第4話
姚家を辞去した紫雲は、次いで張家に向かう途中の駕籠の中で考えた。どうやら曹文璜と言う男が玉珠と何某かの関係があったらしいが、目下のところ行方が分からなくなっている。そして、あの和尚はやはり彼女の弔いの為に霊堂へ来る様依頼を受けていた。その行きか帰りかのどちらかー見つかった井戸の場所から察するに、おそらくは帰り道であろう。井戸のある廃屋は山に構えられた寺と豆腐屋の間の道にある。
しかし、それはそうとして豆腐屋の厩から消えた玉珠の嫁入り衣装が見つかるのはどう言う訳だろうか?確かに豆腐屋から銀二十両という大金が発見されたのは間違いない。しかし、それだけでは同時に全く無関係なはずの衣装が同じ家に存在する事に説明が付かないのである。もしこれが僧侶の着る様な豪華な法衣であれば有罪の決め手になるのだが、それは未だに影も形も見当たらない。
また、それらを超越した根本的な問題として、仮に和尚を殺したとしても、その死体にわざわざ自分たちの着るような服を着せて井戸へ投げ込む理由は無い。そうしたら、和尚の死体が着ている服の出処から、自身が疑われる可能性がより濃くなるからだ。
「(服の状態や目撃証言を勘案すると、和尚が豆腐屋に寄っているのは間違い無い。そして、なぜか和尚はそこで『服を着替えた』のだ)」
最後の目撃証言に曰く、和尚は普段見慣れない豪華な服装をして居たと言う。これらの可能性を勘案すると、紫雲の頭の中にある一つの可能性が浮かび上がって来た。それは全く突飛な説とも思われたが、その一方で無視し難い説得力を持っている様に思えた。
「もしかしたら、あの嫁入り衣装を着ていた人物というのは和尚本人ではないのか?」
何か理由があって玉珠の衣装を着て、次いで霊堂を出た和尚は豆腐屋で別の服に着替え、そして誰かに殺された。次いでに服を剥ぎ取られた花嫁の死体も消えた。理由は不明。
仮説としては余りに不完全である。しかし、彼女は不思議な直感で、この部分にこそ答えがあるのではないかと薄々考えていた。
街の西の大路に面する張家の前に駕籠が止まると、姚家で起きたのとほぼ全く同じ事が繰り返された。恭しく主人の張百万は屋敷の奥にある正庁で紫雲と許由を迎えると、直ぐに家族を呼んでもてなしをする様に指示した。しかし、彼女はそれを一旦丁重に辞退して、
「最近御息女に不幸があったと聞き及んだ。焼香をさせて貰えないだろうか」
すると百万氏は涙を流さんばかりに喜んで、是非ともと霊廟に二人を案内した。新しく作られたばかりの位牌には、「姚思孝の妻張氏」の銘文が彫り込まれている。
「(なるほど、死後とはいえしっかりと妻の形に直してやったわけだな)」
焼香を済ませると、紫雲達は再び正庁にとって返し、酒食の乗った卓を囲みつつ事件の話を始めた。
「主人殿、ここへ来る前に姚家へ寄ったのだが、殺された和尚殿を御息女の弔いの為、手紙で呼び寄せたと言うのは真か?」
「はい。私が使いの者に手紙を持たせて寺へ向かわせ、霊堂でのお弔いをお願いしたいとそう言ったのでございます」
「それで和尚殿は霊堂へ向かったのだな?」
「いえ、それが…その…」
「どうした、急に口ごもって」
「まあ、まあとにかくその様でございますな、はい」
「ちなみに事件の夜は何を?」
「玉珠の柩を霊堂へ移した後、家に戻り葬儀の支度を」
「通夜はしなかったのか?」
「娘に対して申し訳ないとは知りながらも、商売や付き合いを疎かにはできず…」
あからさまに何かを隠している百万だったが、紫雲は敢えてそれを追求しようとはしなかった。そしてまた幾つか、今度は玉珠についての質問をした。
「玉珠を姚家の子息に縁付けたのは何故です?」
「今や姚家は日の出の勢いでございます。長男の思孝殿は生員の資格もお持ちですから、きっと娘を幸せにしてくれるだろうと…」
「お二人は既に仲が良かったのですか?」
「ええ勿論」
百万は元気を取り戻した様に、いかに自分の娘がよくできていたか、いかにこの結婚が両家に幸せをもたらすものだったかを強調してやまなかった。そして、最後には必ず悲しいことだ、犯人を許すわけにはいかない、と涙を拭いて話を締めるのである。
「まあ大体のところはわかった。ところでだ、主人殿」
「はい」
紫雲は瞳をすっと細め、三つ編みに垂らした後ろ髪を整えながら彼を見据え致命的な質問を投げかけた。
「この衣装に見覚えがあるかな?」
許由が黒檀の箱から取り出した女物の嫁入り衣装。それを見るや、百万の顔が凍り付いた。彼はぶるぶると震えながら、回らぬ舌でそれを一体何処で見つけたのかと紫雲に問いかけた。
「とある場所で見つけた。そう、決して見つからぬはずのところからな」
「どどど何処です!?いったいどうして、なぜ…」
「まあ待たれよ。もしかしたら、蘇った死体が豆腐屋で着替えたのかもしれんぞ」
それは彼女なりのジョークであったが、全くもってこの場の空気をよくする事には寄与しなかった。それどころか百万は更に激しく頭を振り、
「まさか、まさか、何処まで知られて…」
とぶつぶつと呟いている。
「大丈夫か主人殿。何か具合が悪い様だが」
「い、いえ何でもございませんが…誠に申し訳ございません、用事を思い出してしまいまして…暫し他の者に相手をさせますので、少々お待ちを…」
そう言って彼は大声で代理人を呼び出すと、そのまま自分は奥に引っ込んでしまった。代わりに姿を現したのは、霊廟の近くに掛けられていた玉珠の肖像に良く似ている一人の女性である。
「貴女は?」
「張百万が長女、宝珠と申します。玉珠は実の妹でございます」
「宝珠殿か。宜しく頼む」
張宝珠は品の良さそうな美しい女であったが、それでいて何処かに濃い影を落とす様な風貌であった。何か荒波に揉まれ、色褪せてしまった羽衣という風情である。
「お酒をお注ぎしましょう」
「助かる…」
「何か?」
「いや何、とても美しい方と思ってな。少し見惚れてしまった」
「まあお上手な。殿下も同じ女として嫉妬してしまう程に、お綺麗でいらっしゃいますのに」
「はは…ところで失礼ながら、お年を聞いても?」
「今年二十二になります」
「二十二歳…そうか、だがまだ結婚は?」
「…実は少し前に亭主を亡くし、一人暮らしをしていたのです。未亡人として夫の菩提を弔って暮らすものと思っていましたが、まさかあんな事で戻る事になるとは…」
「いや、それは済まなかった。誠に申し訳ない」
「いえ、お気になさらないで下さいな」
薄幸で気を抜けば霧となって消えてしまいそうな弱々しい女だ、と紫雲は思った。しかし、こう言う女は時に鋭い牙を内に隠している事がある。彼女は夫に「油断するな」と目で合図を送ると、また質問を続けた。
「事件の夜は何を?」
「通夜を…妹の亡骸の側に夜を徹しておりました」
「ほう、一人で?」
「はい。一人で妹と別れを惜しむ時間が欲しいと自分から志願をしたのです」
「その間何か変わった事は?」
「…分かりません。変な話ですが、途中私はうとうととしてしまって、記憶が曖昧なのです」
「なるほど。ちなみに、貴女が通夜をしている間何方も姿を表さなかった?」
「は、はい」
「お父上が頼んだ和尚殿も?」
「それは…」
「留守だったんだよ!和尚さん!」
唐突に挟まれた口に驚いた三人がその方向を見ると、重たげに料理を卓に運んできた男の子が、りんごの様に赤い頬をぷくっと膨らませていた。
「それはどう言う事だい、君」
許由がにこやかに尋ねると、男の子は、
「おいら旦那様から頼まれて和尚さんのところ行ったけど、寺には居なかったんだよ!それで家に戻って旦那様に伝えたんだ」
「それ、本当かい」
「本当だよ!おいら嘘はつかないもん、それに玉珠姐さんが居なくなっちゃった理由も知ってるんだ!」
「馬鹿なことを言うんじゃないよ!!」
男の子が言い終わるや、宝珠は声を荒げてパシンと思い切りその子の頬をぶった。彼は尻餅をつくと泣きながら部屋を飛び出して行く。
「待って!」
「許由!?」
許由は半ば本能的に走り出していた。彼にも同年代の幼い息子がいるからである。父親として、泣いている小さな子を放置することなどできなかった。
広間を出てしばらく廊下を歩くと、許由は座り込んでシクシクと泣いている男の子を見つけた。そして、頭を優しく撫でながらさっきの話の続きを促す。
「でも、大姐様凄く怒って…」
「大丈夫、お兄さんにだけ話してご覧。誰にも言いやしないから」
「本当?」
「勿論だとも」
彼は天性の優男(決して悪い意味ではない)である。常に温和で優しげな振る舞いをすることから、どれ程尖った人間もたちまち頬を緩めてしまう。しかも、それを彼は意識してやっているわけではなく、ごく自然体の振る舞いの上で行っているのだ。
「…あのね、お兄さん。お兄さん曹家の兄ちゃんのこと知ってる?曹文なんとかっていう…」
「あぁ、確かに。知っているよ」
「実はね、玉珠姐さんはその曹家の兄ちゃんとずっと昔から好き合ってたんだ。結婚の約束までしてたんだよ」
「何だって?」
「でも、曹家のお父さんが急に死んじゃって、家が傾き始めると旦那様が、無理やり姚家の嫌な奴と婚約させちゃって…それで姐さんは、おお姉さんのところに逃げて…死んじゃったんだ…。おいら、泣いちゃってよく見えなかったけど見たんだ。床に倒れてる姐さんがいて…それで旦那様が、急いでお坊さんを呼んでこいって…」
「そうだったのか…」
「それでも、姐さんに嫁入り衣装を無理矢理に旦那様が着せて、姚家のお嫁さんとしてお葬式しようとしていたから、きっと姐さんはそれが嫌で逃げちゃったんだ。きっと曹の兄ちゃんと一緒に何処かへ行ってると思うよ」
男の子の証言は許由に大きな衝撃を与えた。無論死体が葬儀を嫌がって蘇った、などと言う戯言を信じるつもりは毛頭無い。しかし、共に行方が分からなくなっている曹家の後継と相思相愛の中であった、と言うのであればある一つの可能性が浮かび上がってくる。即ち、「死体の数が変わる」かも知れないのである。
「ありがとう、お兄さんに教えてくれて。これでお菓子でも買いなさい」
「わぁ、ありがとう!」
許由は懐から銅銭二十枚程を出して男の子に与えると、紫雲の下にとって返した。戻ってきた彼の顔を見て、宝珠の顔面は蒼白になる。
「あの、駙馬様。何をお聞きになったかは知りませんけれど…その、幼い子の戯言ですわ。何も信じる事はありませんのよ」
「そうかも知れませんが…私にはどうも、あの子の言った事が嘘とは思えませんので」
「なんだ、何を聞いたんだ許由?」
「後で話すよ紫雲」
死んだ僧侶、消えた花嫁。絡み合う二つの謎を解く重要な鍵は、まさに驢馬と共に泰原の街へやって来つつあった。
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