面の肉全てを齧り取られ、眼球も歯も筋肉組織も剥き出しになった血だらけの人体が仄かな湯気を立ち昇らせ、仰向けで倒れていた。









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