4.偶然

今から三十年前、松本は大学生だった。

松本には、大学二年生の事から、付き合っていた女性がいた。

その女性は、美術部員だった。

その女性に、辻󠄀井さんという美術部員の友達がいた。

辻󠄀井さんは、広田という同じ大学の学生と付き合っていた。

広田の父親は、地元で建設会社を経営していた。

小遣いは、アルバイトをしなくても、充分に持っていた。

ところが、景気後退期に入り、広田の父親は、会社の規模を縮小した。

その頃から、広田の行動が過激になってきた。

「なんか、さっきの話しと違うなあ」

弘は呟いた。


広田は、辻󠄀井さんに、しつこく、付き纏っていた。

身を隠そうとまで思ったそうだ。

松本は、付き合っていた女性から、辻󠄀井さんの相談を受けた。

松本と同じクラスに、谷岡がいた。

谷岡は、美術部員だった。

松本は、谷岡に協力を頼んだ。

谷岡は快く引き受けた。

松本と谷岡は、間に入って仲裁に苦労していた。


ちょうど、春の「四回生展」の頃だった。

谷岡は、隣県の眉山市出身だった。

大学の四年間、栗林市のアパートを借りて住んでいた。

谷岡の友達に春田がいた。

春田も同じ美術部員だった。

春田は、塩出市の出身で、実家から通っていた。

春田は、谷岡のアパートをアトリエにして、一緒に絵を描いていた。

二人は、谷岡のアパートで、春の「四回生展」に出品する作品を描いていた。


ある日、谷岡が部屋を空けた。

春田は、谷岡の部屋で絵を描いていた。


谷岡に松本は、一緒に広田と会ってくれと云って来たのだ。

ところが、広田は、待ち合わせ場所に来なかった。

松本の付き合っていた女性に、伝言していた。

広田は、辻󠄀井さんを諦める。という事だった。

そして、広田は、大学を中退した。


谷岡が、拍子抜けした。


アパートへ帰り、部屋に入って、愕然とした。

キャンバスが床に落ち、イーゼルが転げていた。

血だらけの床に、春田が倒れていた。

谷岡は、慌てて救急車を呼んだ。


救急車と同時に、パトカーが何台も到着した。

その頃から、辺りは、騒然となった。

春田は、救急車で病院へ運ばれた。

谷岡は、警察から事情聴取された。

春田は、既に死亡していた。


現場検証や事情聴取で、落ち着かない一ヶ月が過ぎた。

血糊の付いた、春田と谷岡の絵も返却された。


その際、谷岡は、暫く松本のアパートに居候していた。


予定通り、「四回生展」を開いたが、谷岡は

を出品しなかった。


そして、秋になり、「卒展」の時期になり、谷岡も出品した。

ただ、「卒展」に、谷岡が出品したのは、「八ツ手」だった。

「八ツ手」は、春田の作品だった。

谷岡は、春田の「八ツ手」を完成させた。

春田の作品を出品したのだった。

供養のつもりだった。


その後、谷岡は、地元の企業に就職した。

谷岡は、辻󠄀井さんが卒業するのを待って結婚した。


谷岡は、二人の男の子を授かった。

次男が透だ。

透が十歳の時、谷岡は病死した。

透は、その写真を見ていたのだろう。

「これが、当時の写真です。三十年前、インスタントカメラで撮ったんで、色落ちしてるけど」

松本は、「八ツ手」の絵を何枚か写真に撮っていた。

写真に写った「八ツ手」は、「卒展」に宮崎が出品した「八ツ手」と、ほぼ同じだ。

今、画廊にある「八ツ手」は、宮崎が、盗作した。というより、谷岡が完成させた「八ツ手」を上からなぞっただけだ。

もう一枚は、「八ツ手」の未完成の絵だ。

まだ、深緑の精密な葉は下描きの状態のようだ。

何ヶ所か、下地が剥き出しになっている。

「それは、血糊を削った写真です」

松本さんが説明した。


弘は、最後の写真を見た。

あっ!

春田が殺害されて、血の飛び散った「八ツ手」の絵だ。

弘は、「八ツ手」の根本に、手のひらが見えていた。

吐き気がした。気持ちが悪い。

写真に写った「八ツ手」の根本に、はっきりと、赤黒い手形が付いている。

「春田が殺されていた時の絵です」

弘には、この手形が見えたのだろうか。

もしかしたら、広田は、この血糊の手形を忘れられなかったのかもしれない。


三十年前、広田は、春田を谷岡と間違えて、殺害した。

宮崎は、これも偶然だが、広田の会社に就職が決まっていた。

宮崎は、広田に「卒展」の事を喋っていた。

出品した作品は、「八ツ手」だと伝えていた。

宮崎の携帯に広田から連絡があった。

「卒展」の翌日だった。

広田も気になったのだろう。

宮崎は、「八ツ手」が谷岡という男に、売約済になった事を伝えた。


「八ツ手」に興味を持っている谷岡といえば、思い当たりがあった。

どうやって、谷岡を探し出したのか分からない。

これも、想像だが、谷岡透を殺害したのは、広田だろう。


数日後。

広田の遺体が、旭寺山で発見された。

大きな柿の木で、クビを吊って自殺していた。

遺書は、無かった。

だから、真相は分からない。


柿の木の根本に、八ツ手が茂っていたとか、いなかったとか。

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八ツ手 真島 タカシ @mashima-t

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