第26話 変化する日常

 開店二十分前の午前九時四十分、慌ただしく起床。

 三階にある寝室を出て、階段を下り、一階の事務所に移動。



 ──したところで、いつもとは違っている事に気付く。

 事務所から、何やら人の気配がした。


 昨夜、ベリスの愚痴に遅くまで付き合わされたせいで、まだ眠い。

 恐らくだが、いつも以上に寝ぼけた顔をしているだろう。

 目覚めても未だ晴れない頭のせいで、勘違いしたかと思ったが⋯⋯気のせいじゃなかった。


 ドアを開けると、そこにいたのはカレーナだった。


 彼女はデスクの拭き掃除をしていたが、俺に気が付くと、笑顔と共に挨拶を寄越した。


「あ、シモンおはよう。不用心ね、鍵が開けっ放しだったわよ?」


「おはよう⋯⋯まぁ、取られて困る物も無くてね」


 俺は彼女の側へ歩み寄り、無言でソファーを指し、着席を促した。

 カレーナは抵抗する様子も見せず、おとなしく座る。


 対面に腰を掛け、事情聴取を始めた。


「なぜ君がここに?」


「ここで働かせて欲しくて」


「ダメだ」


「えっ? どうして?」


 俺の返答に『まさか拒否されるとは思っていなかった』といった感じでカレーナが驚いている。

 その自信はどこから来るのか⋯⋯。


「どうしても何も、ここは皇女様が働くような場所じゃない」


 それなりに常連客はいるが、ハッキリ言って安定した仕事とは言い難い。

 もっと言えば皇女たるカレーナなら、仕事なんて不要のはずだ。

 わざわざ、こんな不安定な仕事に従事する必要性なんて一切無いはずだ。



 俺の強い拒否を受けても、彼女は諦めることなく次の提案をしてきた。


「じゃあ、こういうのはどうかしら? 貴方を社長として毎日レンタルして、私がそこで事務員として働くの。雇い主兼従業員ね」


「⋯⋯ややこしいし、ダメだ。大体レンタル料はどこから捻出する気だ?」


「市井で働くための研修費として父に請求するわ。この件は父も賛成してるし」


「皇帝陛下が?」


「そうよ、あのあと色々と考えて、相談したの。これからの皇家の在り方を」



 彼女の話によると⋯⋯。


 今回の騒動を受け、未だに種族共存主義が浸透しきっていないことに、皇帝陛下は心を痛めた。

 特に、端を発したのがヴァイスによる、名家としての驕りからくる選民思想的な発想だったことについて、強く危機感を持ったとの事だ。

 

 そこで皇家として親しみやすさをアピールする為に、カレーナを市井で働かせようと考えたらしい。


「これからの時代は、尊敬されつつも親しみやすい皇家を目指す⋯⋯って事みたい」


「はぁ⋯⋯」


「で、代々の言い伝え通りにしよう、って」


「というと?」


「困ったときは『レンタル魔王』に助けて貰おう! って言ってたわ。今回の父の決断は、少しでも差別意識を減らし、親しみやすい皇家を目指すためなのよ? シモンなら協力してくれるわよね?」


「⋯⋯だが、君がここで働くと目立ちすぎるから」


「あら、私が来た日、シモンは集客のために魔王を名乗っているって言ってたわ。目立つなら好都合じゃない。私が貢献できる証拠ってことでしょう?」


「⋯⋯まぁ、そう、なのかな?」


「貴方とエレオノーラ様が始めた物語⋯⋯種族共存に、私も協力したいの⋯⋯貴方の側で。皇家が少しでも庶民的になるのは、そのさらなる一歩よ」


「うーん⋯⋯」


 それを言われてしまうと弱い。


 何だか、外堀が埋められている気がする。

 俺が手を組んで思案していると、カレーナはすっと立ち上がった。


「貴方がそろそろ起きてくると思って準備してたの。ちょっと待ってて」


 彼女はポットとカップを手にして戻ってきた。

 そのまま俺の前にカップを置き、茶を注いだ。


 ──どんどん彼女のペースに巻き込まれている気がする。

 この感覚は何だか身に覚えがある、気がする。


 少し落ち着こうと考え、俺は出されたお茶を啜った──瞬間、それが求めてやまない物だと気が付いた。

 考える前に、質問が口をついて出た。


「カレーナ、君は誰にお茶の淹れ方を習った?」


 俺の態度に思うところでもあったのか、カレーナは再びソファーに座り、こちらを見ながら言った。


「ふふ、美味しいでしょう? 子供の頃から母に習っていたから、ちょっと自信があるのよ。貴方の淹れてくれたお茶もなかなかだったけど⋯⋯私も得意分野よ」


「母親から?」


「ええ。皇家に生まれた女性は、代々母からお茶の淹れ方を学ぶんだって。母は父の許嫁に決まってすぐ、祖母から習ったらしいわ」


「ちなみに⋯⋯どんな事を習った?」


「道具、茶葉の選定、お湯の温度、蒸らし時間、カップの温め方、注ぎ方⋯⋯あ、それも時期や気候によって変わるし、一朝一夕で身に付けるのは無理ね」


 俺が興味を示したからか、カレーナは自信ありげに告げた。

 今言われた要素の幾つかについて、俺は考えたことも無かった。


「なるほど⋯⋯」


「でも何よりも大事なのは──」


 生徒に講義するように、カレーナは指を一本立てた。






「──相手に美味しく飲んでほしい、その気持ちを込める事よ」




 ⋯⋯なるほど、と心から思わされた。


 それなら、彼女たちの淹れる茶に敵わないのも納得だ。

 俺はエレオノーラが淹れてくれた、茶の味を再現しようとばかり考え、誰かに飲んで貰おうなんて一度も思わなかった。



 それはもしかしたら──俺が過去に囚われすぎてしまい、あの日始めた物語を進めようとせず、思い出に浸り続けている証拠なのかも知れない。



『このポットでお茶を淹れて、たまには私を思い出して』


 エレオノーラの言葉が脳裏をよぎる。


 そう言われるまでもなく、忘れられない思い出だ。

 そして、忘れなければいい。

 だが⋯⋯それに囚われて停滞してはいけない。


 仮面帝の出自について、彼女が俺に真実を残さなかったのも、きっとその為だろう。



 もう一度茶を口にして、カップを置いた。


「カレーナ」


「はい」


 俺の声色から、大事な事を言おうとしてると捉えたのだろう。

 カレーナの返事には、緊張感が混ざっていた。


「報酬についてはあとで話すとして⋯⋯君を雇用するにあたって、条件がある」


「⋯⋯! は、はい!」


「出勤したら、まず最初にお茶を用意してくれ」


 カレーナは拍子抜けしたのか、ぽかんとした表情になった。


「⋯⋯そんな事でいいの? 冗談じゃないわよね?」


「ああ」


 俺が本気で言っている事が伝わったのか、カレーナはたちまち相好そうごうを崩した。


「ふふふ、お安い御用だわ。母に感謝しなくっちゃ」


 嬉しそうにする彼女を眺めながら、再び俺が茶を飲んでいると⋯⋯。

 カレーナは何かに気が付いたように「あっ」っと一言呟くと、そのまま話し始めた。


「さっき報酬の話しをしたでしょう?」


「ああ、それも話さないとな」


「うん、でも⋯⋯早起きした甲斐があったわ。もう既に──ちょっとした報酬を貰った気分だもの」


「⋯⋯どういう事だ?」


 彼女が言っている事の意味がわからず、俺は思わず聞き返した。

 困惑する俺をよそに、彼女は手で口元を押さえ、肩を揺らし始めた。



「だってシモン。貴方ってあの日、弱っていそうな時も、ずっと澄ました顔をしてたから⋯⋯意外で⋯⋯」


「意外? 何が?」


 俺の態度がよっぽど可笑しかったのか、それとも別の理由があったからなのか。

 彼女はしばらく一人で笑っていたが──やがて、心からの微笑みと、慈しみを込めた眼差しを俺に向けながら、嬉しそうに囁いた。






「貴方の寝起きの顔って──とっても可愛いわ、シモン」






 ─了─




──────────────────────


当初の構想まで執筆しましたので

『レンタル魔王』これにて終幕です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。



「面白かった!」

「続きが読みたい!」


と思って頂けたなら、是非作品のフォローや★などで応援してください!



一人でも多くの方に読んで頂けるのが、一番の執筆へのモチベーションになりますので、ご協力よろしくお願いします!


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『レンタル魔王』は本日も大好評貸出中~婚約破棄騒ぎで話題の皇家令嬢に『1日恋人』を依頼されたので、連れ戻そうと追いかけてくる騎士団を撃退しつつデートする事になりました~ 長谷川凸蔵@『俺追』コミカライズ連載中 @Totsuzou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ