疫病神が離れない
海沈生物
第1話
ここ七カ月、不幸ばかりが続いている。朝食の卵焼きは真っ黒に焦げるし、部屋の電球が突然点かなくなった。また、仕事場では妙にクレームが多く、店で雇っていたバイトが三人ほど一気に飛んでしまった。「ただの偶然では?」と言われたのなら、確かにそうなのかもしれない。
しかし、それが偶然ではなかったのである。その証拠が今、俺のベッドで惰眠を貪っているこの疫病神である。この神サマは、本人の供述曰く、七カ月前からずっと俺に取り憑いているらしい。それも、どうやら前に憑依していた人間を不幸にしすぎて自殺に追いやってしまった過去がある神らしい。本当にどうしようもないやつだ。
俺は溜息をつくと、眠る疫病神の尻をキックして起こしてやる。
「ん……もう朝か、黒ちゃん?」
「黒ちゃんって誰だよ。お前の
「く、クソ病神サマなんて言い方、酷い……酷すぎない!? 神に対しての尊敬が足りなすぎ! もっと敬えよ、人間!」
「うっせ。人を殺した神なんて敬えるわけねぇだろ、バーカ。頭沸いてんのか?」
「はぁ!? 僕だって、そんな人に災厄をばら撒きたくてばら撒いてるわけじゃないんだからな! そもそも————」
対応が段々と面倒になってきた。俺はベッドの上でぷんすか怒る彼に背中を向けると、さっさと部屋を出る。外に出ると、ホッと息をついた。……まったく、なんで今までまっとうに生きた俺が、疫病神なんて面倒なものに取り憑かれてしまったのだろうか。さっさと離れてほしい。仕事先の嫌いな上司にでも取り憑いてほしい。
そう思っていたら、本当に疫病神がいなくなっていた。家のベッドには皺が寄っていて、彼のいた痕跡が残っていた。部屋のどこにも彼の存在は見当たらなかった。そのことに対して、俺はまず喜ぶべきだった。
「これで、ここ七カ月ずっと起こっていた不幸の連鎖が止まってくれる!」
「明日からは幸福になれる!」
そんな風に喜ぶべきだった。それなのに俺の心は、気管がギュッと締まって息が出来なくなるような、どうしようもない寂しさを覚えていた。嬉しさとは真逆の感情が心の器を溢れてしまって、俺はつい玄関で丸くなってしまった。
もしかして、朝の軽口を少し言い過ぎたのが原因なのか。それとも、寝ているのを無理矢理起こしてしまったのが原因なのか。当人がいなくなってしまった今となっては、その理由は分からない。
ただ過去への「どうしてそうしなかったんだ?」という後悔だけが胸に渦巻き、今すぐに死んでしまいたい気持ちになる。自分のどうしようもなさに吐きそうになる。
しかし、そんな俺の感情をよそにしてドアは普通に開いた。
「ただいまー。今僕が帰ったぞー……って、わぁ!? 黒ちゃん、こんなとこで丸まってどうしたの。もしかして……貧血?」
顔を上げて振り返ると、ドアの前にコンビニの袋を持った疫病神が立っていた。勝手に俺の私服のパーカーとジーパンを着ながら、いつも通りの平然とした顔で立っていた。その姿に思わず泣きそうになったが、グッと堪えた。
「……ち、違うわバカ! いつも”一日分の鉄分ジュース”を飲んでいるんだから、そんなわけないだろ!」
「そ、そんなに怒らなくても良いじゃんバカ! あんまり強い言葉を使うのなら、家出しちゃうからな! こ、こんな家から!」
普段なら「ああ出て行けよ!」と応酬するところなのに、今日に限っては俺はそこから何も言えなくなってしまった。口を閉ざしてしまったことに対して、疫病神は困惑したような顔をしていた。俺はその様子を見て、はぁと溜息をつく。
「……分かった、分かったから。強い言葉を使ってごめんな。だからその、出て行くなんて言うな。分かったな?」
彼は少し困惑したような顔をしていたが、うんと頷いてくれた。その様子に俺は頬を綻ばせると、彼の持っていたコンビニ袋を持ってやる。中身を見ると、そこには大量のアイスが入っていた。
「……なぁお前。このアイス、どうやって買ったんだ?」
「どうやって、って。押し入れの奥にあったキミのへそくりだけど? まぁあんな分かりやすい場所に隠しているものをへそくりと呼ぶのも気が引けるけどね。アハハ!」
「……」
「どうしたの、黒ちゃん……じゃなくて、キミ?」
「……やっぱお前、ここから出ていけっっっ!」
玄関から押し出そうとしたが、俺の隣をするりと抜けて部屋の中へと入り、いつの間にかアイスを食べ始めた。その姿に呆れながらも、俺もあいつが買ってきたアイスを一つ奪い取り、一緒に食べてやることにした。
疫病神が離れない 海沈生物 @sweetmaron1
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