きみの深層外旋六筋に触れたい。【KAC20235】

pico

筋肉男子×メンヘラ女子



 ますくんはマッチョ。

 父親が元ボディビルダーで、気付けば桝くんも筋肉に目覚めていたらしい。


「筋肉は嘘をつかない! 良質なたんぱく質しか勝たん!! 空腹は敵!!」


 米良めらさんはメンヘラ。

 元来のネガティブ思考により、中学時代は毎日生き辛さを感じていた。


「死にたい……高校なんて行きたくない……」


 真逆な二人は、高校の入学式で出会った。

 横並びのパイプ椅子に腰かけ開会を待っていた米良さんは、非常に緊張していた。

 左隣の男子生徒の体格があまりに良かったせいで、その圧迫感にも米良さんは苦しめられていた。

 その男子生徒が、桝くんだった。


「フンッ……フンッ……あぁどうしよう、困った……」


 発達しすぎた上腕二頭筋じょうわんにとうきんのせいで肘が曲がりきらず、桝くんは首元のボタンを留められずに困っていた。

 桝くんの左隣の男子は、開式前からうたた寝をしている。桝くんは勇気を出して、右隣の米良さんに助けを求めた。


「あの……ほんとすみません。ボタン、留めてくれませんか?」


 怪訝な視線を惜しげもなく浴びせながら、渋々桝くんのボタンを留める米良さん。

 その姿を見下ろしながら、桝くんは考える。


(美しい腕橈骨筋わんとうこつきん《前腕の筋肉》のライン……繊細な胸鎖乳突筋きょうさにゅうとつきん《首筋の筋肉》……無駄な脂肪のない身体は栄養バランスの取れた食事摂取ができている証拠……)


 桝くんはこの日、米良さんと結婚することを心に決めた。




「米良さん、好きだ!! 付き合ってくれ!!」

「……却下」


 桝くんは米良さんに猛アタックした。米良さんは全くなびかなかった。


「そんなこと言いながら裏では私のこと悪く言ってるんでしょ……」

「俺の裏にも後ろにも死角はないよ!

 ほら、この鬼の面のような広背筋こうはいきん(背中の大きな筋肉)! 肩甲下筋けんこうかきん(肩甲骨の裏の筋肉)にすら隙はないよ!」

「なんでも筋肉で言い換えるの辞めて……?!」


 米良さんのメンヘラの壁を軽々と乗り越えてくる桝くんに、米良さんは困惑していた。


「ほんともう、私に構わないで……大体私のことなんて何も知らない癖に……」

「米良さんはパーフェクト! 俺にとってミトコンドリアのような存在!」

「虫ケラ以下だって言いたいのね……」

「生きる上で欠かせない存在ってことだよ!」


 それに……と意味ありげに桝くんは米良さんの手を取った。


「米良さんの長短母指伸筋腱ぼししんきんけん(手首付近の筋肉)が織りなす魅惑の三角デルタは何者にも代えがたい」

「ちょっと何言ってるかわかんない」


 一瞬ドキリとした米良さんだったが、相変わらずの桝くんの筋肉バカっぷりに溜息を吐いた。




 夏服への衣替えの季節となった。

 桝くんは米良さん(の筋肉)を褒めるのが日課となっていた。


「夏だ! 米良さんの上腕三頭筋じょうわんさんとうきん(二の腕の筋肉)のお目見えだ! 夏ってサイコー!!」

「み、見ないで……!!」

「腕撓骨筋の筋腹きんぷく(筋肉の膨らみ)にもようやく出会えた! その曲線美こそ眼福です!!」

「や、辞めてよぉ……」


 あまりに褒められるので、米良さんの自己肯定感は徐々に高まった。

 筋肉への興味も沸き、米良さんはひっそり筋トレを始めた。


 米良さんに友達は居なかった。桝くんには友達がたくさんいた。

 桝くんが米良さんに絡むので、桝くんの友達も米良さんに絡むようになった。


 自分を傷つけてこない人との程よい距離感での関わりは、米良さんにとって奇跡的な体験だった。

 気付けば米良さんは、心療内科に通うことなく学校に来ることができていた。


「米良さんの小胸筋しょうきょうきん(胸の細い筋肉)に触れたい!

 深層外旋六筋しんそうがいせんろっきん(お尻の奥の筋肉)をまさぐり脊柱起立筋せきちゅうきりつきん(背中の細い筋肉)を指でなぞりたい!!」

「それ、18禁ワードじゃない……!?」

「ハハッ、18禁っていうなら骨盤底筋群こつばんていきんぐん一択だよ」

「意味わかんない……!!」


 結局押しに押されて、米良さんはとうとう桝くんの告白を受け容れた。

 メンヘラ気質な米良さんだったが、桝くんとの付き合いに関して不安になることは徐々に減っていった。


「どうせ私以外の女の子にも同じようなこと言ってるんでしょ!?」

「そりゃ、良質な筋肉は褒めるよ! でも、筋肉以外も好きなのは米良さんだけだ!」

「な、な、なに言って……!!」

「米良さんの外反肘がいはんちゅう(肘を伸ばした時に少し反ること)も、小さな膝蓋骨しつがいこつ鎖骨さこつのカーブも……」

「も、もういい……」


 桝くんは筋肉だけでなく骨格フェチでもあった。桝くんは米良さんのことを、骨の髄まで愛していたのだ。


「それに俺なら、米良さんの脳内のセロトニン(幸せホルモン)を増やしてあげられる。俺といると米良さん、ほっとするでしょ?」

「な、な、なんでそんなこと……!!」


 米良さんが困惑の表情を向けると、桝くんはいたずらっぽくニッと笑った。


「出会った頃より、背筋が伸びてるから。セロトニンの分泌が増えると、姿勢が良くなるんだよ」


 米良さんは顔を真っ赤にした。姿勢ひとつで全て見抜かれるなんて、聞いたことがない。


「逆に米良さんは、俺のどの筋肉が好き?」

「…………腹斜筋ふくしゃきん(脇腹の筋肉)」


 そして桝くんの想いも、ちゃんと米良さんに伝わっていた。

 喜びのあまり桝くんは、米良さんに抱き着いた。桝くんの大胸筋だいきょうきんにバウンドして後ろにバランスを崩した米良さんを、桝くんが再び抱き寄せる。


「米良さん……愛してる……!」

「い、痛いよ……!」


 良質な筋肉は柔らかいと聞いていたが、桝くんの大胸筋は亀の甲羅のように硬かった。桝くんはそれほど力強く、米良さんを抱き締めていた。


「ちなみに好きなのは、外腹斜筋がいふくしゃきん? 内腹斜筋ないふくしゃきん?」

「そ、そんなの、違いわかんない……!」

「そっか。ねえ、米良さんの前鋸筋ぜんきょきん(脇の下の筋肉)触っていい?」

「ヤダ! でも前脛骨筋ぜんけいこつきん(すねの筋肉)なら……」

「くぅゥ!!」


 二人はそれから長い年月をかけ、愛と筋肉を育んだ。

 桝くんはとにかく真っ直ぐに米良さんを愛し、米良さんも桝くんの愛を受け止めた。

 大学を卒業し、二人は結婚した。

 子宝にも恵まれ、三人の元気な息子たちとの賑やかな暮らしを送った。


「ほーら、パパの僧帽筋そうぼうきん(首から肩にかけての筋肉)すべり台だぞ~!!」

「キャーッ!!」

「こら! 危ないからやめなさーい!!」


 桝くんは変わらず筋トレに励み、己の筋肉との対話を続けた。




 しかし、そんな桝くんも病魔には抗えなかった。

 ムキムキでガチガチだった桝くんの筋肉は脂肪に置き換わり、すっかりスリムになってしまった。

 いつだって日に焼けて黒光りしていたツヤツヤの肌は、長い入院生活で青白くシミだらけのシワシワの肌となってしまった。


「俺の腕橈骨筋は、米良さんみたくヒョロヒョロになっちゃったなぁ」

「あら。それでも私よりは太いじゃない」


 互いの前腕を見せ合いながら、二人は変わらず冗談を交わしていた。


「最後にもう一回……米良さんの深層外旋六筋に触れたかったなぁ」


 長い闘病生活の結果、桝くんは亡くなった。

 78歳。病気と闘いながらよくここまで生き抜いたと、米良さんは最期まで感心していた。


「桝くん。あなたに出会えたことが、私にとって最初の奇跡だった」


 米良さんは、冷たくなった桝くんの腹斜筋を撫でた。

 常に己と戦い筋肉と語らい高みを目指してきた桝くんは、病魔と闘いとうとう力尽きた。

 それでも米良さんの脳裏に浮かぶ桝くんは、いつだって前向きで恐ろしいほどに明るく、太陽よりも輝く笑顔の桝くんの姿だった。




 桝くんの遺志は、既に家族に引き継がれている。

 可愛い三人の息子達は、親元を離れてからも己の筋肉を育て、帰省のたびに父である桝くんと筋肉について語らっていた。

 その姿を呆れつつも見守ってくれるお嫁さんにも、そしてそんな父に憧れる孫にも恵まれた。




 納棺の時。棺には愛用していた歴代のプロテインシェイカーと、49日分のプロテインを添えた。


(……桝くん。いつか空の上で会えるまで、待っててね)


 米良さんと天国で再開する頃には、桝くんは病気になる前のようなたくましい身体を取り戻していることだろう。

 そんな日がやってくるのをほんの少し楽しみにしつつ、今は桝くんが残してくれた宝物たちの成長を見届けようと、米良さんは心に誓う。



 ふと、誰かに呼ばれた気がして米良さんは後ろを振り返った。米良さんの右の胸鎖乳突筋がきゅっと収縮する。

 出会った頃と同じ春の風が吹いていた。

 風は、米良さんの深層外旋六筋を撫でるように通り過ぎていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る