第5話

 さて、紫雲夫妻が張家に滞在しているのと同じ頃。一人の男が痩せこけた驢馬を引いて泰原の街へやってきた。男は年の程二十七、八。目鼻立ちのはっきりとした美男子で、足取りは一歩一歩しっかりとしている。また、それだけでなく振る舞いにも相応の品があり、生まれの良さを感じさせるものがあった。

 男は驢馬の轡を取りながら東の辻へと入り、一軒の豆腐屋の前で足を止めた。

「あのう」

「なんだ」

「私は曹家の息子で文璜と言うものですが。こちらの豆腐屋さんに借りていた、驢馬を返しに伺ったのです。ご在宅でしょうか」

「あぁ、ダメダメ。ここの豆腐屋は今捕まってしまったんだからね」

「えっ、捕まった!?どうして?」

「寺の和尚さんを殺したんだ。財布と着ているもの目当てにね。今、両広総督閣下お直々に事件を調べる為街に来ていなさるよ。張家にお出でだとか」

「そんな!それは冤罪ですよきっと」

「分かるもんかねそんなことが。それに、家の箪笥から銀二十両と、豪華な衣装が厩から出てきたそうじゃないか。これはもう有罪間違い無しだぜ」

 兵士の言葉を聞いた曹文璜そうぶんおうは慌てて走り出し、街の西の辻の方へ向かった。するとそこには果たして、「廻避」「兩広総督」の看板と共に大勢の護衛が張家の前をうろうろしている。

「あ、あの!」

「ん、何だお前!怪しい奴だな!」

「私はこの地の生員で曹文璜と申します。総督閣下に会わせてください!」

「何?総督にお会いしたい?バカな事を言うんじゃあない、高々一生員が急にお会いできる方だと思うな!」

「お願い致します、私の恩人の命がかかっているのです、どうか、どうか!」

「ええいうるさい奴だ!」

 いらいらした兵士は強引に棒を振り回して彼を追い払おうとする。しかし、彼は立ち去る事無く頑張り続けたので、呆れ返った兵士の一人が邸内へ入り、紫雲と許由にこう伝えた。

「殿下、実は今門前に殿下にお会いしたいと言う方が…」

「何と言う男だ」

「当地の生員曹文璜と言う者で、項城県県令の陳程節殿の古い友人と…」

 その名を聞くや許由がすぐに、

「ここへ!ここへ通すんだ!」

「おい、どうしたんだ許由!」

「ここから帰ったら探し出そうと思っていた男が自分から来たんだよ。話を聞かなきゃ」

「さっぱり意味がわからんぞ…」

 通された曹は広間に入るとすぐに膝をついて礼を施し、紫雲に言った。

「御目通り下さいまして有り難う存じます。私は当地の生員曹文璜と申します。項城県令の陳大人とは親の代から長年に亘る友人でございます。この度は、総督がお調べの事件について重要な証言を…」

「どうした。早く先を言わんか」

 許由は目敏く、彼の視線が宝珠とピッタリあっている事を悟った。そして、段々尻すぼみになる言葉の原因が彼女にある事もすぐに思いつく。だが、事態は彼の予想を超えた推移を見せる事になった。

「あの、その…」

「宝珠さん、実はー」

「…返しなさい」

「え?」

「返しなさい、私の大切な人を返して頂戴!」

 何と宝珠がばっと立ち上がって曹の首根っこを掴むと、そのまま恐ろしい剣幕で詰め寄ったのである。これに飛び上がった紫雲はすぐに許由と力を合わせて二人を引き剥がす。そして、兵士達に命じて曹を県令庁まで連行する様に指示した。

「大丈夫ですか、宝珠さん」

「…あの男、あの男が妹を…そのせいで、そのせいで私は…みんなアイツのせいよ!アイツが私から奪ったの……!」

 ぶつぶつと呟くその瞳には、段々と彼女の身を侵しつつある狂気の光が宿っていた。


 その夜。許由から洗いざらい事情を聞いた紫雲は執務室に曹を呼び出した。彼女は自分の前に彼を座らせると、一つ一つ事情を問い質した。

「詳しい事情は夫から聞いた。其方は、居なくなった玉珠と相思相愛の仲であったとな」

「はい」

「その上で尋こう。其方の言う重要な証言とは何か?」

「はい。私は事件のあった日の前日、張玉珠と共に駆け落ちし、その際に豆腐屋の莫夫妻の手を借りました。夫妻は好意で私達に驢馬を貸してくれたので、今日はそれを返しに来たのです。家から見つかったと言う銀二十両は、私が夫妻に支払った借り賃で断じて人から夫妻が盗んだものではございません」

「なるほど。しかし、夫妻はその事について何も話しはしなかったが?」

「きっと、私達の事を罪に問われても話さぬ覚悟なのでしょう。ですが、私が手紙を書いて洗いざらい話す様に言えば、知っている事を皆話してくれる筈です」

「好かろう、ではやって貰おうか。それから、何を話そうともその事を以て刑を重くしたり、他人から恨みを買う様な事が無い様私が取り計らうとも伝えよ」

 曹はその場で渡された紙にすらすらと手紙を書くと、それが総督発行の文書である証拠が欲しいと言った。そこで紫雲は彼の名前の隣に自分の名を副署した上で、身につけている総督の印璽を名前の下と封をした上に捺印した。そして、使番を呼び出してこの手紙をすぐ広州に届けて容疑者に見せる様命じた。

「それで、肝心の玉珠はどうしている?」

「項城県の県令陳大人の下におります」

「生きているのか、間違いは無いな?」

「はい。彼女は事件の前の夜に使用人に身を窶して家を抜け出し、私と共に項城へ駆け落ち致しました」

「よし、ならば直ぐにこちらへ来る様手紙を書いてくれ。安心しろ、協力してくれたなら私が直々にお前達二人の結婚を祝福する。総督が言うのだ、元が駆け落ちしたとて文句を言う者はおらんだろう」

「御厚恩に感謝申し上げます」

 曹は深く拝礼し、紫雲の計らいに感謝の意を表した。

「これであの夫妻も釈放されるでしょうか」

「恐らく…だが誠に朴訥で昔気質の者達である事よ、罪に問われて尚秘密を漏らさんとは」

「まあ流石に、二人のことで捕まるならともかく、全く無関係と思われた和尚さん殺害の犯人として捕まるとは思ってなかったと思うよ」

「やはりな…だが、いずれにしてもあの夫婦は強盗殺人については白と結論づけて好かろう。後は消えた死体の謎を解いて、真犯人を見つけ出すだけだ」

「え、真犯人?そんな人居るの?」

「一つ仮説があるのだ。ほんの僅かな可能性だが…」

 紫雲は椅子に体を沈めて黙然と考え込んだ。事件の終幕が段々と近付いている。二つの証拠品がその行き着く先を示そうとしていた。

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