筋トレの悪夢

大田康湖

筋トレの悪夢

 私が朝、目を覚ますと時々筋肉痛になっている。特に上腕二頭筋が痛い。

 大学に入学してこのアパートに引っ越してから一月ほどして、肩こりの予防になるというのでダンベルトレーニングを始めようと思い一キロのダンベルを買ってきたのだ。だけど、この疲労はとても一キロには思えない。

(少し休んだ方がいいかな)

 そう思った私は、二日に一度行っていた筋トレを一旦止めることにした。


 その日は風の強い夜だった。寝ていた私の耳に、突然明るい声が呼びかけてきた。

「いつまで休んでるんだい。さあ、一緒にトレーニングを始めよう」

かけていた布団が剥がされる。私を見下ろしているのは、タンクトップにスパッツ姿の筋骨隆々とした青年だ。

(思い出した。私を毎日筋トレに誘ってくるのはこいつだ)

 毎晩寝ていると彼が起こしにやってきて、一緒にトレーニングをしないと寝かしてくれないのだ。渋々私は起き上がった。


 スウェット姿でダンベルを持つ私の隣に、金属の重そうなダンベルを持った青年が立っている。ダンベルを左右の肩の高さまで持ち上げ、ショルダープレスを行うのだ。

「さ、後1セットだ」

「もう3セット目じゃない。そろそろ寝かせて」

 そこまで言ってから、私はあることに気づいた。

「あなた、一体どこから入ってきたの」

青年はダンベルを持ったまま私に顔を向け、貼り付いたような笑顔で不気味に笑う。

「何言ってんだい、ここは僕の部屋だよ」

(このままじゃ危ない!)

 私はとっさにドアから外に出ようとしたが、青年が前に立ち塞がり、ダンベルを持ったまま右腕を振り上げる。

「さあ、トレーニングを続けよう」

 私はベッドの脇、ベランダへと続く窓を見た。

(一か八か、ベランダから逃げよう!)

私はダンベルを転がすとサッシの鍵を回した。サッシを開けると、花粉混じりの生暖かい風が室内に吹き込んでくる。その風が青年の顔面に吹き付けると、笑顔が一瞬のうちに揺らいだ。

「ハ、ハックション!」

 青年は勢いよくくしゃみをすると、弾みでダンベルを手から放してしまった。ダンベルはそのまま顔面めがけて落ちていく。次の瞬間、ダンベルも青年もかき消えてしまった。

(夢、なの?)

 目が覚めた私は呆然と誰もいない空間に立ちすくんでいた。


 後で大家に確認したところ、あの青年は確かに前の住人で、部屋でトレーニング中に事故死したのだという。もっと筋トレがしたかったのだろうか。何にせよ、あの青年が花粉症だったことに感謝したい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

筋トレの悪夢 大田康湖 @ootayasuko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ