蠅ィ鬟溘>陌ォ、人類の指南書を見る
三浦常春
蠅ィ鬟溘>陌ォ、人類の指南書を見る
ラジオ体操、なるものを見た。
それは公共電波を拾って、『テレビ番組』という文化を楽しんでいた時のことである。
行きつけのコーヒー屋の店主から「契約事の代行をしてくれる業者がいる」と聞いてはいたが、今回は知り合いから得た知識をもとに『電波塔』とやらを作ってみた。
初めての自作にしては案外よくできていて、いち番組中に数回止まる程度で視聴には困らなかった。
ラジオ体操。
穏やかだったり軽快だったり、さまざまな曲調の音楽とともに身体を動かす番組。おそらくは、全身の筋肉を有効的かつ効率的に動かすための指南書的存在なのだろう。
そんな推測に至った時、納得したものだ。
人間の身体は棒きれのようだ。筋肉の間に骨が通っているから、己の触腕のように滑らかに動くことはないし、くるりと巻き付いて絞める――なんてこともできない。
そんな身体をいかに上手く扱っていくか。きっと彼らは苦労をしたのだろう。苦労と、それを乗り越えるための努力を言語化および映像化して、手軽に見られる『テレビ番組』へと仕立て上げた。
苦労を思えば思うほど、率先して『体操』を行う人間に愛着が湧いてくる。手足を必死に振り回して跳ね巡る様が、まるで自分よりも大きな体格に立ち向かう小動物のように見えてしまう。
ちょっと真似をしてみようかしら。
むくむくと鎌首をもたげた好奇心。『ラジオ体操』は、ちょうどジャンプをくり返している。真似をして飛び跳ねてみると、キシリと床が鳴った。
『飛び跳ねる』なんて行為には馴染みがない。己の筋肉は地面を這うように作られているから、上下運動にはとことん縁がないことを自覚している。だからだろうか。二、三度跳ね上がる頃には、下半身がずしりと重くなっていた。
ひょっとしたら人類の可動範囲は思ったよりも広いのかもしれない。
それが努力か、それとも天性によるものかは分からないが、いずれにせよこの『ラジオ体操』が一役買っていることは容易に想像できた。
地球に来てから早五年。人類の努力にはつくづく驚かされる。そう改めて実感した。
蠅ィ鬟溘>陌ォ、人類の指南書を見る 三浦常春 @miura-tsune
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます