蠅ィ鬟溘>陌ォ、幸で不幸を呼ぶ

三浦常春

蠅ィ鬟溘>陌ォ、幸で不幸を呼ぶ

 なぜ人類は「7」という数字に幸運を見出したか。曰く、宗教に由来するものなのだというが、ならば人類の宗教を信仰していない自分にとっては全くの無関係なのではないか。


 チカチカと眩い光を発しながら、くるくると絵が回転する。一列、二列――。隣の変人が鼻息を荒くして触手を叩いた。


「キッッッッターー!!!!」


 ギュインギュイン。けたたましい音と閃光。ジャラジャラと鋼の玉が降り注ぐ。


「ハッハーッ! さすがは『外なる民』だ。神の視界に入らなければ運もクソもないということか、これは一本取られたな!」

「はあ……」


 バシバシと背中を叩かれながら、改めて液晶の「7」と『パチンコ台』なるものを見下ろした。


 そもそも、隣の変人との出会いはつい数十分前までさかのぼる。


   ■   ■


 『着物』は日常的な衣服でなくなって久しい。かつては、ここ『日本国』の民族衣装として高い占有率を誇っていたが、時を経るにつれて外国の衣装に侵食されていった。


 そんな歴史を知っていなければ、きっと『服』なんてものに目を止めようなどとは思わなかっただろう。


 ぬるぬると這う足を止める。橋の欄干に寄りかかるのは『着物』姿の人間だ。いや、人間の姿こそしているが人間ではない。つい先程寄ってきたコーヒー屋を営む女性――天井に届くほど背の高い白ワンピースの女性と似た存在だろうか。


 むせ返るほどのコーヒー豆の香りを思い出して、口の中にじゅわりと唾液が溜まった。


「あの、だいじょぶ、ですか?」

「……ああ、あそこの」


 持ち上がったのは見知らぬ顔。頭からは毛が伸びていて、顔はツヤツヤと瑞々しい張りに満ちている。


 同じ『着物』姿でも、先日夜道で出会った老人とは別人のようだ。


「その様子だと、随分と繁盛していると見える」


 彼はこちらの手元へ――四本の触腕で大切に抱えた紙袋へと目を遣る。


「コーヒー、飲む?」

「申し出はありがたいが、またの機会にしよう。――それよりも」


 僅かな風の動きとともに、彼は距離を詰める。


 音はなかった。

 足はあるのに。

 足で歩くはずなのに。

 

「パチでスッでしまってなぁ。金、持ってないか」


 親指と人差し指で歪な輪を作りながら、彼はにんまりと笑った。


 それから引きずられるように『パチンコ屋』にやって来て、店内を連れまわされている。


   ■   ■


「もう一回、もう一回だ『外なる民』よ! 今度は少しレートの高い台を狙ってみようぞ。そら、そら!」


 ぐいぐいと背を押されて、新たな台の前へとやって来た。そこで「おや」と思った。


 台を飾るのは見覚えのあるキャラクターたちだ。確か自宅の本棚に入っていたはず。キャラクターたちは色彩から表情まで豊かに彩られている。


 マンガや小説をもとに『アニメーション』を制作する、という事業が存在するという。『パチンコ台』を飾るアニメーションも、その流れに沿ったものだろうか。


 促されるままに「つまみ」を回してゲームを再開する。


 賑やかな声とともにアニメーションが再生されて、ジャラジャラと鋼玉が排出され始める。また『当たった』らしい。


 ジャラジャラ、ジャラジャラ。

 聴覚器官の奥がツンとする。


 ……本当に『当たった』のかしら。玉が止まらないけれど。


 目前に輝くのは「7」の数字。変人は大喜びだが、自分にとっては痛みを呼ぶ数字でしかない。興奮するのは構わないが、背中を叩かないでほしいのだけどなぁ。


「や、やめ……」

「否、大当たりも大当たりだ。これが物欲センサーというものか……? まさか確変電波でも発しているのではあるまいな、『外なる民』よ」

「外なる……なに? 名前?」

「今更か」


 彼は興を削がれたとばかりに溜息を吐く。


「互いに名を知らぬからな。適当に呼ぶしかあるまい」

「蠅ィ鬟溘>陌ォ」

「何だって?」

「…………」


 そうだった。故郷の言葉は人類の言葉とは違うんだった。自分の名前すら通じないだなんて気が滅入ってくる。


 触腕で謝罪の意を表すると、彼はじっと考え込む素振りを見せた。


「『スミ』とでも呼んでおこう。お前の姿は隅っこで縮こまっているやつらと少し似ている」

「ええ……?」

「代わりに私のことは『イナリ』とでも呼ぶがいい。お前がこの地に住まう以上、長い付き合いになるだろう」


 ぴたりと鋼玉が止まると、彼――『イナリ』は受け皿を拾い上げる。どれだけの器が満杯になったかは分からないが、イナリは随分と満足そうだ。


「これは私が片づけておこう。付き合ってくれてありがとう。そら、これは礼だ」


 そう手渡されたのは一つの菓子だ。棒状のスナック菓子。イナリの懐に入っていたからだろうか、体温を感じる。


 ありがとう――そう返そうとすると、イナリは広げた手を突きつけてきた。


「そうそう。いくら通じぬとて、易々と神に名を教えるものではないぞ。名を交わすだけでも縛りになりうる」


 にんまりと怪しげな笑みを浮かべて、彼はひらりと去って行った。手元に残されたのは一つの菓子。パチンコ台は未だに賑やかな声を奏でている。


 日本国の貨幣にまだ親しんでいないけれど、損をしたということは明らかだった。

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