【筋肉マニア向けVer.】

※「きみの深層外旋六筋に触れたい。」本編の筋肉マニア向けVer.です。やんわり卑猥です。





 ますくんはマッチョ。

 父親が元ボディビルダーで、気付けば桝くんも筋肉に目覚めていたらしい。


「筋肉は嘘をつかない! 良質なたんぱく質しか勝たん!! 空腹は敵!!」


 米良めらさんはメンヘラ。

 元来のネガティブ思考により、中学時代は毎日生き辛さを感じていた。


「死にたい……高校なんて行きたくない……」


 真逆な二人は、高校の入学式で出会った。

 横並びのパイプ椅子に腰かけ開会を待っていた米良さんは、非常に緊張していた。

 左隣の男子生徒の体格があまりに良かったせいで、その圧迫感にも米良さんは苦しめられていた。

 その男子生徒が、桝くんだった。


「ンッ……フンッ……あぁどうしよう、困った……」


 発達しすぎた上腕二頭筋じょうわんにとうきんのせいで肘が曲がりきらず、桝くんは首元のボタンを留められずに困っていた。

 桝くんの左隣の男子は、開式前からうたた寝をしている。桝くんは勇気を出して、右隣の米良さんに助けを求めた。


「あの……ほんとすみません。ボタン、留めてくれませんか?」


 怪訝な視線を惜しげもなく浴びせながら、渋々桝くんのボタンを留める米良さん。

 その姿を見下ろしながら、桝くんは考える。


腕橈骨筋わんとうこつきんのラインが美しい! 筋腹きんぷくを見てみたい……

 そして繊細な胸鎖乳突筋きょうさにゅうとつきん……胸骨頭きょうこつとう鎖骨頭さこつとうの間の小鎖骨上窩しょうさこつじょうかにサプリメントを置いてペロッと舐めとってみたい……

 無駄な脂肪のない身体は、タンパク質・脂質・糖質と栄養バランスの取れた食事摂取ができている証拠……)


 桝くんは米良さんの筋肉から、繊細で儚い筋フィラメントの滑走を感じとった。

 桝くんはこの日、米良さんと結婚することを心に決めた。




「米良さん、好きだ!! 付き合ってくれ!!」

「……却下」


 桝くんは米良さんに猛アタックした。米良さんは全くなびかなかった。


「そんなこと言いながら裏では私のこと悪く言ってるんでしょ……」

「俺の裏にも後ろにも死角はないよ!

 ほら、この鬼の面のような広背筋こうはいきん! 成長しすぎて前からも見えるのがチャームポイントだ。まるで翼みたいだろっ?!

 肩甲下筋けんこうかきんにすら隙はないよ! 回旋筋腱板ローテーターカフだからと言って俺は手を抜いたりしない!」

「なんでも筋肉で言い換えるの辞めて……?!」


 米良さんのメンヘラの壁を軽々と乗り越えてくる桝くんに、米良さんは困惑していた。


「ほんともう、私に構わないで……大体私のことなんて何も知らない癖に……」

「米良さんはパーフェクト! 俺にとってミトコンドリアのような存在!」

「虫ケラ以下だって言いたいのね……」

「生きる上で欠かせない存在ってことだよ!

 ミトコンドリアが作り出すATPはつまり、筋肉を動かすためのエネルギーだ! ミトコンドリアを味方に付ければ、無限に筋トレができるということで俺は常々体内のミトコンドリアを増やす方法について考えていて……」

「もう、もう良い!」


 それに……と意味ありげに桝くんは米良さんの手を取った。


「米良さんの長短母指伸筋腱ぼししんきんけんが織りなす魅惑の三角デルタは何者にも代えがたい」

「……ちょっとほんとに何言ってるかわかんない」


 一瞬ドキリとした米良さんだったが、相変わらずの桝くんの筋肉バカっぷりに溜息を吐いた。

 長母指伸筋腱と短母指伸筋腱が作る三角形は、解剖学的ぎたばこと呼ばれる。

 桝くんは米良さんの嗅ぎたばこ窩にレモン汁を注いですすりたいと思ったが、それはさすがに口には出さなかった。




 夏服への衣替えの季節となった。

 桝くんは米良さん(の筋肉)を褒めるのが日課となっていた。


「夏だ! 米良さんの上腕三頭筋じょうわんさんとうきんのお目見えだ! 長頭のなだらかな丘陵たまらん! 長頭と短頭の間に指をはわせたくなる!!

 あぁ、夏ってサイコー!!」

「み、見ないで……!!」

「腕撓骨筋の筋腹きんぷくにもようやく出会えた! その曲線美こそ眼福です!!」

「や、辞めてよぉ……」

「初めまして、米良さんの長橈側手根伸筋ちょうとうそくしゅこんしんきん! 形の良い膨らみですね!!」


 あまりに褒められるので、米良さんの自己肯定感は徐々に高まった。

 筋肉への興味も沸き、米良さんはひっそり筋トレを始めた。


 米良さんに友達は居なかった。桝くんには友達がたくさんいた。

 桝くんが米良さんに絡むので、桝くんの友達も米良さんに絡むようになった。


 自分を傷つけてこない人との程よい距離感での関わりは、米良さんにとって奇跡的な体験だった。

 気付けば米良さんは、心療内科に通うことなく学校に来ることができていた。


「米良さんの小胸筋しょうきょうきんに触れたい! どんな形なのか、どんな細さなのかこの手で感じたい!!

 肋間筋ろっかんきんに手指を添えて米良さんの呼吸を感じながら胸郭きょうかくの動きをサポートしたい!!」

「い、意味わかんないけどなんか気持ち悪い……!!」

大殿筋だいでんきんを掻き分けて深層外旋六筋しんそうがいせんろっきんをまさぐりたい!!

 脊柱起立筋せきちゅうきりつきんを指でなぞり多裂筋たれつきんの一本一本をコリコリと愛でたい!!」

「ちょ、ちょ、それ18禁ワードじゃない……!?」

「ハハッ、18禁っていうなら骨盤底筋群こつばんていきんぐん一択だよ!

 さすがの俺も骨盤底筋群について米良さんに語るようなセクハラ行為はしないよっ!!」

「違いがわかんないよ……!!」


 結局押しに押されて、米良さんはとうとう桝くんの告白を受け容れた。

 メンヘラ気質な米良さんだったが、桝くんとの付き合いに関して不安になることは徐々に減っていった。


「どうせ私以外の女の子にも同じようなこと言ってるんでしょ!?」

「そりゃ、良質な筋肉は褒めるよ! でも、筋肉以外も好きなのは米良さんだけだ!」

「な、な、なに言って……!!」

「米良さんの外反肘がいはんちゅうも、意外と鋭利な内果ないか外果がいかも、小ぶりな膝蓋骨しつがいこつ鎖骨さこつのカーブも……」

「も、もういい……」

「膝蓋骨、触ったらきっとゆるゆる動くんだろうなぁ。

 まだ見たことはないけど、肩甲棘けんこうきょくから肩峰けんぽうにかけてのラインもとてつもなくセクシーだろうなぁ!

 剣状突起けんじょうとっきに触れた日には、俺の中のテストステロンが水蒸気爆発を起こして大胸筋火山が地球滅亡級の大噴火を……」

「もういい、もういい!!」


 桝くんは筋肉だけでなく骨格フェチでもあった。桝くんは米良さんのことを、骨の髄まで愛していたのだ。


「それに俺なら、米良さんの脳内のセロトニン(幸せホルモン)を増やしてあげられる。俺といると米良さん、ほっとするでしょ?」

「な、な、なんでそんなこと……!!」


 米良さんが困惑の表情を向けると、桝くんはいたずらっぽくニッと笑った。


「出会った頃より、背筋が伸びてるから。セロトニンの分泌が増えると、姿勢が良くなるんだよ」


 米良さんは顔を真っ赤にした。姿勢ひとつで全て見抜かれるなんて、聞いたことがない。


「逆に米良さんは、俺のどの筋肉が好き?」

「…………腹斜筋ふくしゃきん


 そして桝くんの想いも、ちゃんと米良さんに伝わっていた。

 喜びのあまり桝くんは、米良さんに抱き着いた。桝くんの大胸筋だいきょうきんにバウンドして後ろにバランスを崩した米良さんを、桝くんが再び抱き寄せる。


「米良さん……愛してる……!」

「い、痛いよ……!」


 良質な筋肉は柔らかいと聞いていたが、桝くんの大胸筋は亀の甲羅のように硬かった。桝くんはそれほど力強く、米良さんを抱き締めていた。

 桝くんの大胸筋と三角筋さんかくきん前部線維、それに上腕二頭筋にぎゅうぎゅうに挟まれて米良さんは色んな意味でノックアウト寸前だった。


「ちなみに好きなのは、外腹斜筋がいふくしゃきん? 内腹斜筋ないふくしゃきん?」

「そ、そんなの、違いわかんない……!」

「俺、彼女ができたら腹斜筋で大根おろしできないか挑戦したかったんだ……米良さん、試してくれる?」

「ヤダよ、なにそれ……!!」

「ねえ、米良さんの前鋸筋ぜんきょきんを触ってもいい? 筋腹ひとつひとつがきっと可愛い姿をしてると思うんだけど……」

「ヤダ! でも、前脛骨筋ぜんけいこつきんなら……」

「くぅゥ!!」


 二人はそれから長い年月をかけ、愛と筋肉を育んだ。

 桝くんはとにかく真っ直ぐに米良さんを愛し、米良さんも桝くんの愛を受け止めた。


「米良さんっ……今日こそ俺の願い、叶えてっ……!!」

「きょ……今日だけだからね……!」


 桝くんの20歳の誕生日に、米良さんはひとつだけ桝くんのお願いを聞くと約束していた。

 桝くんの夢はたくさんあったが、桝くんが選んだのは『鎖骨と胸鎖乳突筋で形成される大鎖骨上窩だいさこつじょうかにシャンパンを注いで吸い付きたい』という願いだった。


「米良さん、右向いて……もっとしっかり。そう、あともう少し肩甲骨を前方突出させて……

 あぁ、あぁ!! 米良さん、完璧だよ!!!」


 桝くんの飲酒はこれが最初で最後だった。

 筋肉の成長のためには、アルコールは毒でしかないからだ。

 だが桝くんは、この時啜ったシャンパンの味を一生忘れることはなかった。




 大学を卒業し、二人は結婚した。


「米良さんっ! 米良さんっ!!

 俺いま、米良さんの骨盤底筋群を全身で感じて幸せすぎて意識失いそうだ!!」

「こっ、こんな時にそんな話しないでっ……!!」

「剣状突起に触れていい?! あぁッ、でも触っちゃったら俺、おれ、もうっ…………!!!」


 子宝にも恵まれ、三人の元気な息子たちとの賑やかな暮らしを送った。


「ほーら、パパの僧帽筋そうぼうきんすべり台だぞ~!!」

「キャーッ!!」

「こら! 危ないからやめなさーい!!」


 桝くんは変わらず筋トレに励み、己の筋肉との対話を続けた。




 しかし、そんな桝くんも病魔には抗えなかった。

 ムキムキでガチガチだった桝くんの筋肉は脂肪に置き換わり、すっかりスリムになってしまった。

 いつだって日に焼けて黒光りしていたツヤツヤの肌は、長い入院生活で青白くシミだらけのシワシワの肌となってしまった。


「俺の腕橈骨筋は、米良さんみたくヒョロヒョロになっちゃったなぁ」

「あら。それでも私よりは太いじゃない」


 互いの前腕を見せ合いながら、二人は変わらず冗談を交わしていた。


「最後にもう一回……米良さんの深層外旋六筋に触れたかったなぁ」


 長い闘病生活の結果、桝くんは亡くなった。

 78歳。病気と闘いながらよくここまで生き抜いたと、米良さんは最期まで感心していた。


「桝くん。あなたに出会えたことが、私にとって最初の奇跡だった」


 米良さんは、冷たくなった桝くんの腹斜筋を撫でた。

 常に己と戦い筋肉と語らい高みを目指してきた桝くんは、病魔と闘いとうとう力尽きた。

 それでも米良さんの脳裏に浮かぶ桝くんは、いつだって前向きで恐ろしいほどに明るく、太陽よりも輝く笑顔の桝くんの姿だった。




 桝くんの遺志は、既に家族に引き継がれている。

 可愛い三人の息子達は、親元を離れてからも己の筋肉を育て、帰省のたびに父である桝くんと筋肉について語らっていた。


「兄ちゃん、ビッグマ〇ク買ってきてくれてサンキュー……って、それ大胸筋かぁ~いっ!!」

「少し見ないうちに育ったなー! 三角筋なんて東京ドームかと思ったぜ!!」

「そういうお前らの腹斜筋も、いい波打ってんじゃん」

「父ちゃんには敵わないけどな!」


 その姿を呆れつつも見守ってくれるお嫁さんにも、そしてそんな父に憧れる孫にも恵まれた。




 納棺の時。棺には愛用していた歴代のプロテインシェイカーと、49日分のプロテインを添えた。

 そして最後にほんの少量のシャンパンを注いだ。


(……桝くん。いつか空の上で会えるまで、待っててね)


 米良さんと天国で再開する頃には、桝くんは病気になる前のようなたくましい身体を取り戻していることだろう。

 そんな日がやってくるのをほんの少し楽しみにしつつ、今は桝くんが残してくれた宝物たちの成長を見届けようと、米良さんは心に誓う。



 ふと、誰かに呼ばれた気がして米良さんは後ろを振り返った。米良さんの右の胸鎖乳突筋がきゅっと収縮する。

 出会った頃と同じ春の風が吹いていた。

 風は、米良さんの深層外旋六筋を撫でるように通り過ぎていった。


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きみの深層外旋六筋に触れたい。【KAC20235】 pico @kajupico

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