そのお題はクリティカルヒットだった

烏川 ハル

そのお題はクリティカルヒットだった

   

「田中、いったいどうした?」

 昼休みの大学の食堂で友人を見かけた時、僕はちょっと慌ててしまった。

 彼が苦しそうに胸を押さえていたからだ。

 心筋梗塞や心臓発作という言葉を思い浮かべてしまう。それらの病気と食事の因果関係なんて僕は知らないが、例えば「急に血糖値が上がって体調が悪くなる」みたいな話ならば、ありえそうではないか。

 しかし彼の近くまで歩み寄ったところで、僕は呆れ顔になる。心配したのを後悔するほどだった。

 田中が食べかけのトレイの横にはスマホが置いてあり、彼の視線はそちらに向けられていたのだ。

「おい、田中。また例のイベント関連か? 胸が苦しくなるほどか?」

「ああ、その通り。今回のお題、まさに胸に突き刺さったぜ……」

 苦悩の表情を見せながら、田中は深刻そうに返してきた。


 田中は素人小説の執筆や投稿を趣味としており、彼が使っている小説投稿サイトでは、毎年この時期に大きなイベントが行われているらしい。

 週三回、十二時に発表されるテーマに従って即興で小説を書いて投稿する、というものだ。

 食事しながらそのお題を確認するのが、田中のお昼の習慣。実際に彼がテーマ確認しているところを、去年も今年も、僕は既に目撃しているのだが……。


「今年のお題は全部で七つ。今日が最終回で、それが『いいわけ』だったのさ」

「いいわけ……? ごく普通の言葉に思えるけど、それでなぜ胸が痛くなるんだい?」

 僕には意味がわからず、思わず聞き返してしまった。

 すると田中は、苦笑いを浮かべる。

「これまでの六つのお題に対して、俺が書いたのは……」


 彼の説明によると。

 一回目の「本屋」に対して彼が書いたのは、中古本の買取に関する物語。田中にとって中古本を扱う書店は「普通の本屋ではない」という認識だが「でも一般的には中古本のお店も本屋扱いだから」と自分に言い聞かせながら書いたという。

 そして二回目の「ぬいぐるみ」は犬のおもちゃの物語。実家で飼っていたペットの話を元ネタにしたそうだ。肝心のおもちゃは、ふわふわした手触りではないのでぬいぐるみ感は薄いものの、布製だから広義ではぬいぐるみの範疇に違いない。そう自分に言い聞かせながら書いたという。

 三回目の「ぐちゃぐちゃ」は、ちょうど田中がお題を確認していた時、僕もその場にいた。僕も僕なりに考えついたものがあり、アドバイスしたいほどだったが……。

 田中が実際に書いたのは、それとは違っていた。「がちゃがちゃ」「ごちゃごちゃ」という言葉も取り入れて、ダジャレで話を構成したという。いや「取り入れて」どころか、むしろガチャガチャがメインになってしまったが「一応『ぐちゃぐちゃ』も使ったから」と自分に言い聞かせたらしい。

 四回目は「深夜の散歩で起きた出来事」。夜中に急用ができて外出、そこで殺人事件に巻き込まれる……という短編ミステリーを書いたらしい。こうして聞く限りでは、これまでで一番面白そうな内容だが、田中自身は「『夜中に急用ができて外出』だったら、それは理由があって出かけたのだから『散歩』とは呼べないのではないか? 『散歩』はぶらぶら歩くことだから、むしろ理由抜きに出歩くものだろう?」と不満があったそうだ。それでも結局「本来の『散歩』のイメージからは多少外れていても、広い意味ではこれも『散歩』のうち」と自分に言い聞かせたという。

 五回目の「筋肉」は筋肉と贅肉を対比させた物語。書けば書くほど贅肉が中心になってしまい、結局「筋肉」は話のフックに過ぎなかった。これも田中自身は納得いかないまま「一応『筋肉』から始まった物語だから」と自分に言い聞かせる。

 六回目の「アンラッキー7」は、アンラッキーどころかラッキー7の物語になってしまい、作中のセリフで「アンラッキー7」が一回出てきただけ。「幸運も不幸も表裏一体ではないか。セリフでも使ったし、これはこれで『アンラッキー7』のお題を消化したはず」と自分に言い聞かせて……。


「……ん? 要するにこれまでの六回、全部『自分に言い聞かせる』ってしながら書いてきた、ってことか?」

「そう、そこがポイントだ! 今年のイベントの間、俺はずっと無意識のうちに、自分に対して『いいわけ』を繰り返してきたのさ! それが今回、わざわざお題で『いいわけ』って言葉を意識させられたために、はっきり自覚する羽目になったんだ!」

 まるで号泣するかのように、田中はテーブルに突っ伏してしまった。

 もちろん本当に泣いているわけではない。嗚咽の声も聞こえないし、こぼれる涙も全く見えていなかった。

 そもそも食事のトレイを器用に避けている時点で、衝動的な「突っ伏して」とは大違い。ただ「泣くほど悲しい」というポーズを示しているだけだろう。


 そんな友人の姿を冷めた目で見ながら……。

 僕はふと考えてしまう。

 自分に対する「いいわけ」を自覚させられた程度でこれほどの衝撃を受けるなんて、すいぶん田中は繊細なやつではないか。

 あるいは「自分でも納得できない小説を『いいわけ』しながら書いてきた」というのが問題ならば、いわば「作家としてのプライドを傷つけられた」みたいな話にも思えてくる。

 だとしたら、今この瞬間、田中と同じような素人作家がたくさん存在しているのかもしれない。「俺は今まで自分に『いいわけ』していたんだ!」と気づかされて、胸が抉られるような気持ちになる者たちだ。

 そんな連中をあぶりだすために、運営側が「いいわけ」を最終回のお題として設定したのだとしたら……。

 ちょっと意地が悪いような、なかなか狡猾なような。田中愛用の小説投稿サイトに、僕は初めて興味を抱くのだった。




(「そのお題はクリティカルヒットだった」完)

   

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