スケッチ
@Pz5
解剖学
――ここの繋がりがわからない——
僧帽筋から三角筋、大胸筋に上腕二頭筋や上腕三頭筋はいい。
上に脂肪がつこうとその凹凸が見えるから。
しかし――
首回り。
広頸筋と大胸筋の繋がりや鎖骨との関係。
胸鎖乳突筋と胸骨体との繋がり。
胸骨舌骨筋の張り。
これらが上手くいかない。
いや、解剖図は頭に入っている。
だが、いざそれが動いた時、或は上に脂肪が乗った時、繋がりが一瞬失われる。
そして、その一瞬失われる感覚のせいで、筆が上手く運べない。
デッサンのときは上手く繋がっているのに、油彩に、いや、絵筆にした途端、ドンドン死んで行く。
顔はまだいい。
人間の顔なんて、凡そ頭骨で決まり、筋肉が問題になるのは表情筋、特に上唇鼻翼挙筋くらいのものだ。
勿論、その人物の「人間性」を顕すのは、その人物画普段多く使っている表情になれた筋肉群の影響は大きい。
しかし、そんなものは人間元来の観察眼でいくらでも画面に定着できる。
だが、頸部から下は違う。
伝統的なアカデミックデッサンでは存外この辺りは重要視せず、顔を際立たせる為に敢えてぼかす事を推奨すらされることもあるが、そんな物は写真がない時代や、写真ができた後も「その人物の人間性を落とし込めるのは人間が描いた絵画だけでござい」等と嘯く為の物で、もはやそんな御用聞きから解放された近代芸術には、そんな古典写実の方法論など邪魔でしかない。
しかも、肩から胸や腕は服で覆われない事も多い。
そうなると、なおさらこの部分の筋肉群の有機的繋がりが重要なのに、それが落とし込めない。
自身の不甲斐無さに何度パレットナイフで画面を削り取ろうとした事か。
まして、今眼前にある、生きた彼女の魅力を、落とし込めないなんて。
慥かに、光の集積を唯センサに映し込むだけの写真では、人の生命の張りを落とし込む事はは不可能であり、その特権は同じく生命を以て対象に肉薄する肉筆にこそ与えられるとは信じる。
だが、なんと我が腕の無さよ。
寧ろ、メイプルソープの写真の方がその肉体を美しく定着しているではないか。否、マン・レイの方が、その抽象度やシュルレアリスム的アプローチによって、寧ろ肉体のイデアに近い気すらする。
エゴン・シーレのあの天才故に軽薄な筆運びは、それでもそこに生々しい「肉」を露にしている。
或はフランシス・ベーコンは勿論として、デュシャンのあの肉よ。
だのに、スーパーリアルを標榜する我が絵画の精緻にして生命感の無さよ。
実際に触れ、我が血肉にした肌こそ血が通うが、その奥の空虚さよ。
ラファィエルロ以後のアカデミスムの呪いよ。
ああ、かの兄弟団がラファィエルロ以前を目指した心地よ。
されどかの者共は風流な土左衛門を量産して霧散した。
頸板状筋。
頭板状筋。
前鋸筋。
しかとそこに在りながら、表に出難き者共よ。
ああ、ラファィエルロ以前は何としたか。
ミケランジェッロは。
レオナルドは。
レオナルド――?
解剖学――
そう、解剖か――
肌が触れられるからこそ生命で感応できるならば、その奥も――
彼女の「奥」も――
そうか。
パレットナイフの前に必要だったのは、鉛筆でも木炭でも、あるいは銀筆でもなく――
メスだったのか――
そうだ、「解剖」しよう――
そうすれば――
直に触れれば——
より生き生きと、生々しく――
先ずは広頸筋から見て行こう。
それにはここの脂肪が邪魔だな――
ああ、出してもいないクリムソンレーキが零れてしまった――
ああ、邪魔だ邪魔だ――
我は唯筋肉が見たいだけなのだ――
スケッチ @Pz5
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