夜風

桜庭ミオ

夜風

 家の中が静かになった。両親が寝たのだろう。

 小説を読んでいた僕は、本を勉強机に置いて、椅子から立ち上がった。


 3つ下の妹――里帆りほも寝ただろうか。となりの部屋だけど、彼女はいつも静かだから、分からない。


 小学校に行かず、家にいるってだけで、『不登校』とか、『問題児』というレッテルを貼られた妹は、周りにいる大人たちから、『ふつうじゃない』とか、『おかしいからふつうになれ』と、人格を否定されるような言葉を投げつけられる。


 子供も残酷だけど、大人も残酷だ。

 自分とは違う存在が近くにいることがストレスで、耐えられないのだろうか。


 みんな、僕のことを誤解している。いつもおだやかで、やさしくて思いやりがあって、勉強も運動もできて、友達がたくさんいるって思ってるようだ。

 なぜだかそう言われるし、カンペキな子だって言われたりもする。

 そんなわけないのに。


 人前ではいつもニコニコしているし、外でもちゃんとあいさつをするようにしてるからなのか、良い子だねって言われるんだ。

 話しかけられたら笑顔で話すけど、そうしないと悪く言われるような気がして、良い子を演じてるだけなんだけどね。


 それと、頼まれたら、嫌われるのがこわくて、断れないんだ。


 里帆は、おくびょうな僕とは違う。妹は、嫌なことは嫌だと言うし、できないことはできないと言う。なにが好きで、なにが嫌いか、はっきりと言葉にできる。


 彼女は、絵を描くことが好きで、自然をとても愛してる。あと、読書が好きだ。

 里帆と話すのはとっても楽しい。純粋で、とてもまっすぐな子だから。

 妹はウソをつかないから、信頼できるし。


 僕は、自分をちゃんと持ってる妹が、うらやましいなって思うんだ。


 里帆が、お父さんとお母さんに、『お前は根性がないからダメなんだ』とか、『そんな子に育てた覚えはないんだけど』って、ひどい言葉を言われて泣いてた時、僕は、見ていることしかできなかった。


 僕が言われたわけじゃないのに、胸が苦しくて悲しくて、泣きそうで、なにも言うことができなかったんだ。


 お父さんとお母さんがこわかったし……。


 妹はよく、お父さんとお母さんとケンカをする。僕はそれを見てもなにも言えないし、里帆を置いて逃げてしまうことが多いんだ。

 僕は兄なのに、妹のためになにもできない。情けないなって思う。


 僕が、体調が悪くてもがんばって学校に行くのは、昔、お父さんが、『みんなが頑張っているのに休むなんて、お前は怠け者だな』って、言ったから。

 お父さんにそう思われたくなくて、無理をしてでも通ってたんだ。


 僕は、周りが思うような良い子ではない。おくびょうだから、ウソをつく。

 演じたくて演じてるわけじゃない。良い子でいないと、周りにいろいろ言われるから。それがこわくて。

 否定されるのが嫌なんだ。悪く言われるのも、怒られるのも、苦手だし。


 会えば話す、同級生はいるけれど、すごく親しいわけじゃない。僕の部屋に呼んだこともないし、よく話す相手が友達なのかも分からない。大人たちが勝手に、友達がいると思ってるだけだ。


 たくさん本を読んだり、テレビを見たけど、友達ってなんなのか、未だに分からない。

 妹は好きだけど、お父さんのことも、お母さんのことも好きじゃないし。

 それに、親戚の人とか、近所の人とか、学校の先生とか、同級生を好きだと思ったこともない。


 僕のことを優等生だと、なぜか言う人が多いけど、自分では賢いとは思わない。

 テストだって、90点以上なら、お父さんとお母さんがほめてくれるけど、それより下だと、『なんでこんな点数なんだ?』って、真顔で聞かれるし。


 昔、お父さんとお母さんに、ものすごく怒られたことがあるからこわくて、学校でも家でも、勉強をがんばってる。

 体育だって、好きじゃないけど、やるしかなくて、悪く言われないように、がんばってるだけなんだ。


 5日前、小学校を卒業した。僕よりも、僕の両親の方が、うれしそうだった。

 4月から中学生だ。勉強は大丈夫だろうか。本当の友達はできるだろうか。

 不安ばかりがふくらんで、眠れない日々が続いてる。


 僕は、藍色のパジャマから部屋着に着がえた。服もズボンもグレーなので、目立たないだろう。


 ここはエアコンがついてるけど、外は寒いかもしれないので、黒のパーカーを羽織り、小さい懐中電灯を手にする。

 のどが渇いた時のための小銭をズボンのポケットに入れて、部屋の電気を消した。


 懐中電灯をつけて、ゆっくりと窓に近づく。

 僕はきんちょうしながら、音を立てないように窓を開けると、黒いスニーカーが見えた。

 お父さんが仕事から帰ったあと、こっそり玄関に行って、下駄箱から出して持ってきたものだ。


 そっとスニーカーをはき、静かに窓を閉めたあと、ドキドキしながら歩き出す。

 ひんやりとした夜風が僕のほおをなでた。春の匂いが鼻をくすぐる。


 夜、部屋をぬけ出して、散歩をするようになって、今日で3日目。

 ふしぎなくらい、誰も気づかない。


 懐中電灯をつけているけど、月が出ているので明るいんだ。

 コンビニは近くにないけど、街灯がポツポツあるし、自動販売機もあったりするので、わりと明るい。


 僕は自由だ。どこにでも行ける。


 ――あっ! 桜だっ!

 歩いていたら桜を見つけて、うれしくなった。


 テレビで見る夜桜みたいに、ライトアップされてないけど、白っぽい花びらが風に吹かれて、ひらひらと舞っているから、夜でも見つけやすいんだよね。


 朝や昼は、周りの目があるから、恥ずかしくてじっくり、ながめることができない。だから毎晩、楽しみにしてるんだ。


 花が好きな男なんておかしいとか、恥ずかしいって、お父さんとお母さんが言うから、桜が好きだなんて、妹にしか言えないけど、好きなものは好きなんだ。


 里帆みたいに自信を持って、これが好きだとか、あれが嫌いだとか、誰にでも言えるわけじゃないけど、僕にだって心があるし、好みがあるんだ。


 何度見ても桜はきれいだ。

 太陽の光を浴びた桜も、雨や雪にぬれた桜も美しいけど、夜の桜はなんというか、ふしぎな感じがするんだよね。

 存在感があるというか、オーラみたいなものを感じる気がするんだ。


 ライトアップされてたら、もっと美しくて、幻想的なのかもしれないけれど、月や街灯、懐中電灯の明かりでも充分に、僕の心を満たしてくれる。


 好きだなって思うんだ。なぜか涙が出たりするし、心を浄化してくれているのかもしれない。


 神社の近くにある大きな桜をながめたあと、川に行きたいと思った。

 ちょっと遠いんだけど、川岸に植えられている桜並木が見たくなったんだ。


 ワクワクしながら足を進める。たまに、猫の声がするぐらいで、人の声がしない。

 家のカーテンからもれる灯りが見えるから、起きてる人もいるのだろうけど静かだ。


 風が気持ちいいな。なんだか楽しい。

 たくさん歩いているからなのか、身体がポカポカ、温かいし。


 桜並木にたどり着いた僕は、時々、立ちどまって桜を見上げたり、桜の幹に触れたりしながら、のんびり歩く。

 そうして、そろそろ帰ろうと思った僕は、家に向かって歩き出した。


 神社の近くまでもどってきた僕は、大きな桜の木の下にたたずむ、白っぽいワンピース姿の子供に気づき、ドキッとする。

 パッと、こっちを向いたポニーテールの女の子が妹だったので、ギョッとした。


「――あっ! お兄ちゃんっ! 見てっ! さくらがきれいだよっ!」


「――うん。って、里帆。今、夜なんだから静かにっ。子供がこんな時間に外にいるってバレたら、さわぎになるよっ」


 僕は、妹がいるところまで走りながらそう言った。

 彼女が着ているのは、里帆お気に入りの真珠しんじゅ色のワンピース。


「だいじょうぶだよ。この辺、神社しかないもん」

 ニッコリ笑う里帆。


「それはそうだけど……」

「このさくら、じゅれい100年以上なのにすごいねー。毎年、きれいな花をたくさんさかせてるの」


 ニコニコしながら桜を見上げる里帆を見たあと、僕も桜に視線を向ける。

 とてもきれいだ。


「ねえ、お兄ちゃん。風が気持ちいいね」

「そうだね。でも、ワンピースって寒そうだから気になる」

「さむくないよ。お兄ちゃんって心配性だよね」

「妹だからな。行くぞ」


 僕がそう言って歩き出すと、妹がクスクス笑いながらついてきた。


「お兄ちゃん、なにしてたの?」

「えっと、桜見てきた」

「どこで?」

「ひみつ。あぶないから」

「あぶないの?」

「うん、遠いし、子供はあぶないから」

「そうなんだ……。お兄ちゃんはだいじょうぶなの?」

「僕はもうすぐ中学生だからね」

「……そう。小学校に行っても、お兄ちゃんはいないんだよね……」


 里帆の弱々しい声を聞き、僕は立ちどまる。


「……小学校にはいないけど、家にはいるし。僕はおくびょうで、強くないから、お父さんとお母さんが怒っていても、里帆を守ることができなくて、あまり役には立たないけど、里帆のことが大好きって気持ちはあるから……。って、なに言ってるんだろ。えっと……」


 急に、恥ずかしくなり、うつむいた僕を見て、里帆が楽しそうに笑った。


「わたしも大好きだよ。ありがとう」


 僕たちは、桜をながめたり、小声で話しながら家に帰った。

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夜風 桜庭ミオ @sakuranoiro

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