第9話 ジョーカーの謎


 名残惜しくも楽しかった思い出は終わり、久しぶりの我が家で存分にくつろぐ火鉢悟です。

 俺の家のお風呂ってこんなに狭かったっけと思いながら入浴タイムを終え、帰りに買ってもらったアイスをいただく火鉢悟です。温泉旅行のお礼でなんとハーゲンダッツ。神様仏様天音様……

「ふぃぃ……ねぇ悟、家のお風呂ってあんなに狭かったっけ?あとチューハイとって」

 やはり姉弟だな、と思いつつ、冷蔵庫からキンキンに冷えた缶を渡す。仕事終わりとかにおいしそうに飲むのだが、そんなにおいしいのだろうか。

「飲みすぎないようにな……」

「わかってるよ~お酒弱いし」

「わかってないから言ってるんですけど……」

 何回酔っ払いを介抱してると思っているんだ。そのせいで天音がお酒を飲むときは監視しなくちゃいけなくなった。全くいい迷惑だ。

 それから何となくテレビをつけたけど、意外番組が面白かった。二人ともその内容をすっかり楽しんで、天音の晩酌に付き合いながらその番組を眺めていた。

 しばらく飲むと酒が回ってきたのか、上機嫌な天音が絡んでくる。

「そういえばどうなったの~?クイーンちゃんの事~」

「それ言わなきゃいけないのか……?恥ずかしいから嫌なんだけど……」

「そりゃあ姉としては気になるよ~……悟モテるのに彼女作んないしさぁ」

「……付き合うってことがよくわかんないんだよ」

「わかろうとしないだけでしょ?悟は」

 いきなり核心を突かれ、言葉に詰まってしまう。昨日までの俺なら何も言い返せなかっただろう。でも、

「確かにそうだった。だから、今から始める。人を好きになるっていうのがどういうことか知りたい」

「悟……?」

 恋愛という謎に触れる事。まずはそこから始めるんだ。そうしないと、ジョーカーの正体はわからないから。

「俺は――恋がしてみたい」

「っ!……悟、変わったよね」

「そうかな?」

「そんな事言う子じゃ無かったもん。温泉旅行で何かあった?」

「……まぁ、あった」

「ちょっとちょっとそれ先に言ってよ~!」

 俺が始める青春は、少し遅すぎたのかもしれない。曇っていた俺の恋愛模様が晴れるには、時間がかかりすぎてしまったようだ。そんな俺を、天音がからかってきた。

「こんにちは青空アオゾラ。こんにちは青春アオハル」と。


 ♥ ♥ ♥


 ヒーローがいた。助けてくれるヒーローが。

 悪役がいた。私に酷いことをする悪役が。

 ヒーローと悪役が戦って、悪役はいなくなった。

 それと同時に、ヒーローも私の前から姿を消した。

 何人もの悪役と、たった一人のヒーロー。

 等価交換にはならない。だから私は必死に彼を探した。

 どれだけ遠くを探しても、見つかる事は無かった。

 だって彼は、こんなに近くにいたのだから――。


 × × ×


「お前がジョーカーだろ?」

「……」

「……」

「あーそうだよ!わかってんなら早く引けよ!」

「わかってるから早く引けないんだろうが!」

 夏休み明けの学校はいつもよりにぎやかで、昼休みともなればなおさらだ。クラスメイツの何人かが集まっていつもならしないはずのババ抜きをやっている。かれこれ10分は経っているのだが、一向に4人の手札は減っていない。絶望的に運が悪いようだ。

 一方の俺はというと、チョーカーの謎解きを進めようとしていた。

 を貰ってしまったら、流石に本気を出して謎を解かなければならない。


火鉢悟君へ。旅行すっごく楽しかったね。また一緒に行きたいね。

でも今度は友達じゃなくて、■◆◆◆でもなくて、恋人同士で行きたいな。

だから、私を見つけて。手紙はこれで最後。見つけてくれるって信じているから。

いつまでもあなたが大好きです。  ずっとあなたのそばに居たぃエースより。


 ジョーカーからの最後の恋文。送られた最後のヒント。

 いつまで俺はこの子を待たせているのか。なんて、我ながら情けない。

 ごめんな。すぐに返事を返すから。

 もう少しだけ、我慢しててくれ。

 それからの時間は早く過ぎて、あっという間に放課後になった。考え事をしている時の時間は早く過ぎてしまうものだが、授業の内容を一つも覚えていないのはどうしたものか。

 クラスには俺一人だけが残っている。シャロは部活に行ったし、隆二も遊びに行くそうだ。

 時刻は4時丁度。あの日と同じ状況だ。

 俺はカバンから四通の手紙を出して、もらった順に右から並べる。

 大切に保管していた手紙には汚れ一つなく、もらった時のままだ。


火鉢悟君へ。私を見つけ出して、そのチョーカーと一緒に返事を返して下さい。

あなたが好きです。私と付き合って下さい。  神薙高校●年、クイーンより。


助けてくれてありがとう。本当にかっこよかった。

そんな王子様みたいなあなたが大好きです。  誰よりも◆◆◆◆■■◆◆◆ジャックより。


曇天の星空の謎、頑張ってください。応援しています。

一生懸命に謎を解く、かっこいいあなたが大好きです。  あなたに頼りっぱなしなエースより。


火鉢悟君へ。旅行とっても楽しかったね。また一緒に行きたいね。

でも今度は友達じゃなくて、■◆◆◆でもなくて、恋人同士で行きたいな。

だから、私を見つけて。手紙はこれで最後。見つけてくれるって信じているから。

いつまでもあなたが大好きです。  ずっとあなたのそばに居たぃエースより。


 並べられた四通の手紙の送り主を、何が何でも探し出して見せる。

『悟くん……』

 可憐で内気な女の子か。

『助手!』

 夢に向かって走る小柄な女の子か。

『サトル!』

 活発で清純な、どこまでも優しい女の子か。

 その答えは、この手紙なぞの中にある。

 目を閉じて、周りの音を遮断する。意識が脳内を駆け巡り、俺の最も深い所へと到達する。

 全力の謎解きでも、まだ足りない。もっと深くに潜って、記憶全てを、ありとあらゆる法則の全てを引っ張り出し、彼女たちと過ごした時間全てを振り返る。

 謎解きしかできないから、こうやって考える。

 単なる謎ではないことはわかっている。だからこうやって考える。

 人の心の謎なんて、そうでもしないと解けないのだから。

 俺は今、深層心理の中にいる。

 さぁ――推理を終わらせよう。


 × × ×


「まずはヒントの整理からか」

 四通の手紙の持つ情報……こうして並べても、やはり一際目を引くのが◆や■の伏字だ。

 そういえば、一通目にも●の伏字が使われている。『神薙高校●年』……学年が伏せられているな。

 学年が●……安直な考えかもしれないけど、●は数字を表しているのではないか?

 とすると、この■や◆は仮名か漢字かアルファベット……?

(ありえるな)

 一旦この件は保留にしよう。次は名前の謎だ。

 最初にクイーン、次にジャック、そして二連続でエース。

 この並びに何かあるのか?何故キングではなくエースが二連続で続いたんだ?

 それに……

 だとするとこれも……

 ……………………

 ………………

 …………

 ……

 一つ一つの謎を紐解いていく。

 その時間はただただ楽しかった。俺は単なる謎としてこの手紙を読んでいるのだ。でも、それはあまりにも失礼な行為なんじゃないか?相手は勇気を振り絞ってこの手紙を書いたというのに。

 否、この考えは違う。あえて手紙をこんな謎解きにして送ってきた時点で、楽しんでくださいと言われているようなものだ。

 そうして謎を解いていくうちに、俺は自分の感情について振り返った。ずっと自分の記憶を掘り返しているせいか、皆との出会いを改めて考える。

 ずっと昔にシャロと出会って、クラスで衣織と出会って、公園で日和と出会った。

 みんな魅力的な女の子で、俺の大切な人達だ。

「……」

 その子が与えてくれたこの謎を、俺は楽しんで解いている。

 勇気を出して送ってくれた謎を、ただ楽しみながら解いている。

 恋愛というモノを、謎解きで解決しようとしている。

 だって俺は火鉢悟――〝悟りくん〟なのだから。

「サトル……?」

 その声に振り返ると、きれいな長い金髪を後ろで一つにくくったシャロが入り口の近くに立っていた。電気のボタンを押したまま、俺を見て固まっている。

「シャロ……部活はどうしたの?」

「もう終わったデスよ?だってもう6時デス」

「……ほんとだ」

 時計を確認すると、確かに短い針は6時を回っていた。夕日は沈みかけ、橙と薄い青と黒の三つの層に空の色が変わっている。

「電気もつけずに何やってたデスか?もうびっくりデ……え!?悟!鼻血!その鼻血どうしたの!?」

「え?……うわ、マジかぁ……」

 ティッシュで鼻のあたりを拭きとってみると、拭いた所はべったりと赤く染まっている。時間の進む速度といい、この鼻血といい、推理に夢中になってしまっていたようだ。

 カタコトが取れるほどに慌てるシャロを落ち着かせながら、ティッシュで鼻血を拭き取ってゴミ箱に捨てる。

 幸い手紙に血が付く事は無かったし、服も汚れていない。

「考え事に夢中になっちゃっただけだよ。……もう真っ暗だね」

「そうデスよ!体操服忘れたから取りに帰ってみれば、暗い教室に一人だけ誰かいるし、サトルだし、鼻血出してるし!びっくりデス!」

「驚かせちゃってごめん……心配してくれてありがとうね」

「どーもデス。それで、そんなになるほどに何の考え事なんデス……か……」

 シャロの視線が俺から机に並べた手紙へと移る。

「これって……ラブレター!?」

「うん。この送り主について考えてたんだ。いったいどこの誰なんだろう……って。クイーンとかジャックとか名乗ってるから、何にでもなれるって意味でジョーカーって呼んでるんだけど」

「わお、なんかかっこいいデス……ラブレターというよりは、なんだか謎解きみたいデス」

 手に取って眺めるシャロ。「むー」「うーん……」と唸りながら謎を読み解こうとしているかのようだ。

「だからサトルはチョーカーをつけ初めたんデスね」

「うん。成り行きでつけられたけど、結構しっくりくるんだよね。……でも――そろそろ返さないとな」

「……返す?」

「クイーン、ジャック、エース、エース、このに気付いて、俺の謎解きは始まった」

「語呂合わせ……?」

「12、11、1、1、トランプの数字に直したらこうなって、それらを足してみるとする」

 俺は椅子から立ち上がり、いつもしているように首のチョーカーを外す。

 そして外したチョーカーを、目の前の女の子に差し出す。

「だから、これを君に返すよ」

 あの日借りたものを、この場所で。

「シャーロット・ニコ25・イノセント――

 やっと出会えた。出会えるはずが無かったんだ。

 だって君は、こんなに近くにいたのだから。

「それだけで……私だって思ったの?」

 そのチョーカーを受け取りはしない。驚いたような声色でシャロは俺に問いかける。肯定はしない。否定もしない。ただ俺の推理を待っている。

 シャロは持っていた手紙を優しく机に置いて、真っすぐ俺と目を合わせる。

 吸い込まれそうな青色の瞳から目を反らすことなく、俺は推理の説明を始めた。

「きっかけはそうでも、手紙に散りばめられた無数のヒントを読み取ることができれば、ジョーカーたりえる人物はシャロ以外ありえないんだよ」

「ヒント?」

「あぁ。この四通の手紙にあるヒントは全部で〝四つ〟まず最初に、この三通目の手紙。これはジョーカーの候補を数人にまで絞ることができる手紙だ。旅館の中で渡されたんだからな。正直びっくりしたよ」

 あの時渡されたことから、俺の本格的な恋愛謎解きが始まったのだ。ある意味1番のヒントと言えるだろう。

「そして二つ目、この二通目の『助けてくれてありがとう』っていう文だ。三通目の手紙を合わせることで、俺が〝助けた〟ことのある、旅行に同行している人物ってことになるからな。これで候補者はシャロ、衣織、日和の三人にまで絞れた。衣織はありがとうって言ってたし、日和も直接的にではないけど、いじめから助けたことがある。シャロはいつも助けてやってるからだな」

「私のだけなんか雑じゃない?」

「半分冗談だ。ずっと前に助けたことがある」

「……うん」

 この助けた、というのを最近のことだけではなく、過去のことを含めたとしても、候補者が三人ということに変わりはない。それほどまでに旅館での手紙が大きかった。

「三人に絞れたところで三つ目、この妙な伏字だ。●が学年を隠していて数字を表しているのだとすると、◆や■は他の文字だと推測できる」

「そうだね……でも、結局この伏字は何が言いたかったの?」

「俺もそれがわからなかった。でも、四通目を見て閃いたんだ。◆をひらがな、■を漢字だとすると、三通目の伏字は『誰よりもあなたと◆◆◆◆一緒■■にいる◆◆◆ジャックより』……こう略せないか?」

「確かに文字数は合うけど、ちょっと無理やりじゃない?」

「この仮説をより強固なものにするのが、四通目の伏字だ」

 俺は四通目の手紙を手に取り、シャロに見せる。

「この『友達じゃなくて、■◆◆◆でもなくて、恋人同士で行きたい』って所、話の流れからすると、この伏字には人物のが入るはずなんだ。この漢字とひらがなのバランスで書ける関係なんて一つだ」

「それって……」

「〝幼なじみ〟だよ」

 一瞬、シャロの瞳が揺らいだような気がした。何かに怯えるように、一瞬だけ。

「最後だ。四通目の『ずっとあなたのそばに居たぃ』……なんで居たいの〝い〟がこんなに小さいのか」

「文字の小ささ……?」

「この〝ぃ〟は、本来書くつもりはなかったんじゃないか?『ずっとあなたのそばに』――最初はそう書いていたんじゃないか?」

「……」

「それが直前で心変わりして、小さな〝ぃ〟を付け足した」

「……」

「なんでそんなことをしたのか、俺にはわかるよ。前までの俺ならわからなかったんだろうけど」

 無意識に拳に力が入る。過去の自分の不甲斐なさを恥じるように。

「俺たちの関係が崩れるのが……んだよな」

「……!」

 俺はこの謎から距離を置いた。友達の中にジョーカーがいて、返事をする。それを恐れてしまっていた。

 今の心地いい関係を崩したくない。ずっと仲良しでありたい。そんな甘い願いを抱いていた。

「私は……」

 シャロが口を開く。いつもの活発な姿は無い。声は震え、目は左右に揺れ動いている。

 言いかけた言葉が喉に詰まって苦しそうにしている。

 それでも、シャロは言葉にした。

「怖かった……三通目を織姫に預けた時から……ずっとドキドキしてる。今だってそう。悟の話を聞いて……見つけてくれたんだなっていう嬉しさと、今までの関係が変わっちゃうかもって気持ちがごちゃ混ぜになって、何も考えられなくなってくる……」

 シャロが出す言葉はどれも弱弱しいもので、聞いているとシャロの抱いている不安が伝わってくる。

 しかしシャロは大げさにかぶりを振って、改めて俺に向き直った。

「でも……それでも私は悟が好き!ずっとずっと前から、優しくて、かっこよくて、どんな謎でもすぐに解いちゃう、そんな悟が……私のたった一人のが大好き!!」

 その宝石のような瞳から涙を流しながら、俺への好意を打ち明ける。一世一代の大告白。

 シャロの泣いている顔なんて二度と見たく無かったのに、俺が泣かせることになるなんて……本当に大馬鹿者だ。

 その涙を拭う資格を、今の俺は持っていない。

 必死に手で止めようとしているシャロにかける言葉は、たった一つだ。

(俺は――)

 きらりと光ったのを最後に、夕日は街へと沈んでいく。

 シャロの涙を止めるのは、ずっと前から俺の役目だ。

 ヒーローになりたかった、ヒーローとは呼ばれなかった俺が、唯一掴み取った役目だ。


 私はシャーロット・ニコ・イノセント。

 ただの女の子です。

 私は今日、好きな人にラブレターを送ります。

 その相手は火鉢悟君。小学校で仲良くなってからずっと一緒に生きて来た、私の幼なじみです。

 彼は謎解きが好きだから、ラブレターも謎解き風にしてみようと思う。

 このチョーカーは謎解きとは関係なく、ただ悟に似合いそうだったからってだけのアクセサリー。ラブレターを受け取ってくれたかどうかは、翌日彼の首を見ればわかるという寸法です!ふふん!……つけてくれるよね?

 今はどきどきしながら廊下を歩いています。

 部活をこっそり抜け出してきたから、早く戻らなくちゃ。

 手紙を入れるために下駄箱に向かって歩いていた私だけど、ふと教室を見て、すやすや寝ている悟を見つける。

 せっかくなら寝ているうちに置いておこうということで、駆け足で教室へと向かった。

「……ねてる……よね?」

 幸せそうに寝息を立てている悟に近づいて、ほっぺをつんつんとつついてみる。

 もしこれで起きていたら恥ずかしすぎて死んじゃうから、念入りに確認する。

 枕にしている腕の間から見えた悟の寝顔は幸せそうで、無邪気な子供のような可愛らしい寝顔だった。

「えっと……よし、できた」

 わかりやすいように黒板にラブレターをくっつけた後、起こさないように慎重にチョーカーを悟の首に付けて、少し離れた場所から見てみる。

 うん、やっぱり似合う。

 もうしばらく眺めていたかったけど、すぐ部活に戻らないと怪しまれるので、これにて退散。

 それから部活が終わって帰っても、ずっと心臓の音がうるさかった。

 多分当分悟は気づかない。恋愛に関しては超が付くほどの鈍感だから。

 ずっと悟を見てきた。いろんな悟を見てきた。

 あの時から、ずっと――。


 × × ×


『シャーロットちゃんって何言ってるか全然わかんないよねー』

『うん、いっつも変な言葉言ってるー!』

 私は仲良くしたかっただけだった。

 ちゃんとした言葉を使って、皆とお話ししたかっただけだった。

 でも、二つの言語がどうしても混ざってしまう。

 学校で話すときは日本語しか使っちゃダメなのに、どうしても英語が混ざっちゃう。

 だから私は、変な事しか喋れない人だった。

 それが、小学校での評価。

 でも、一人だけ友達がいた。

【サトル!一緒にあそぼ!】

「えーっと……あ、そういうことか……うん、いいよ」

 また英語でしゃべっちゃったのに、この男の子は笑顔で遊んでくれる。

 サトルとは家がとっても近くて、いつも同じ班で小学校に行く。

 私のママとパパと、悟のママとパパは仲良しだって言ってた。サトルのママとパパはあんまり家にいなくて、代わりにサトルのお姉ちゃんのアマネがごはんをつくってくれるんだって。

 サトルの家に遊びに行ったときにはとっても美味しいご飯を作ってくれるから、私もお姉ちゃんが欲しいってママに言ったらごめんね?って言われた。なんでだろ。

「はい、俺の勝ち。4個の角以外真っ黒だね」

「いつのマに!もいっかい!もいっかいやろ!」

 サトルと遊ぶのはすっごく楽しいけど、ゲームで遊んだ時のサトルはちょっとこわい。

 ポケモンでは私のおっきいポケモンをちっちゃいポケモンでボコボコにしてくるし、トランプとか今やってるリバーシとかでも気づいたらサトルが勝ってる。

 以前パパがチェス?……っていうのでサトルに負けたらしい。私はルールがよくわからなかったからやってないけど、とにかくサトルはすごいって言ってた。

『ねー悟くん、私とも一緒にあそぼ!』

 そうして何回かリバーシをしてると、頭のてっぺんで髪をくくった女の子が会話に混ざってくる。

 サトルの隣の席の子で、授業中なんかには黒板じゃなくてサトルのことばかり見ていた気がする。

「じゃあみんなでできるようにトランプでもしようか」

『いや、私はそれやりたいなー……だから悟くん、二人でいっしょにやろ?』

 トランプを取りに行こうとしたサトルが、その女の子に腕を引かれて止められる。

 私も一緒に遊べるようにトランプをしようって言ったんだろうけど、その女の子は私になんか目もくれずにサトルにすり寄っている。

「ワタシはいいから、リバーシやってあげて」

『ありがとうシャーロットちゃん!ってわけでほら、座って座って!』

 私に目を合わせることもなく、その女の子は上機嫌に席に座る。

「……わかった。でも一戦だけでいいかな?俺も他のゲームやりたいし」

『はーい』

 サトルが白、その女の子が黒で、リバーシが始まった。私は近くの席に座ってその様子を眺めることしかできない。友達なんて、サトル以外いないから。

「……」

『うーん……ここ!』

「……」

 サトルは無言でコマを置く。私としている時は楽しそうにしゃべりながらやってたけど、どうしたんだろう。

「……」

『え?……あ、じゃあパス!』

 相手の言葉を待ったサトルが、再び白いコマを置く。

「……」

『ぱ……パス……』

 サトルは無言でコマを置く。相手のおける場所を的確につぶしながら。

 サトルのこんな攻め方は初めて見た。それをずーっと黙ってやってるから、なんだか怒っているように思える。

「はい、白く染まった」

 その女の子は茫然とした後、いそいそと盤を片付けるサトルを眺めている。

 結局その後、その女の子は他の友達の所に行って、私とサトルだけでトランプで遊び始めた。

 サトルはさっきとは違って、二人でおしゃべりしながらトランプで遊んでいた。

 それがきっかけだったのかはわからない。以前からよく思われていなかったのは確かなんだろうけど、この日から、私に対する扱いは変わっていった。

 同年代の女の子から無視されたり、仲間外れにされたり、物を隠されたり。

 花壇の水やりの子がわざと水をかけてきたこともあった。

 そのことを相談したらママとパパは悲しい顔をした。なんでママとパパがそんな顔をするの?きっとみんなは楽しんでやってるから、私はそれでもいいんだよと言うと、二人は泣き始めた。

 サトルならわかってくれるかな。そう思って彼に話したけど、話さない方がよかったって心の底から思った。

 あんなにをするサトルは、初めてだったから。

 誰かを追い詰めるときみたいな、そんな顔。

「なぁ、シャロ」

「な……なに……?」

 怖い顔で、どこにも響かないくらい重い声のまま、サトルが私に問いかける。

「その子たちの名前――教えてくれないか?」

「え……?」

 サトルは表情を崩して微笑んで、いつもの優しい口調にもどった。

 なんで名前を聞くのかはわからないけど、覚えてる限りの子たちの名前をサトルに教えた。

 サトルは「ありがとう」と言って私の頭を撫でた。

 その辺りの記憶はあんまりないけど、撫でてくれたことがとっても嬉しかったのだけは覚えてる。今思えば、無意識のうちに苦しさを溜めこんでいたんだと思う。できるだけ喧嘩になりたくないからって、自分の感情を押し殺していたんだと思う。

 その苦しみを受け止めてくれた人の手だからこそ、嬉しかったんだ。


 × × ×


 数日後、私に対する嫌がらせはばったり止んだ。

 それどころか皆一斉に私に謝ってきた。いじめの主犯格的な人がいて、その人にやれって言われてたらしい。

 その主犯格的な人も謝ってきた。理由はサトルへの好意からの嫉妬で、いつも一緒に居る私がうらやましかったらしい。

 何はともあれ、これで一件落着になったんだけど、気がかりなことが一つ残った。

 私に謝って来た人みんな、同じ人に言われて私への嫌がらせを止めさせられたらしい。誰かはわからないって言ってたし、やめさせるように言ったのも靴箱に入ってた手紙にそう書かれているだけだったらしい。

 ママとパパは、その手紙の人のことを〝ヒーロー〟だと言って喜んでいた。

 確かに、あの嫌がらせは嫌だった。皆が楽しければそれでいいなんて考えの裏には、もうやめてという本心が常に悲鳴を上げていた。そんな場所から、救ってくれたヒーローがいたんだ。

 そのことを自覚した私は、すぐにそのヒーローを探した。

 謝ってきた人に話を聞いたけど、正体を知っている人は誰もいなかったし、その手紙の内容も誰も見せてくれなかった。

 次に頼ったのはサトルだった。サトルがその人なんじゃないかなって思ったけど、違うって言ってたから違う。でもヒーローの話をすると、すっごく興味深そうに話を聞いてくれて、俺の方でも色々と調査してみるよと言ってくれた。

 この小学校にいる誰かだとは思っていたけど、それが誰かまではわからなかった。ずっと探してたけど見つからなくて、ついには中学校へ進学するときが来た。

 サトルとは同じ中学校で良かったけど、そのヒーローが同じ中学校とは限らない。結局お礼は言えなかったな、なんて思っていたけど、そんな事考えてる余裕なんかないくらいに、中学校での生活は難しかった。

「その……ごめんなサイ……」

 ある日の校舎裏、中学校に入学して2か月が経とうとしていた頃、私は同じクラスの男の子に告白された。特に喋ったことも無ければ接点があるわけでもなかった男の子なので断ったけど、なぜかそれから告白してくる男の子は増えていった。

「友達じゃ、だめデスか?」

 何回振っても、

「ごめんなサイ……」

 クラスだけじゃなくて、同じ委員会の人や体育が一緒なだけの人からも、

「ごめんなサイ」

 告白されるたびに、その人達は泣きそうな顔で去っていく。その背中を見る度に、罪悪感で押しつぶされそうになる。

「私が……悪いの……?」

 その独り言は誰に向けたものでもなかった。この拭えない罪悪感はどうすればいいの?いつまでこんなことが続くの?

 告白され続ける、なんて恥ずかしくて誰にも言えなかった。ママにもパパにも、サトルにも。

 そんな葛藤が数か月続いて、季節はすっかり夏になった頃、ある事件が起こった。

「最近ずっと視線を感じるんデス……学校にいるときも、帰るときも……」

……ってことか」

 ずっと後をつけられている感じがしてサトルに相談すると、そんな単語が出て来た。

 今まで告白してきた誰かなのか、それともまた別の人か。どっちにしろ怖いことに変わりはなくて、色んな人に相談した。

 勘違いかもしれないから注意深く探ってみたけど、やっぱり視線を感じるし、見覚えのある人と色んな所で出会う。目を合わせることは決してなかったけど、間違いなくその人は私を見ていた。

 ストーカーがいることに怖くなった私は、学校に行く度に憂鬱だった。

「おはようございマス、サトル」

「……あぁ、おはよう。シャロ」

 朝の挨拶も元気にできず、友達と話している時の周りのことばかり見て落ち着かなかった。

「大丈夫だよ。シャロ」

 サトルはいつも私に優しい言葉をかけて安心させてくれて、それだけが心の支えだった。

 そんな怯えた日々を送っていると、いつの間にかストーカーはいなくなっていた。

 最初から何事もなかったかのように、この事件は解決した。誰にもつけられる事は無いし、視線を感じることもない。

 それからも私は、中学校の中でいくつかの事件に遭遇した。

 好きだった男の子を振ったあなたが許せないという恨みとか、バスケ部内でのトラブルとか、とにかくいろんなものに巻き込まれた。

 でも、全てその翌日には解決していた。

 皆私に謝ってきて、それぞれの手には一通の手紙が握られていた。

 手紙の中身を見せてもらおうとしたけど、それだけはできないと拒まれる。これではまるであの時の再現だ。

 あの時、私を救ってくれたヒーローはこの学校にいたんだ。

「っていうわけでサトル、一緒に探しましょう!」

「わかったよ、協力する」

 絶対その人を見つけ出して、お礼を言わなくちゃダメ。そう思った私は、サトルと一緒にそのヒーローの特定を開始した。

 私のいた小学校からこの中学校に進学してきた人は少なくて、両手で数えられるほどだった。その全員に当たってみたけど、やっぱり皆知らないって言う。

 そんなある日、私は最後の可能性を検証した。

「最近よく靴が隠されるデス……」

 誰もいない自販機の前で、お昼時間の残りをくつろいでいた私とサトルの間に、そんな話題が生まれる。

「ありゃ……心当たりとかは無いの?」

「2組のサトナカさんによく隠されてるのを見マス。やめてって言っても直してくれなくて……」

「……そうか」

 サトルは暗い表情をして、さっき買ったカフェオレを飲み干した。

 特に何かあるわけでもなく時間が過ぎて、あっという間に放課後になった。

 私は用事があるから先に帰るとだけ言って、サトルを学校に残して急いで靴箱の裏へと身を顰める。

(この探偵シャロの名にかけて……絶対に見つけてみせます!)

 ヒーローを探していて気付いたことがある。

 まず、私に関わる問題は、すぐに解決してくれる。その方法は一つで、関わった人に手紙を送るということだけ。その内容はわからないけど、みんなすぐに改心して素直に謝ってくるのがちょっと不思議。

 いろんな人に話を聞いてみたところ、この手紙は朝登校してきたときには自分の靴箱に入っているとのことだった。つまり……

(ここで見張ってれば、いずれヒーローさんが手紙を持ってくるということ!)

 里中と書かれた靴箱を監視する私の顔は、きっとにやにやと微笑んでいたと思う。

 本物の探偵みたいでわくわくしていた所に、遠くから足音が聞こえてくる。

 放課後になって1時間ほど経ったから、下校する生徒は少なくなってきている。そんなときに歩いてくる生徒……これはもしかするかも……!

 と思いながら靴箱を監視していると、その生徒はサトナカさんの靴箱を開き、あのデザインの手紙をポケットから取り出した。

 靴箱の陰に隠れて顔はよく見えないけど、制服は男子のものだ。そしてラブレターを渡すにしては迷いのない手つき、これは間違いない。

(やっと見つけた……!)

 私は急いで物陰から飛び出し、立ち去ろうとするその生徒を大きな声で呼び止めた。

「そこの人!ちょっと待ってくだサ――」

 後ろ姿に向かって放つ言葉は、そこで途切れた。少しだけ癖のある黒髪に、落ち着いた足取り。

 何度も見て来たその後ろ姿に、私は呼吸さえ忘れてしまう。

「――シャロ?」

 振り返ったその顔は、大きく開いた目をぱちくりさせて、心底驚いているようだった。

 この人が、ヒーローの正体……

「サトルが……私のヒーローだったの……?」

 私はそう聞くと、サトルは驚いたままの様子で、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。

「違うよ。俺はそのヒーローに頼まれて手紙を持ってきただけだ」

「嘘、絶対嘘!」

 サトルが放課後まで誰ともそんな話をしていないのは見ていたからわかってる。それに、

「私の靴が隠されるって話、あれ全部嘘だもん」

「っ……!」

 私は罠を張った。もし悟がヒーローなら、ここに手紙を持ってくる。もし別のヒーローがいたとしたら、私は嫌がらせをされていないから誰も持ってこない。

 それをサトルに言うと、諦めたように笑った。

「……あぁ。そうだよ。皆に手紙を送ってたのは――俺だ」

 どくんと心臓が跳ねる。うまく言い表せない驚きを覚えると同時に、なんだかすんなり納得できた。

 この人が、ずっと私を助けてくれていた人。

「なんで……なんで教えてくれなかったの!なんで嘘までついて正体を隠そうとしたの!」

 声の勢いが増して、サトルに詰め寄る。

 私にはヒーローが二人いた。いっぱい遊んで、ずっと大切な友達でいてくれたサトルと、私を助けてくれる手紙の人が。それが今、一人になっちゃった。

 とある選択肢が、一つになったんだ。

「ねぇ、なんでサトルはヒーローであることを隠してたの……?」

 そう聞くと、サトルはばつが悪そうに俯く。

「ヒーロー……?」

 そして零れ落ちるように、言葉を漏らしていく。

「俺は……ヒーローなんかじゃない……」

「何言ってるの?もう言い逃れなんてできないんだから!」

「これを見て、まだそんな事言えるか?」

 サトルが私の前に広げたのは、サトナカさんの靴箱に入れたものと同じ手紙だった。

 そこには、サトルの字でこう書かれていた。


 シャーロット・ニコ・イノセントへの嫌がらせを止めろ。

 従わなければ、榎本晃征への恋愛感情を暴露する。


 その文を見た瞬間、私の中の疑問が全て繋がった。今まで手紙をもらった人が素直に従ったのも、頑なに中身を見せようとしなかったのも、こんな風に脅しに近いことをされていたからなんだ。このサトナカさんのことも既に知っていたのか調べたのか。想いを寄せているであろう人の名前で脅している。

「これで分かっただろ?俺はこんなやり方をずっと続けて来た。小学校の時にも、今でも、その人の弱みを握って脅していただけなんだ。説得も改心も、俺にはできなかったから」

「……」

「だから、俺はヒーローなんかじゃないんだよ……こんなやり方でしかシャロを守れない……ただの最低な人間だ」

 確かに、このやり方は正義とは程遠いのかもしれない。でも、それでも……

「ばか!」

「……え?」

「やり方は酷いかもしれないけど、それでも悟は私を守ってくれた!ずっと!ずっとそばで守ってくれてた!」

「それでも、俺は……」

 悟の言葉が止まる。私を見て固まっている。

 そんな悟の顔がだんだんぼやけてきて、私の頬を雫が撫でる。

「助けてくれたんだもん……!悟が私を救ってくれたんだもん……!」

「シャロ……」

 一度流れ出した涙は止まらない。言いたいことがうまく言えなくて、今湧き出ている感情だけをぶつける。

「たった一人のヒーローを、悟自身を、!」

 涙でぐちゃぐちゃな顔のまま、私は悟に言い放った。

 悟がヒーローだって知った時、私はすんなり納得できた。

 それはきっと、私がそうあってほしいと願っていたからだ。

 ヒーローになってくれるのが、悟であってほしかったから。

 私が好きになる人は、悟がよかったから。

「もう……泣かないで、シャロ」

 悟が私を優しく抱きしめる。

 涙は止まらない。何か言葉を交わすわけでもない。ただただ二人抱きしめ合う。

 この時、やっと気が付いたんだ。好きになるなら悟がいいなんて考えは捨てようって。

 もう、とっくに悟が大好きだったのだから。


 × × ×


 シャロが泣いている。俺に恋心を打ち明けて、不安でただ泣いている。

 そんな時に、俺は思い出していた。あの正体を知られてしまった時のことを。

「悟……?」

 思わず体が動いて、脳が理解するよりも先にシャロのことを抱きしめていた。

「……ちょっと、思い出しちゃって」

 口から漏れたその言葉こそ、俺の行動の理由なのだろう。

 抱きしめた腕の中で、シャロが涙を流しながら俺を見上げる。そして懐かしむように目を閉じた後、俺の背中に手を回してくる。

 少しだけ震えているその手は、消えてしまいそうなほどに小さかった。

「あの時も、今も、俺はシャロのヒーローだって言ってくれた。あんなやり方を拒絶せずに、ずっと俺のそばに居てくれた」

「……うん」

「シャロは優しいから、自分が傷ついてるのに平気そうな顔するよな。辛いのに笑顔で振舞って、心の中でずっと泣いてる」

「そうだったかな?」

「そうだったんだよ。昔から。――だから、俺はシャロにそんな思いをしてほしくなかった。シャロが泣いてるところを見るのはもっと嫌だった」

 あの時、シャロが泣いている理由がわからなかった。俺のやり方に悲しんだとか、そんな理由じゃないかと思っていた。

 でも、シャロの気持ちを知った今ならわかる。シャロにとっての俺は、ヒーローであってほしかったんだ。

「だから、もう泣かないで」

 抱擁を解き、「ぁ……」と小さく言葉を漏らして名残惜しそうにしている彼女をまっすぐ見つめる。

 真っ赤に腫らした目を見て、あの時言えなかったことを言葉にする。

 今やっと気づいた、俺の気持ちを。

「俺は――シャロが好きだ」

 そして彼女ジョーカーに言われていたように、黒いチョーカーを彼女に差し出す。

「俺と、恋人になってください」

「――はい!」

 震える手でチョーカーを受け取り、シャロは嬉しそうに微笑んだ。

 屈託のない、無邪気な笑顔。いつも通りのシャロの笑顔が、目の前に広がっている。

 俺の大好きな、その笑顔が。

 最後にシャロの目から、涙が一滴だけ零れ落ち、それをそっと拭う。

 その涙を拭う資格を、俺は手にしたのだから。


 ♠ ♠ ♠


 ヒーローは孤独なものだ。

 ヒーローはその孤独に耐えられるぐらい強くなくてはならない。

 ヒーローは正しきものだ。

 ヒーローは正しい行いで、誰かを救わなければならない。

 悪意から大切な人を守る。そのために強さはいらない。

 9割の策略と、1割の勇気。それを正義の名のもとに執行する。

 それで人は救えるかもしれない。でも、やっぱり強さは必要だった。

 正しくあり続ける強さが。

 孤独に耐えるための強さが。

 俺は――ヒーローにはなれなかった。

 だって、正しくもなく、孤独にもならなかったのだから――。


 ♠ ♥ ♣ ♦


 多分この先忘れないであろう夏が過ぎて、山の木の葉は色を変える。

 赤や黄。多彩なグラデーションの山々を眺めた後、俺は手元のに視線を移す。

「……どう?わかりそう?」

「ふん!さすがに無理に決まってるわ!私が解けなかった謎ですもの」

 京都府某所――9月の空はまだ明るく、だんだん窓の外が眩しくなってきた神薙かんなぎ高校本校舎。

 その3階の図書室では、とあるが発生していた。

 いや、発生していたというよりは、掘り起こしたと言った方が正しいか。

「まだ解き始めて1分も経ってないんだけど……」

 放課後。席に招かれるや否やこの謎が書かれた紙を渡された。

 2週間ほど前に日和が体験した謎らしいのだが、それを俺がどれだけの時間で解けるかやってほしいというものだった。

「早く終わらせないと帰れないよ~?」

「それ君たちも困るんじゃない?」

 この後、俺達4人でカラオケに寄って帰ろうということになっている。もう一人の用事が済むまでこうして待っているのだが、多分そろそろ終わらせてくる頃だろう。

 となると、俺も早めに済ませるか。

 そう思って一つ伸びをしたと同時に、図書室の扉が静かに開けられる。

「ごめんなサイ、待たせちゃいましたか?」

 用事を済ませてきたシャロが、俺たちの座る席まで来て申し訳なさそうに尋ねる。

「うぅん、そんなことないよ?」

「全然待ってないし、丁度暇つぶしが終わったところだよ」

「そうそう。だから早く行きま――助手?暇つぶしってもしかしてそれのこと?」

 日和が指さすのは俺の持っている謎。

「あぁ、もう解けたから、早く行こう」

 ぎょっとする日和と衣織。そして小首をかしげて俺たちを眺めるシャロ。

「早ぁ……」

「ちょっと、説明しなさいよ!」

「また後でね~」

 カバンを持ってすたすたと歩きだす俺。日和と衣織は慌てて荷物をまとめている。

 俺と二人を交互に見た後、シャロがとてとて駆け寄ってきて隣に並ぶ。

「それ、謎解きの紙デスか?」

「うん、日和からもらって、解けるまで帰れないって脅されてた」

「それは一大事デスね」

 俺ならそれまでに解けるだろうという信頼か、はたまた俺をいじめたかっただけか。

 どちらにせよ、暇にならなかったのはありがたい。

「やっぱり、悟は頭いいね」

「当然だ。なんてったって俺は、シャロのヒーローだからな」

「――うん!」

 微笑むシャロの頭をそっと撫でると、くすぐったそうにはにかんで、一層華やかに笑う。この笑顔こそ俺の欲しかったものなんだ。

 俺は、俺自身に隠された恋心という名の謎を、やっと解き明かしたのだ。

 それで、やっと気づいたんだ。

 誰よりも愛しい人が、ずっとそばに居たことを。

「それで、どんな謎だったんデスか?」

「見てもらった方が早いかもね。はいこれ」

 二つ折りの紙を受け取ると、わくわくしながら目を通し始めるシャロ。

 さっき俺が受け取った時もそんな感じだったなぁ……

「……謎デス」

「そりゃ謎だよ」

「ノンノン!全然わかんないってことデス!教えてくだサイ!」

 身振り手振りで感情を表すシャロを眺めていたところに、慌てて日和と衣織が合流してくる。

「助手!はやく教えなさい!適当言ってるわけじゃないでしょうね!」

「私も聞きたいなぁ~……」

 そして開口一番、謎解きの説明を要求した。

「シャロ、紙ちょうだい」

「はいどうぞ!私も気になるデス……!」

 俺は推理を頭の中で文章に変え、皆に説明する――前に、まずは謎の整理といこう。

 シャロから再び受け取った紙。その内容をまとめるとこうだ。

 二週間前、なかなか眠れなかった日和が夜の1時まで本を読んでいたところ、隣に住む住人がドンドン、と壁ドンを2回してきた。もちろん大きな音は出していないし、日和以外は既に寝ている。壁ドンをされる心当たりがないのだ。

 さらに、そのお隣さんは優しい女性の方で、壁ドンはもちろん、不満を言われることなどもなく、日和の両親とも仲のいい人だ。そんな人が壁ドンをするとは到底思えない。実際一度もされたことが無いのだから。

 さて、どういうことだろう?

「仲良かったんデスよね?なんでこんな事になったんデスか……?」

 シャロの疑問はもっともだ。仲の良かったお隣さんからいきなり壁ドンなんてされたりしたら、そりゃ理解不能になる。

「この謎を解くにあたって、俺は日和に質問をしたよな」

「えぇ。流石にこれだけじゃわからないってことで、3回まで質問することを許可したわ」

 ノーヒントでも頑張ればわかるかもしれなかったが、短時間で解くとなっては頼らざるを得なかった。

「それで質問したのが、そのお隣さんは一人で住んでいたかってことだ」

 もし子供がいたりしたら、その子がやったという可能性を加味してのものだったが……

「で、どうだったんデスか?」

「答えは一人暮らしよ。たまにお客さんが来ることもあるそうだけど、その日は一人だったわ」

「今更ながらこの情報だけで質問権一つ潰れるのって結構鬼畜だよね……」

「じょ、助手にはこれくらいがちょうどいいんだから!油断するとすぐ謎解くのよこの男!」

 褒められているのか貶されているのか……ここは褒められていると受け取ろう。うん。人生ポジティブに生きるものだ。

「それで、二つ目の質問は?」

「ないわよ」

「……え?」

「悟くんが質問したのはそれだけだよ。その質問が終わってすぐにシャロちゃんが来たんだもん」

「えええ……」

 3回まで質問できるとは言ったが、3回したとは言っていない。

 質問より先に、仮説が浮かんでしまったのだから。

「さて、ここからが本題よ。もしこれで違ったら恥ずかしいんだからね!」

「……はい」

 そこまで言われると少し不安になるが、こほんと仕切り直して説明を始める。

「まず、お隣さんは壁ドンをしたんじゃなく、せざるを得なかったんだ」

「「?」」

「どういうことよ」

「その時のお隣さんは恐らく、壁ドンをすることが目的じゃなかったんだ。とある目的を遂行しようとした結果、2回の壁ドンという結果になった。その目的を知る鍵が、〝時期〟と〝時間〟だ」

「「時期と時間……?」」

「……へ、へぇ?」

 首をかしげる二人と、目線を泳がす日和。

 後者の方は見なかったことにしてあげて、謎の全貌を知らない二人は頭の上にはてなマークが浮かんでいる。

「時期は夏。時間は深夜。夏で深夜にキレることといえば、何か思い浮かばないか?」

「……暑かった?いやでもそんなことで壁ドンはしないデス……」

「んー……あ、私わかったかも……」

 シャロはうんうんと唸っているが、衣織の方はピンと来たようだ。

 そんなシャロのために、一つヒントを出そう。

「深夜に起こされることがなかったか?アイツので」

「――あ!ヤツデスね!」

 手をぽん、と打ち、納得した様子のシャロ。やはり皆経験があるようだ。

 この謎の全貌はこうだ。お隣さんは深夜1時、〝蚊〟の羽音で目が覚めてしまった。安眠を邪魔されてお怒り状態のお隣さんは、すぐさま蚊の討伐を決意した。そんな時、蚊が壁に止まった。

 そのチャンスを逃すわけにはいかないお隣さんは、壁を思いっきり叩いてしまった。それも2回。だが不幸なことに、その壁は日和の部屋へと繋がっている壁だったというわけだ。

「多分、寝ぼけてたんだろうな。深夜1時に起こされて、蚊を仕留めることにいっぱいいっぱいだった結果、壁ドンという普段なら絶対しないことをしてしまった」

 俺も覚えがあるからよくわかる。奴らは普段が温厚な人でも修羅に変えてしまう程の嫌われ者だ。

「で、さっきから喋らないけど、どうなの?日和ちゃん」

 顔を引きつらせながら目線を外している日和に詰め寄る衣織の顔は若干にやついており、楽しんでいるようにも見えた。

「……あぁもう!正解よ!一言一句正しいわよ!」

「おおお……サトルの勝ちデス……」

 お昼の勝負の分も含めて2回俺に負けた日和は、心底悔しそうに俺を睨んでくる。そんな目をされても困るんですけど。

「日和」

「なによ!」

 俺はそんな日和に、謎の閉幕を告げる言葉を口にする。

 心からの、感謝を込めて。

「――〝謎〟の提供、ありがとうございました」

「~~!……ふん!どういたしまして!!」

 日和はそっぽを向いてしまうけど、その顔は確かに緩んでいた。

 シャロと衣織も、そして俺も。この瞬間に笑顔でない者はいなかった。

 これにて謎解きは閉廷。俺たちはいつもの青春へと戻り、この後の予定に心躍らせながら廊下をにぎやかに歩いていた。

 その時間はただただ楽しくて、人生における大事なものだ。

 俺はずっとこうしていたい。ただみんなと仲良くしたい。

 そんな子供じみた夢を、俺はずっと思い描いていた。

『私は、悟くんが好きです』

『助手のことが……いや、悟のことが……好き』

 シャロと結ばれたすぐ後に、俺は日和と衣織からも告白を受けた。

 放課後に校舎裏に呼び出され、二人同時に。

 その場にはなぜかシャロもいて、二人の告白を見守っているようだった。

 俺は二人の想いに答えることはできない。誰よりも愛しい恋人がいるのだから。

 二人は吹っ切れたように笑い、そして泣いた。

 俺とシャロが結ばれたことを知り、祝福するために自分の気持ちに区切りをつけたかったのだという。

 ジョーカー候補だった3人の女の子は、全員俺に好意を寄せていた。

 そんなことに気付かいほど鈍感だと3人からいじられたときには、流石にショックを受けた。

 そんなことに気づけなかった自分が、不甲斐なくて仕方なかったのだ。

「助手、点数で勝負なさい!」

「ほう?望むところだ。俺は歌うまだぞ?」

「声量は出ないけどね」

「ちょ、シャロ?それは言わないお約束……」

「それはいまいち盛り上がりに欠けるね……」

「衣織!?何てこと言うの!?俺ショック!」

 二人の告白を受けて、この関係が崩れてしまうのではないかと思った。

 でもそれは杞憂で、むしろ以前よりも心置きなく接することができている気がする。

 俺が思っていたよりももっと、日和と衣織は強かったんだ。立ち直って、仲のいいままでいてくれる。

 関係を崩したくなかったのは、俺だけじゃなかったから。

「今度こそあなたに勝つんだから!覚悟してなさいよね、助手!」

「それ言い始めてもう1年経つよな?」

「ふん!知らないわねそんな事!負けてもまた次勝てばいいんだから!」

 日和はビシッと指を突き立て、俺に宣戦布告する。

「だから、絶対に諦めてあげないんだから!助手!それにシャロも!」

 俺に向いていた指がシャロを捉え、再び宣戦布告をする。

「ふん!望むところデス!このドロボウキャット!」

 シャロはずいっと日和の前に出て、目線を合わせて睨みつける。

「わ、私だって、負けないんだから……!」

 隣で見ていた衣織も参戦してきて、三つ巴の睨み合いだ。

「なにおう!悟は私だけのヒーローなんだから!というか二人とも諦めたんじゃなかったの!?」

 一歩も引く気のない俺の恋人と、

「気が変わったわ!数秒でね!何が何でも悟を私の助手にしてやるんだから!」

 負けじと食い下がる強い意志を持った女の子と、

「私だってやっぱり悟くんが……私を救ってくれた王子様が大好きなんだから!」

 そんな二人に負けない気迫を持った穏やかな女の子。

 そしてその争いの渦中にいる俺は、ただただ困っていた。

「あのー……恥ずか死しそうなのでそろそろ休戦……」

「「「なに?」」」

「ア……スイマセン……」

 通学路のど真ん中で修羅場が勃発しているので、周りからの視線が半端じゃない。

 たまに学校内でもこういった状況が起こっているので、最近では『悟りくんハーレム』なる単語が浸透してきてしまっている。これだけは本当に勘弁してほしい。最近家でも天音にいじられるようになってきてしまった。

「行くよ悟!二人ともぎゃふんとねじ伏せちゃってよ!」

「歌で……?」

「歌で!」

「すんごいハードル上げますやん……」

「ふん、望むところよ!返り討ちにしてあげるんだから!」

「歌で?」

「歌で!」

「どういうことやねん」

「わ……私だっていっぱい歌うもん!」

「歌で?――って、あ、うん、そうだな!衣織は正しい!」

 それぞれ思いをさらけ出し、同じ道を歩く。

 目的地まではまだ距離がある。このにぎやかさはしばらく続きそうだ。

 道中でこれだけ盛り上がっているのだから、これからもっと楽しくなるんだろうな。

 そんなことを考えながら、首に付けた黒いレザーのチョーカーを撫でる。

 やっぱりこれが無いと落ち着かない。わざわざシャロから譲り受けたほどだ。

 青春を共にしたこの首飾りに詰まっている思い出は、きっとこの先唯一無二のものになるだろう。などと、未来に思いを馳せた後、俺は目の前の出来事に意識を戻す。

「おっそーい!早く行こうよ悟!」

「そんなんじゃ置いて行っちゃうわよ!助手!」

「行こう、悟くん……!」

 今俺のいるこの場所が、ずっと求めてた場所。見たかった景色なんだ。

 例え大きな出来事があっても、崩れることなく一緒に居られる。

 そんな関係を、俺は手に入れたんだ。いろんな存在やくになって。

 日和の助手になって、衣織の王子様になって、シャロのヒーローになった。

 何者でもなかった者が、何者にでもなれた。

 なら、その呼び方は一つだけだ。

 この〝チョーカー〟の持ち主。その呼び名というのなら、やはり俺は……

 ――〝ジョーカー〟だな。



                 終

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