私の恋は、祝福されない

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第01話:私の恋は、祝福されない

 メッセージ受信の通知音。それを聞いただけで心が跳ねる。きっとメッセージは大好きなあの人から。


 薄暗い寝室の中、枕もとのスマホを手探りで探す。


 送信者には『ユウマ』の文字。思わずスマホを抱きしめてしまう。どうやら25歳になっても心は乙女のままらしい。


 届いたメッセージは『まだ起きてる? ……寝てたらゴメン』なんていう大したことのないものだけど、それだけで私の頬は緩んでしまうんだ。


 私は高鳴る気持ちを抑えて『何か用?』と素っ気ないメッセージを返した。


 すぐに『莉緒りおちゃんの声が聞きたいんだけど……』と返ってくる。読んだ瞬間、胸が高鳴った。


 咄嗟に『私もあなたの声が聞きたい』と打ち込むけれど、送信せずに文字を消した。同じように何度も何度も文字を打っては消す。そして、しばらく悩んでから『明日も早いから無理』とだけ返信すると、スマホを放り投げて枕に顔を押し付けた。


 胸が苦しいよ。


 声が聞きたいって素直に伝えられたらどんなに良いだろう? 顔が見たいって伝えられたら、大好きだって伝えられたら、どんなに嬉しいだろう? でも、そんなことはできない。そんなことをしたらすべてが終わってしまうと解っているから。


 ユウマには恋人がいる。もちろん私のことじゃない。その事実だけでも、私の恋が祝福されないものだってことは理解している。だから、私は自分の恋心をひた隠しにするんだ。


 行き場のない気持ちが苦しくて。満たされない想いが悲しくて。


 いっそあの人のことを忘れられれば楽なのに。でも、絶対に忘れたくなんてない。私の心なのに、どうして私の思い通りにならないのだろう?


 沼ってるな、私。そんなことをぼんやりと考えながら、私は眠りに落ちていった。



 ***



 中学からの親友であるさやかに彼氏を紹介されたのは、もう3か月も前のことになる。


 会社帰り、待ち合わせ場所のカフェに着くと、さやかの隣に見知らぬ男性が座っていた。


「紹介するね! わたしの彼氏の悠真ゆうまくんでーす」


 そう言われて男性が「初めまして。悠真です」と会釈をした。私も「どうも」と会釈を返す。


 悠真の背は高く、見た目も一般的にはカッコいい部類に入ると言っても良い。しかし、どこかチャラそうな雰囲気があり、第一印象は正直なところいけ好かない男だった。おとなしくて気弱なさやかとは不似合いな男だと感じた。


 話をすれば話をするほどに、不似合いだという印象はさらに深まった。さやかと悠真では性格も趣味も違いすぎていて、とても共通の話題や価値観があるようには思えなかった。例えば、さやかの趣味は小説だけれど、悠真の趣味はバイクとキャンプらしく小説なんて読んだことすらないそうだ。いったいさやかは悠真のどこに惹かれたのだろうか?


 私は頭が痛くなってきて「ちょっとメイク直してくる」と逃げるように席を立つ。すると「私も」とさやかも席を立った。


 化粧室に入ると、さやかが話を切り出す。


「ねぇ、莉緒。悠真くんのこと、どう思う? カッコよくない?」


「まぁまぁ、ね」いけ好かないと正直に感想を伝えるのははばかられた。


「辛口だなー」と笑ったさやかが「あ、でも」と声のトーンを落とした。「莉緒まで悠真くんのことを好きになっちゃいそうで心配だな。悠真くんって天然のたらしでよく女の子を沼らせてるみたいだから」


「大丈夫。私は彼に惚れたりなんてしないって」


 さやかの不安を払拭するように、私は笑い飛ばした。とは言え、まだまだ心配そうなさやかのことを考えれば、これ以上は私と悠真の接点を増やさない方が良いだろう。私たちは席に戻ると早々に場を切り上げた。


 その日の帰り道、初めて私のスマホに『ユウマ』からメッセージが届いた。



 ***



 時折送られてくるユウマからのメッセージ。最初は数日おき。いつの間にか1日おきになり、気づいたときには毎日になっていた。


 当初は困惑しかしなかったそれは、いつのまにか私の心の隙間にするりと入り込んでいき、私の日々の楽しみになっていった。


 ユウマの何気ない一言で、私は一喜一憂する。


『少し髪切った? すごく可愛いよ』


『何かあった? 俺で良ければ話を聞かせてよ』


『莉緒ちゃんと話している時間が一番落ち着くよ』


 私は自分の気持ちを隠すようにして素っ気ないメッセージを返す。それでも『次は二人きりで会いたいよ』なんて送ってこられた時には、本当に二人きりで会う妄想をして嬉しさのあまりに手足をジタバタとさせてしまう。


 でも、現実で二人きりになることなんてありえない。出会うときは、さやかと悠真と私の三人で一セットだ。人目もはばからず仲睦まじくしているさやかと悠真を見ていると、胸の奥が切り刻まれたように痛み、膿んでしまったように熱を持つ。

『次は二人きりで会いたいよ』だなんて耳障りの良い嘘だったと思い知らされるけれど、私は気づかないふりをして心地の良い嘘に何度も騙される。


 私の抱えるこの恋心は、決して報われない片思いだと解っている。苦しくて辛いこともあるけれど、それ以上に暖かくて優しい気持ちになれるから。好きになったことに後悔は無いし、これからも好きでい続けたいと思っている。



 ***



 ある日のこと。カフェでたわいもない話をしていると、悠真が爆弾発言をした。


「この間、会社の後輩とデートしたんだけどさ


 さやかと私は急なカミングアウトにぽかんとしてしまったのだが、その間にも悠真は「ふと手を繋がれちゃったんだ」とか「時計をプレゼントしてもらった」とか、自分がどれだけその女の子に愛されているかをアピールしていた。


 さやかがやっとといった感じで言葉を発した。


「何それ。なんの冗談?」


「冗談なんかじゃないよ。さやかも彼氏がモテて鼻が高いでしょ」


 武勇伝のように語る悠真。それを見て、さやかが泣きそうな顔をしながら声を荒げた。


「ふざけないでよ!」


 そこからさやかと悠真の言い争いが始まった。浮気だと非難するさやかと、この程度で浮気になるはずがないという悠真。話は平行線のまま、二人は段々とヒートアップしていった。


 その光景を目の当たりにしながら、私はぼーっと考える。このまま二人が別れてしまえば、私の想いが報われるチャンスがやってきたりするのだろうか? 親友とその彼氏が大ゲンカをしているのに私は自分のことばかり考えている。最低だ。私は自己嫌悪に陥る。


 さやかと悠真のケンカは、ついに終盤を迎える。さやかは椅子を弾き飛ばすようにして立ち上がると、悠真の頬に思い切りビンタをお見舞いする。


「最っ低! もう悠真くんのことなんて知らない!」


 そう言ってさやかはカフェの出口へと向かった。


 私は、さやかの背中と呆然とする悠真の顔を見比べてから、さやかの後を追うことにした。


 さやかはボロボロと泣きじゃくっていた。私はさやかをなだめながらタクシーを止めると、彼女を乗せて家まで送ることにする。さやかの家に着いてからも、さやかが落ち着くまで私は話を聞き続けた。


 私が家に着いたのは日付が変わろうとしている時分だった。着替えを終えてベッドに腰をかけると、スマホがメッセージ受信の通知音を奏でた。ユウマからのメッセージだ。


『もう俺たち別れようと思う……』


 そのメッセージを見て、私はショックを受けるとともに、心のどこかで望んでいた展開に胸を躍らせていた。



 ***



 私は重大な岐路に立たされていた。


 親友の恋を応援するために、ケンカした二人の仲を取り持つべきか。それとも、愛する人を手に入れるチャンスだと考えて二人が別れるように仕向けるべきか。単純に言ってしまえば、友情と愛情のどちらを取るかという問題だ。私はどうするべきなのだろうか?


 ユウマは相変わらずメッセージで『別れるつもりでいる』とか『莉緒ちゃんと付き合いたい』とか調子の良い言葉を並べている。けれど、実際に別れるに至らないところを見るかぎり、未練たらたらで関係を修復したいという思いが透けて見えるようだった。


「どうしたの? 急に黙り込んじゃってー」


 さやかの声で私は我に返った。私は自室のベッドの上でスマホを片手に寝ころんでいた。スマホの受話口からは「もしもーし。聞こえるー?」とさやかの声が聞こえる。


 私は慌ててさやかに謝罪する。「ゴメン、ちょっと考え事してた」


「ちょっとー、ちゃんとわたしの話を聞いててよねー」


「うん。気をつける」


「じゃー、許してあげる」


 そうして、またさやかの悠真に対する愚痴を延々と聞かされ続ける。私は話の合間に相槌を打つだけになっていた。


 不意にさやかが私に質問を投げかけてきた。


「ねえ、莉緒。ぶっちゃけて、わたしと悠真くんって別れた方が良いと思う?」


「それは――」私は言葉に詰まる。正直、その質問の答えは私も誰かに教えてほしいくらいだった。


 私の気持ちを知らずに、さやかが言葉を続ける。


「莉緒の意見が聞きたいの。もうわたしだけじゃどうすれば良いか判らなくて」


 たぶん、さやかは悠真との交際を続けたいと思っている。でも、私は――。


 友情をとるか、愛情をとるか。


 私はひとつ深呼吸をすると意を決して自分の意見を口にした。



 ***



 先日と同じカフェに集まった私たちは、コーヒーをふたつと、ココアをひとつ注文した。ウェイターが去るのを確認したところで悠真が口火を切った。


「ごめんな、さやか。俺が無神経だったよ」


「わたしこそ叩いちゃったりしてゴメンなさい」


 思いの外すなおに謝罪の言葉を述べる二人を見て、私はホッと胸を撫でおろした。この1週間、奔走した甲斐があったというものだ。


 結局、私はさやかと悠真が交際を続けることを望んだ。私の恋心を成就させるよりも、さやかが笑顔でいることを選んだ。


 仲直りして幸せそうに笑うふたりを見ていると、これで良かったのだと感じる反面、私の心に巣食う恋心が悲鳴をあげてじゅくじゅくと血を流す。


 私の目に浮かんだ涙が、嬉しさからあふれたものなのか、悲しさからあふれたものなのか判らなかった。


「ごめん、この後、用事があるんだ」そう言って悠真は先に帰っていった。


「それじゃ、私たちも帰ろっか」私が提案すると、さやかが「もう少しだけ時間もらっても良い?」と問う。


「うん、大丈夫だよ」


 さやかは神妙な顔をしていた。次の言葉を発するまで1分はかかったと思う。


「実は、わたし、莉緒に謝らなきゃいけないことがあるの」そう言ってさやかはうつむいた。そうして黙り込む。


 謝らなきゃいけないことっていったい何だろう? 考えを巡らせてみるが、思い当たることはなかった。


 さやかの言葉の続きが気になるけれど、急かせるような雰囲気ではなかったから、私は冷めたコーヒーを飲みながらじっくりと待つことにした。


 しばらくして、さやかが重い口を開いた。


「わたし、莉緒のことを試してたんだ」


「試すって、何を?」


「莉緒が悠真くんと浮気したりしないかを」さやかが顔をあげて私と目を合わせた。「ほら、悠真くんってあんなでしょ? だから、たぶん悠真くんはいつか莉緒にも手を出そうとすると思うの。そうなった時に莉緒が悠真くんの誘惑に負けないか試したの」


 さやかは一呼吸おいた。「莉緒がメッセージをやり取りしている『ユウマ』って、実はわたしなの。悠真くんに成りすましたわたしなんだ」


 さやかの告白に、わたしは「えぇっ!?」と声をあげた。


 私の手をさやかの手が包むようにして握った。


「悠真くんに成りすました私が色々な甘い言葉で誘惑したのに、莉緒ってばいつも気のない返事ばかりで、なんか安心した。莉緒なら悠真くんと浮気しないって信じられるよ。疑ったり試すようなことをしたりしてゴメンなさい」


「そんなこと、気にしなくていいのに」と私は言う。最初からユウマがさやかだってことに気づいていたことは言わなかった。


 まさか私が、さやかからのメッセージを、悠真なんかのものと間違えるはずがないのに。ただでさえさやかの打つ文章は、三点リーダが2つ連続で使われていたり、疑問符や感嘆符の後にスペースが入れられていたりと、小説的で判り易いのだから。そんな文章、小説を全く読まない悠真には書けないはずだ。


 ダメな男にひっかかったり、私を騙せているつもりになったり、さやかは本当にダメなところばかりで、本当に可愛い。本当に、愛しい。だから、私はさやかの沼から抜け出せない。


 私はあふれ出す自分の恋心を噛みしめながら、最愛の人さやかの手を握り返した。

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