父と母、わたし

黒白 黎

繰り返す

 商店街の通りに小さなお店がある。昔、喫茶店だったという話を父方から聞いていた。

「この店は異次元につながっているんだ」

 昔話を語るかのように父はそう言い聞かせていた。父が母と離婚した後、その話は遠い世界のように消えてしまった。もう一度、思い出した時には私が大学生を卒業し、この町へ戻ってきたころだった。

 心機一転、仕事が決まり、地元に戻ってきた。母と引っ越し、父とは連絡することなく遠い昔に忘れ去られてしまっていたのを思い出し、もう一度連絡を取った。

 すると、すぐ返事が返ってきた。

「よお、珍しいな。お前から連絡するなんて」

「うん。会いたいなーとおもって」

「戻って来たのか。母さんは?」

「母は、アパートにいるよ。私は、仕事がてら、父に会おうかなーって」

「まーべつにええーよ」

「そう、わかった」

 電話を切って、仕事の途中にある父の家に寄った。父の家は、昔と変わらず家族三人で暮らした憩いの聖域。学校からやや遠いこともあってよく父の車に乗せてもらい、バス停まで送り迎えしてもらっていた日々を思い出していた。父とよく他愛ない話をしながらよく来ていたっけ。中学になると、父は母からへそくりをしていたことがバレ、離婚した。当時は大事件のように取り扱ったけど、今から思えば笑い話だ。しかも、へそくりしていたのは、父が昔から車を買い替えたいと思っていただけっていうね、ほんとう母の大雑把で自己中なところは大変だったなと思った。

 父の家に着くと、随分と昔とは変わっていた。

 庭は母の趣味で作っていたが、今では草や木でボーボーで見渡す限り放置したままのようだ。いきなり、私が来たなんて、父はどんな顔をするのやら。

 ピンポーンとチャイムを押した。しばらく待ったが、出てくる気配がない。もしかして、出かけているのかな?

 家の地下には車を置くスペースがある。みんなは車庫と呼んでいたけど、私と父だけは倉庫と呼んでいたっけ。倉庫に行ってみると、車はなかった。やっぱ出かけているのかな。

 もう一度連絡すると、すぐに返事が来た。

「よお、珍しいな。お前から連絡するなんて」

「うん、会いたいなーと思って。ところで、いま出かけているの?」

「戻って来たのか。母さんはいるのか?」

「んー家で留守番かなー。私は仕事の行く途中で、いまなら会えるかなって思ってね。ところで、随分と家の周りが草や木で生い茂っているけど、それだけ忙しかったかなー」

「まーべつにええーよ」

 なんか、会話がかみ合わない。返事を返す間もなく、連絡は途切れた。

 おかしいな、と思いながらも父と会いたかったが、この日は断念した。すぐに現場に戻らないと、上司に怒られてしまうから。


 日を開けて、ようやく昼間時間がとることができた。

 あれ以来、仕事が忙しく連絡する余裕がとれなかった。父は待ちくたびれているかなーと思って連絡する。

「よお、珍しいな。お前から連絡するなんて」

「うん。前にも話したけどね」

「戻って来たのか。母さんはいるのか?」

「ねえ、前にも同じことを聞いたよね。父はいまどこにいるの? 家で待っているのにちっとも連絡もしないし、ずっと留守だよ」

「まーべつにええーよ」

 ガチャリと切れた。やはりおかしい。

 もしかしたら、どこかに閉じ込められていて毎度同じ内容を話しているのかもしれない。私はいてもたってもいられず、仕事のことを忘れて、交番に駆け込み、事情を話した後、母に連絡を取ると信じられないことを耳にした。


 なんで、忘れていたんだろう。

 父と母は離婚したと思い込んでいた。

 父はあの日、私をバス停に送った後、事故に遭い亡くなってしまったんだ。父と母と喧嘩していたのはその数日前のことで、離婚どうのうと騒いでいたのだ。私は日を前後に変えてしまっていた。父が亡くなっていることを忘れ、母と一緒にアパートへと引っ越した。父がいた家は今は空き家で、管理人は上司の友人が管理しているという。

 父が最後話していた会話が脳裏にちらつく。

「この店は異次元につながっているんだ」

 母と喧嘩して離婚を話し合った次の日、幸いにも日曜日だったため、父が思い出の場所として語ってくれたこの場所。商店街の喫茶店。今ではすっかりさびれ、当時の面影は瓦礫の山となっていた。だけど、父との思い出を取り戻していくうちに、ここに来れば会えるのではないかと思いすがった。

 扉を開け――目の前に現れた男性を前にして涙を浮かべた。消え失せる霧のように霞のようにその男性はゆらゆらと揺れていた。だけど実態はそこにある。私は手に触れようとしたがその幻影が消えてしまいそうな気がして、手を触れることを拒んだ。

 スマホを耳に当てて連絡する。

「よお、珍しいな。お前から連絡するなんて」

 幻影でもいい、いままさに目の前でその男が口を開き会話をしている。私はその光景を目に残すようにじっと見つめながら会話を続ける。

「久しぶりに会いたないなーって」

 涙で姿がぼやける。涙声がかすれる。

「戻って来たのか。母さんはいるのか?」

 父の声にうんうんと頷く。

「お前が元気そうでよかったよ」

 初めて違うことを言ってくれた。スマホがポロリと手から滑り落ち、地面へと落下した。慌ててスマホを手に取り、耳に当てながら目の前にいる男性に目を向けたが、そこは瓦礫があるだけで、誰もいなかった。

「やっぱー夢だったんだなー」

 なんだか満足げな笑みを浮かべながら帰ろうとしたとき、背後から「まーべつにええーよ」と聞こえ、振り返ることなく町を後にした。

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父と母、わたし 黒白 黎 @KurosihiroRei

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