福よ来たれり

深雪 了

福よ来たれり

 昔、今よりも人々の信仰心が強かった頃。そして医術がほとんど発達していなかった頃。

とある村に、その手で触れただけであらゆる病も怪我も治してしまう少女がいた。

当然村人達は少女を神の使い、あるいは神そのものだと崇め、少女のもとには連日様々な患い人が訪れた。


しかしその日少女を訪ねた若い男は、別のよこしまな目的を腹に持っていた。

透き通るような美貌を持つその少女を手籠めにしようと策略していたのだ。


今日日きょうびはいかがされたか」


二十畳ほどある畳の間に入って来た男に、紫のやや透けた仕切り布の奥に居た少女は声を掛けた。彼女は上等な着物を着ていた。彼女の声は美しく、しかし芯の通った声だった。


「いやあ、今朝からどうも腹が痛んで仕方ないんです。なかなかおさまらないもんで、何か大きな病気じゃねえかと心配でしょうがないんですよ」


男は出来る限りの演技をして少女に訴えた。その男を、少女は透ける紫を通して見つめた。真っ直ぐな、凛とした視線だった。その揺らがない視線に男は少したじろいだ。


十数秒程だっただろうか。男を見つめていた少女はふっと視線を下ろすと、自身の背後の抽斗ひきだしから何かを取り出し、再び男と向かい合う形になると自分の正面にそれを置いた。紫の向こうで正座した少女は手元をスッスッと何度か動かしていた。


そして彼女は弄っていたものをそっと手に持つと、紫をわずかにめくり男の方へと差し出した。怪訝に思った男が近寄りそれを見ると、畳に置かれたそれはどうやら福笑いのようだった。


しかしおかしかった。少女は手許を見ながらこれを作っていたはずなのに、目隠しをして遊んだみたいに顔のあらゆるパーツがだった。それにこんなものを寄越してきた意味が分からない。男が困惑していると、少女は男の横にあった鏡を指し、見てみよ、と男に告げた。


言われた通り男が鏡を見ると、—そこには信じられないものが映っていた。

男の顔は、悲惨な状態になっていた。目や鼻といったあらゆる顔の部位がめちゃくちゃな位置にくっついていたのだ。


目があるはずの場所には口と右耳が、鼻の場所には左目が、唇は左耳に変わっていて、顔の左右には右目と鼻が付いていた。それも差し出された福笑いのように、向きがてんでばらばらだった。


男は顔を覆い、つんざくような叫び声を上げた。そのまま屋敷を逃げ出し、がむしゃらに外に向かって走って行く。男の思考はめちゃくちゃだった。今目にしたものを信じられない気持ちと絶望感とで気がふれそうだった。


しかし顔を覆ったまま外を走るのは危険な行為だった。がむしゃらに走った男は村のはずれまで逃げ込んでいて、崖沿いを駆けていた男は足をすべらせると、二度目の絶叫と共にはるか下へと落下して行った。むごいことだが、とても助かるような高さではなかった。



一方、屋敷の少女は全てが見えているかのような静かな眼差しで鏡を見つめていた。やがて何かを見終わったかのようにふっと鏡から視線を戻すと、置いてあった「ヒトの顔をしていない」福笑いを手に取り、紫の中に入ると、それを元あった抽斗に入れて蓋をそっと閉めた。

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福よ来たれり 深雪 了 @ryo_naoi

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