第6話
一週間後。証拠品を揃えた紫雲は、ある二人の人物を県令庁に呼び出した。そして、県令楊重民を始め関係者が見守る中、事件の真相を明らかにする事にしたのである。
「さて、間も無く二人が来る時間だが…」
「総督、お二人がいらっしゃいました!」
「通せ!」
定刻ぴったりに執務室の扉が開く。そこから入ってきた二人の人物とはー
「張百万、並びに張宝珠。花善隣和尚殺害の犯人はお前達だな」
紫雲が指差すと、百万と宝珠はサッと顔色を変えたが、百万の方は程なくして元のにこやかな顔に戻り、
「まさか総督。ご冗談でしょう、この私がどうして、和尚殿を殺さなくてはならないのですか?」
「正確に言えば、直接殺したのは宝珠だ。しかし、その原因を作ったのはお前だ。今からそれを解き明かしていくぞ」
彼女は立ち上がると関係者達の真ん中に立ち、事件の始まりから一つ一つ解きほぐす様に説明を始めた。
「順を追って話そう…まず、事件前夜。今からおよそ二週間程前の事になるがーある一人の男が、張家の邸宅から、嫁入り前夜の娘を連れ出して闇へと消えた。これが全ての因果の始まりだ。皆分かるだろう」
「…玉珠と曹文璜」
「そうだ、楊県令。この二人は使用人に身を窶して闇夜をついて逃げると、ある豆腐屋に辿り着いた。それが誰あろう、莫夫妻の豆腐屋だ。そこで二人は好意によって驢馬を一頭借りる事が出来た。その時に支払った代金が、箪笥で見つかった銀二十両だ」
彼女は曹が直筆で書いた証言書を取り出して全員に示した。確かにそこには、彼が二十両で驢馬を借り受けた事、そしてそれを返す為一週間前泰原に来て総督である彼女と面談した事が細かく記されている。
「そしてこの二人が逃げ延びた後だが…ここで大いに困り果てたのが、百万お前だ。何しろ、大富豪姚家への嫁入りが決まっていた娘が行方不明になってしまった。そうなれば、家の面子は丸潰れ、商売にも差し障りが出る。そこでお前は何を考えたのか」
「……」
「…お前が考えたのは、そう、『玉珠を死んだと取り繕い、姉の宝珠を身代わりとして姚家に嫁がせる』事だった」
「出鱈目はやめてください!」
「出鱈目か?もしや、まだ本当に玉珠が死んだと信じているのか?そうだと言うのなら教えてやる。出て来い!」
彼女が合図を送ると、部屋の中に一人の女性が入ってきた。それは他ならぬ、張玉珠である。曹の送った手紙に従って、項城県から態々やって来たのである。
「玉珠…っ!」
「姉さん…」
「並んで見ればよく分かる。二人は本当に見目が良く似ているな、まるで双子の様に。百万が二人を身代わりにしても好かろうと考えた理由がよくわかる」
「……」
「だが。いくら姉妹が似ていると言っても、その人生は全く異なる。姉には姉の、妹には妹と人生がある。玉珠がそれを教えてくれた…宝珠」
「何でしょうか?」
「お前は…あの、殺された和尚と恋仲だったんだろう?事件の夜、お前が自らの手で殺すまで、同じ家で一緒に暮らしていたんだ」
「何?花和尚と宝珠は恋仲だったのか?」
「はい、そうでございます総督」
数日前。事件解決の手がかりを求めて玉珠を泰原に呼んだ紫雲は、驚くべき事実を耳にした。なんと、被害者である和尚は宝珠と長い間の恋仲で、しかも後家となった彼女の家で半同棲状態だったと言うのである。
「まさか、あの子が寺に呼びに行った時留守だったと言うのは…」
「恐らく姉の家に居たからかと」
「むむむ…という事は許由、あの子が見た玉珠の死体というのは、実は全く違う人物のものである可能性が出てきたぞ」
「一体どういう事だい?」
「つまりだな、こういう事だ…」
紫雲は密かに調べていた宝珠の家の見取り図を前に仮説を披露した。これまで無茶だと思われていた推理のカケラが少しずつ繋ぎ合わされ、事件の真の姿を露わにする。
「宝珠。私が思うに…事件前夜、玉珠がいない事に気がついた百万は、まさか二人が遠く項城まで逃げたとは思わなかったのだろう。彼は、同じ街の中にある、お前の家に彼女が逃げたと考えたのだ。そして、多くの召使を連れてお前の家に上がり込み、玉珠を探そうとした」
「……」
「だが、その時お前は密やかな恋人である和尚と居た。誰にも露見する訳にはいかない危険な逢引の最中、そこに唐突に父親達が踏み込んできた。見つかれば一巻の終わり!…そこでお前がどうしたのかー実にいい手を考えるじゃないか、そう、お前は和尚を自分の衣装箪笥の中に隠したんだ」
紫雲は彼女の家の見取り図を示した。彼女の寝室には、確かに大きな衣装箪笥の存在が書き込まれている。そこに和尚を詰め込んで隠し、場を収めようとしたのだろう。
「だが、それでは駄目だった。百万はお前が箪笥の中に玉珠を隠しているのだと思い、強引にそれを開けた。果たして中にいたのは…衣装と狭苦しさのせいで気を失った和尚だった。まあ、百万はそれを死んでしまったのだと勘違いした様だが」
「あの男の子が目撃したのは、箪笥から貴女の衣装に塗れて取り出された和尚の姿だった訳です。しかし、可哀想に、恐怖で泣きじゃくっていた彼はそれを玉珠が自殺してしまったのだと思い込んだ。涙で霞んだ目では、大人達の囲む向こう側の人の正体など判別するのは難しいでしょう」
許由の補足に満足げに頷くと、紫雲は更に話を続ける。
「その時だろう、百万が例の企てを思いついたのは。つまり、お前を身代わりの花嫁として姚家に送り、和尚の『死体』を病死した玉珠の死体として偽装し葬ることだ。あの子に和尚を呼ぶ様に行っても居ない筈だ、本物はずっと床で伸びていたのだから…まあそれはそれとして。百万はうまく万事を偽装する為、和尚に嫁入り衣装を着せた。恐らく、玉珠を見つけ次第これを着せて、婚礼まで閉じ込めておく肚だったのだろうが…そして、和尚を生きたまま棺に入れ、あの霊堂に運び込んだ。豆腐屋の直ぐ側の霊堂に、寝ずの番を一人仰せつかったお前とと共に」
百万は既に足元に水溜まりができる程大量の冷や汗をかいていた。一方宝珠の目は覚悟を決めた様に据わっていて、何にも動じる気配が見えない。
「そして、お前以外全てのものが引き上げた深夜。和尚が息を吹き返した。むくりと棺から体を起こした時、お前はどう思った?喜んだか、驚いたか。いいや、否、お前は殺意を持っていた。既にその時お前は和尚を殺す事を決めていたんだ」
「…どうして、そう思うんですの?」
「玉珠から聞いた。花和尚は随分と、手癖の悪い破戒僧だったらしいな。お前以外にもかなりの数の愛人を抱えていた…中でも最近は、屠畜人の呉一刀という男の妻に手を出したとか」
呉一刀の言葉を聞いた途端、宝珠の目が釣り上がる。彼女にとって彼は卑しい職業の男であり、その妻となれば最早身分の差は隔絶していると言っていい。にも関わらず、自身の愛する人はその卑しい女に奪われようとしている。しかも、全てを擲ってそれを止める事は出来はしない、明日は彼女の結婚式なのだから。
「息を吹き返したお前に和尚は言ったのだろうな。お前とはもう別れる、これっきりだと。いや、もう父親に踏み込まれる前からそんな話をしていたかも知れない。だがとにかく、それがお前の最後の糸を切ったんだ…そして、お前は嫁入り衣装を着た和尚が着替えを求めている事を察して、あの豆腐屋で貰う様に仕向けた。つい先日莫夫妻が認めたのだ、和尚と嫁入り衣装と交換で自宅の服をくれてやった事を」
「……」
「夫妻はその衣装から自身が駆け落ちに手を貸したと疑われない様それを厩に隠し、和尚は豆腐屋の服を着て寺へと夜道を急いだ。そしてお前はその間に先回りし、あの古い家屋の前で和尚を待ち構え…」
殺した、という結論の前で紫雲は言葉を切った。そして宝珠の顔を見る。彼女は小さな笑みをーまるで、全てを受け入れ赦すかの様な笑み浮かべていた。
許由には先日、曹が訪ねてきた時の彼女の狂乱ぶりと思い出された。あの時彼女が言った「大切な人」とは妹のことではなく、和尚のことだったのだ。妹が彼とと共に駆け落ちした結果、全てが狂った。もしも玉珠が大人しく姚家に輿入れしていれば、他ならぬ彼女自身が和尚との駆け落ちを選べたかもしれない。しかし、そうはならなかった。
余りにも狂ってしまった因果は、遂に自分自身で愛する人を殺めることを彼女に強いたのである。
「以上が事件の真相だ。だが、それにしても私には一つ分からぬ事がある」
「何でしょう」
「あの豆腐屋夫妻に罪を着せる事を決めたのは、二人が妹の駆け落ちに手を貸したと知っていたからだと思うが…それをお前はどう知った?それだけが分からん」
「…さあ。でも殿下、私達はよく似た姉妹、二十年近く同じ時を過ごしてきた姉妹です。そしてあの時私達は、お互い同じものを求めていました。ですから仮に私が全てを知っていたとしても…何も不思議は無いでございましょう?」
後日、紫雲の手で起草された第二審の判決が下された。
容疑者として牢獄に閉じ込められていた豆腐屋の莫夫婦は、強盗殺人につき完全無罪、但し捜査に必要な情報を提供しなかった事は少々感心しないとして、「お叱り」の処分となった。
真犯人である張宝珠は殺人と僧侶との姦通に問われ、凌遅刑の可能性も考えられたが、ある程度同情の余地があるとして賎民へ落とした上での重流刑となった。また、その原因を作った不誠実な対応を責められた張百万は、十年の徒刑を全て家産から支払う賠償金で贖った。
また、冤罪犯人に対して死刑の判決を言い渡した楊重民は泰原県の県令を罷免され、四川地方へと左遷された他、彼の傘下の司直達もそれぞれ減給の処分となった。
そして最後に曹文璜と張玉珠は、強引な駆け落ちは風紀の紊乱と誘拐に当るとして処罰すべきという意見が寄せられたが、紫雲は冤罪解決の為の働きと相殺する、として放免を言い渡した。
この事件は複雑な内容から「泰原奇案」と呼ばれ、当時の社会情勢も相まって多くの民衆に知られるものとなった。そして、彼らはこぞって事件の面白みと悲劇性、何よりも一件落着を導いた「総督公主」李紫雲の聡明さを語り伝えたという事である。
【中編ミステリ】総督公主と「歩いた死体」 津田薪太郎 @str0717
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