第3話

 泰原の街で他の追随を許さぬ栄華を誇る三家族の一つである姚家は、豆腐屋から少し歩いた白桃辻と呼ばれる場所にある。この辻の名は文字通り同家の花園に大層見事な白桃の木があるからついたもので、「東の大家」の街における栄華をよく示したものであった。

 紫雲が許由を連れて姚家の門前に現れると、すぐに朱塗りの大門から何十人もの召使が連れ立って現れ、総督の来訪を出迎える。

「突然の来訪すまない。主人殿に会わせてもらえないだろうか」

「勿論でございます。主人の姚繁昌ようはんじょうは中で首を長くして待っております」

「其方は?」

「私は当家の次男で姚応廉と申します。ささ、どうぞ中へ。お茶など差し上げましょう」

 姚応廉に案内されて屋敷奥の応接間に足を踏み入れると、すでに随分長いこと待っていたのか、当主の姚繁昌が痛む腰をさすりながら椅子から立ち上がり慌ただしく礼をした。

「これは殿下。この様な場所に御来駕ごらいがを賜り、恐悦至極きょうえつしごくに存じます。臣らにとっては一代の名誉にございます」

「そう堅苦しくせぬでも良い、主人殿。これは公務ゆえ事が終わればすぐに帰る」

「はは…」

 繁昌老は痛めていたはずの腰に更に負担をかけ、長く伸びた顎髭が地面に付くくらいに深く頭を下げた。この如才なさのお陰で姚家は今日も没落せずにいられるのだろうか、と内心紫雲は考えたが口には出さず、自身の父帝と同い年の老人を労って席に座らせた。

「ありがとう存じます殿下」

「私の父も生きていれば貴方と同じ位だったからな」

 紅の瞳に出来る限りの優しさを湛えて彼女は言った。一応労りの心は間違いなく本心である。

「…して、何のお話でしたかな」

「死体が動いたという事件について話を聞きに来た」

「死体が…あぁ、張玉珠殿のことですな。誠にお厭わしいことになりました。和尚殿も殺されてしまって…うぅ…」

「そう、そのことだ。まずどういった経緯で玉珠の一件が起きたのか教えてくれまいか」

「はい…実は、我が家の長男の姚思孝には長いこと婚約者がおりませんで、私達も気を揉んでおりました。そして、そのことを友人の張百万殿にご相談申し上げたところ、それならばうちの玉珠を婚約者にしてはと有り難いお話を提案して下さったのです」

「ほう」

「我々にとっては渡りに船でございますから、すぐに話を進めて結納も取り交わしました。銀五百両と婚礼の書を彼方へ届け、愈々明日嫁入りという段になって…」

「急病を発し亡くなったと」

「はい…そして、せめて死後とはいえ嫁入り衣装を着せてやろう、と着替えさせた遺体を霊堂に安置し、和尚さんに経を上げて頂こうとお呼びの手紙を出した矢先に、今度は和尚さんが殺されてしまって。そればかりか朝になり何やら分からぬ間に遺体も何処かへ…あぁ、こんな凶事、前世の如何なる因果のせいでしょうか!」

「まあ落ち着かれよ、繁昌殿。…大体のところはわかったが、ところでその思孝殿は今どこにおられる?ぜひ直接会って話を聞きたいのだが」

「はい、しかしそれが…」

 繁昌老人が口籠っていると、何や建物の外がひどく騒がしくなってきた。何事かと思い許由が立ち上がって外を覗くと、中庭の方で大柄な青年が酒の入った瓶子を振り回して何か喚いているのが見えた。それを後に続いて見た老人が顔を青くして、

「あのバカ息子め!誰か、すぐにこちらへ連れてこい!」

 と口から泡を飛ばして命じた。すぐに事情を察した許由がとって返し、紫雲に事の次第を伝える。

「多分彼は遊郭かどこかの帰りじゃないかな。この真っ昼間なのにひどく出来上がってるよ」

「やれやれ、そんな奴が生員とは愈々この国も終わりじゃないか?」

「多分お金で買ったんだと思うよ、身分を」

「皇族の身分で高官につくか金で資格を購うか、どちらがよりマシなものか世人に問うてみたいものだな、ええ?」

 そう聞こえぬところで皮肉げに笑いつつも、彼女は仕事を進めるべく老人にその「バカ息子」を連れてくる様に言った。暫くして彼女の前に、二、三人のガタイの良い男に取り押さえられて、酷く不服そうな顔の男が連れられて来た。

「何だよ!離せよ親父!」

「このバカ者!お前は姚家の後継でありながら、昼から酒を呑んで遊び回るとは何事だ!」

「ったくうるせえな…お、何だ?うちには珍しい美人がいるぞ、こんな綺麗な女見たことねえぜ」

 へらへらと笑う思孝に対して繁昌は顔面蒼白になり、息子の頬を強かに殴りつけて怒鳴った。

「無礼なことを言うな!このお方はな、公主殿下にして総督、この国に知らぬ人とてない李英素将軍であらせられるぞ!弁えよ、弁えぬかこのろくでなしめ!」

 頭を押さえつけて無理やり礼の姿勢を取らせると、やっと思孝も半分ほど酔いが覚めたらしく、眼前に座る女性がこの国で最も尊貴な身分に属する者であることを理解した。面を上げよ、と命じられて見た顔は既に血の気が失せている。

「姚思孝とは其方か」

「は、はい殿下」

「感心せんな、天下の生員がこの様に遊び回っておっては。天朝の臣僚たるの資格が足りんのではないか?」

「ま、まことに申し訳ございませぬ」

「…まあいい。今から二、三お前に質問をするから、正直に答えてくれ。良いな?」

「は、はい」

 紫雲は思孝と玉珠の関係性、どうして結婚に至ったのか、事件のあった夜は何をしていたのか、などを細かく問うた。彼は時折しどろもどろになりつつも質問に答え、紫雲を満足させた。と言っても殆ど彼は花街に入り浸りで、他の場所など目もくれて居なかったのである。

「許由」

「はい」

「念の為花街を当たって彼の証言の裏を取ってくる様に指示しておいてくれ」

「分かった」

「で…最後の質問だが。其方、犯人が誰かに心当たりは無いか?」

 紫雲が思孝の目を見据えてそう質問するや、彼の様子がパッと変わった。彼は目を怒らせ、顔を先程のように紅潮させて、

「それはあの、曹の野郎がやったに違いありません!彼奴は玉珠に横恋慕をして、死体を持ち去ったんです!」

「曹の野郎?」

「ええ。落ち目の曹家の後継で、生員の曹文璜って野郎です」

「その男は何処に?」

「事件の日から急にプッツリと消息が絶えちまって…何処へ行ったか皆目見当も付かないんです」

「なるほど。助かった」

 また新しい関係者が出て来た。紫雲はそう嘆息しつつ質問を切り上げた。そして、傍の許由を振り返って、

「許由…どうだ?何か聞いておくことはあるか」

「そうだね…あ、じゃあこの着物。これに見覚えは?」

 彼は例の箱に入った衣装を思孝と繁昌の二人に見せた。すると、二人は顔色を変えて、

「ふ、駙馬ふば(皇帝の娘婿、公主の夫の尊称)様!こ、これをいったい何処で?」

「え、な、何か…」

「これは…玉珠の。玉珠の嫁入り装束です…!」

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