七瀬ちゃんと一緒

一野 蕾

【嫌だと言わせて】


 7、という数字が嫌いだ。

 理由はいくつかある。

 まず一つ、自分の名前が七瀬であること。

 二つ、七月生まれであること。

 そして三つ、毎年七月──つまり誕生月には、あいつら・・・・が来ること。



「……っ……!」


 7が嫌いだ。7なんて数字、この世から消えちゃえ。


 うっすら、目を開ける。

 私は通学に毎朝地下鉄を使う。この路線は乗る人が少なめで、大抵席に座れる。でも今日は、座らなければ良かった。

 膝に置いたリュックを引っ張る手が見える。灰色の小さな右手は、明らかに人のものなんかじゃない。


『七瀬、ちゃん。あそぼー』


 顔に本来あるはずの二つの目はない。おっきな穴の中に、目玉が一つ入っているだけ。目が真ん中にあるから、当然鼻もない。目とは反対に小さな口が、私の名前を呼んでいる。

 私は眠ったふりをして、それを無視していた。いくら人の少ない電車だからって、あからさまに話していられない。というより、絶対に、話したくない。こんな気持ちの悪い存在と会話なんてしたいわけない。

 私の嘘寝なんてお構い無しに、一つ目のそいつはリュックをぐいぐい引っ張り続ける。このままだと膝から落ちちゃう。

 しょうがなく目を開けて、スマホを自分の耳にあてた。


「あぁ、後で、遊ぶね。あとでね。遊ぼう。だから今はやめよ、ね」


 電話をしてるふりをして、リュックを引く手をそっとはがす。一つ目はまだ聞き分けが良くて、私の言葉に大人しく従う。それ以降、私が電車を降りるまで何もちょっかいをかけてはこなかった。駅に着いて、私は走った。一つ目は足が遅かったから、私に追いつくなんてことはできなかった。たとえ学校に行ったって、そいつら・・・・はいなくなってなんてくれない。それでも、私は逃げることをやめられなかった。怖くて、気持ち悪くて。



 七月に入ると、なったその日からそいつらは現れる。

 私以外には見えない。父さんにも、お母さんにも。友達にも、誰も。物心ついた頃にはもうその謎の一ヶ月は必ず訪れるものになっていて、私は昔から七月が大嫌いだった。そいつらは到底人間とは思えないような姿で、私に付きまとう。「遊ぼう」と言う。気味が悪い。気色悪い。でも、誰にも見えないから、誰にも言えなかった。あいつらのせいでずっと苦労してきた。友達に変な子扱いされることもあったし、父さんに心配ばっかかけた。走って逃げてもついてきたり、遊ぶのを断ると酷い剣幕で怒り出したり。窓ガラスが割れた日は怖かった。突然、パリンって。ガラスの破片が足元まで飛んできた。

 怖い。でも七月いっぱいでこれは終わる。毎年そうだから間違いない。耐えるしかない。耐えるしかない。耐えるしかない。耐えるしか、


「いつまで耐えればいいの!」


 玄関の扉を乱暴に閉めて、けたたましい音がする。日陰になった玄関と廊下の静けさに、安心する余裕もないまましゃがみ込んだ。


「もうやだ⋯⋯終わりにしてよ……」


 膝を抱えて俯く。目もつぶる。外は明るくて暑いのに、家の中は寒い。冬のそれとは違う、霊気が満ちてるような薄暗い肌寒さ。


「なんで私だけなの。なにもしてないのに」

『それはね?』


 凍えるような恐怖を覚えて顔をはね上げた。この時間、家には誰もいない。あいつらも、家の中にはすぐに入って来れない。なのに返ってきた返事。

 心臓が痛いくらい拍動してるのを感じる。影になった廊下の奥に、人が──ママが立っていた。


「まま……、ママ?」

『そうよ、七瀬ちゃん。あなたのママよ』


 そう甘く囁いて、ママは黒いワンピースの袖に包まれた両腕を私に差し出す。私は崩れ落ちそうになる足を叩いて、無理やり立ち上がる。


「ママ。もうやめて。ママはもう死んだでしょ」


 リビングにはママの遺影が飾ってある。ママは九年前に亡くなった。今はこの家に父さんと、私と、義母のお母さんが暮らしている。


「もう私に会いにこないで。ママはママだけど、私にはお母さんがいるから」

『やだ、七瀬ちゃん。わたしそんなつまらない話したくないわ』

「ママ」

『なんで七瀬ちゃんはわたしたち・・・・・と遊んでくれないの?』


 結んだ両手を片側の頬に添えて聞いてきたママに、その目線に、ゾッと寒気を覚える。


「遊びたいと、思う? 遊びたいわけない」

『そんなことない。あなた言ってたわ。七歳のとき。ずっと一緒に遊ぼうねって』

「……は……?」

『ああ、安心して! わたしが子供の頃も言ったのよ。みんな優しくて楽しいんだもの。約束、しちゃうわよね』


 言葉を失った。私が、約束したって?

 足首にべちょりと不快感が触れて、飛び退いた。扉の隙間から、なにか濡れたものが入ってきてる。もう家の中に侵入しようとしてる。逃げるようにママの方へ走って、そのままママに向き直った。ママは私より背が大きいのに、更にヒールのある靴も履いてる。八尺様みたいな姿に恐怖心を煽られたけど、そんなの気にしていられない。


「やめるようにいってよママ。私、そんな約束覚えてない! そんな約束果たさなくていい!」


 背後から変な音がする。足音みたいなのと、鼻歌みたいなのも。変な音が重なって奇妙な和音をつくってる。近付いてきてる。

 私が焦ってそう言っても、ママは取り合ってくれない。私を見下ろすだけ。


『あらあ、酷いわ。約束しといて今更ナシですなんて。そんな酷い子に育てた覚えないわあ』

「ママ! お願い、もう嫌なの!」

『わたしはちゃんと約束果たしたの。それなのに、七瀬ちゃんだけ許すの? 七海わたしはダメだったのに? そんなのないわ!!』


 突然ママが激昂した。

 怒ったような顔で、私を声で殴りつけるように叫び出した。


『七海だって嫌だったのよ。でもちゃんと遊んだの。ちゃんと遊びに付き合った。お母さんもそうしてた。おばあちゃんも従ってたって。みんな、みんなそう! だってしょうがないでしょ、七のつく女の子はみんなそうなのよ! あなただけなんて無理よ!』


 ママの声と重なって、声が聞こえる。

 七瀬ちゃん、遊ぼ。


「そ、そんなのおかしいよ! 嫌ならやめればいいじゃん! なんでみんな従うの! もう終わりにしようよ! 七月は終わりにしよう!」

『いや、嫌よ!』

「ママ! お願い!」


 聞いてくれない。ママは長くて綺麗だった髪を散々に掻きむしって、振り乱して、狂乱状態でただずっと首を振っていた。

 もう真後ろから声がする。


「お願いママ! 助けて! ママぁ!」

『……、七瀬ちゃん……あなた、今年で十七歳でしょう?』


 髪を振り乱した状態で静止したママが、ふと私に言った。


『やめたいんでしょう? もう遊びたくないんでしょう。じゃあ十七歳になる日に迎えに来るから。また来るからね、七瀬ちゃん。楽しみにしててね』


 ニタリと笑ったママの口元だけが、最後に見えた。

 どこからともなく風が吹いて、ママの姿が消える。後ろに迫ってたはずのあいつらの気配も消えた。振り向いても、がらんとした廊下が広がってるだけ。とうとう足から力が抜けて、床に座り込んだ。ぐしゃ、と髪を巻き混んで頭を抱える。


「あぁ、あああ……」


 私の誕生日は、七月十三日。

 一週間後だ。





【七瀬ちゃんと一緒】/終

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七瀬ちゃんと一緒 一野 蕾 @ichino__

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