第8話 助手の謎

 今まで仲良くしてきた人たちは、皆私の態度に呆れていった。

『皆遊びに行きたいって言ってるんだよ?』

「だから何よ、私は帰りたいの。遊びたいなら勝手にすればいいじゃない」

『せっかく誘ってるのに、ノリ悪……』

 気分の乗らない日は遊びに誘われても行くことは決してなかった。

「ちょっと、ポイ捨てなんてやめなさいよ」

『え?良いじゃんちょっとくらい』

「自分で持ち帰りなさい!」

『日和ってさ、そういう所ウザいよね』

『確かに~!真面目すぎ~!』

 正しいことを言っているはずなのに、まるで私が悪いみたいになって。

『あんた、先生に私たちのことチクったでしょ』

「何の事よ?」

『とぼけんなよ!千佳のことちょっとからかっただけなのにいじめとか言って!』

「あれはからかうなんてレベルじゃないでしょ。どう考えても度が過ぎてるわ」

『何かっこつけてんの?うっざ』

 私は正しいはず。ずっとそう思って生きて来た。

(それなのに何で、こんな目に遭うの?)

 私の態度は高校でも変わる事は無くて、ついにはの標的になってしまった。


× × ×


 すっかり冬の気温になり、肌寒い風が身体をそっと撫でる。帰り道は冷えることだろう。

「……また無くなってる」

 1年生用の下駄箱を開けて上履きから靴に履き替えようと思ったけど、私の靴はそこには無かった。靴箱を間違えたわけでもないし、入れ忘れたってこともない。

「これで3回目ね……」

 この経験は初めてではない。高校に入学してから3回目。中学の頃は数えるのをやめた。

 高校に入って二か月程が経過したあたりだろうか。いつもクラスに一人でいる私に話しかけて来た女子がいた。その人はグループのリーダー的な人で、大勢の人と一緒に談笑しているのを見かける。しかしあまりいい印象は無く、授業中でも騒いだり化粧をしたりしている。

 私が読んでいた探偵小説を見て不思議に思ったのだろう。「何読んでるの?」と笑いながら話しかけて来た。

 端的に返事をしたら、その返事がつまらなかったのか。読むのを邪魔してきたり本を奪い取ってぱらぱらとページをめくられたりした。その時は相手にすることなく読書を再開したけど、私は彼女の不服を買ったらしい。

 その翌日から、何人かが私に嫌がらせをするようになった。

「どうせこの辺りに……ほらあった」

 玄関から出て右側にある茂みを探すと、葉っぱまみれの私の靴を見つける。校内に隠すには人の目がある。そして靴をどこかに持ち出すのも面倒くさいってことでここら辺に投げたんだろう。

 こんな意味のないいたずらをして何になるのか。家に帰りながらそう考えていた。

「ただいま」

 返事は帰ってこない。今日もお母さんとお父さんは忙しい。

 二人が返ってくるまで、私はリビングでくつろいでいた。本を読んだりテレビを見たり、そんな退屈な時間を過ごしていた。

『最近学校はどう?』

「別に、なんともないわよ?」

『友達出来た?』

「いらないわよ、友達なんか」

『『……』』

 夕食の席での学校の会話もこんなものだ。

 私が嫌がらせにあっているということは、お母さんとお父さんには話していない。気づかれたら心配をかけるし、自分で何とかなる問題だから。

 そんな日常を繰り返していくうちに、今度は靴ではなくカバンに付けていたストラップが隠されるようになった。家族みんなで旅行に行ったときにお土産で買ったストラップで、私のとても大事なものだった。

 大体は誰かが拾ってくれて職員室前の落とし物箱に入っているけど、日に日にボロボロになっていくストラップを見ているうちに、今までこらえてきたものがこみ上げて来た。ここで怒ったらアイツらの思うツボだ。だから必死に耐えて来た。何度隠されても何も言わなかった。アイツらがいじめに飽きるまで続けるつもりだった。先生に相談しようかとも思ったけど、どうせすぐに飽きるだろうと思っていたし、なんだか負けた気がして相談する気にはなれなかった。

 だからずっと耐えて来たけど、もう限界だった。

「何で……私だけこんな目に……」

 弱弱しい言葉が口から零れ落ちる。こんなところを見られたらきっとアイツらは大笑いするだろう。

 さっき落とし物箱に取りに行ったボロボロのストラップを握り締めて、誰もいない公園のベンチで俯く。きっとそのままでは泣き出してしまっていただろう。

『吾妻日和……であってるか?』

「ぇ……?」

 声を掛けられて顔を上げると、神薙高校の制服を着た男子生徒が私を見下ろしていた。運動していたのか、若干息が上がっている。

「そうだけど、あなたは?」

『俺は火鉢悟……1年生だ』

 火鉢悟……その名前には聞き覚えがある。学校で探偵みたいなことをしている男子生徒だ。どんな謎もすぐに推理で解いてしまうことから『悟りくん』というあだ名で呼ばれているんだとか。

 クラスの人がそのことについて話してた時は変な人がいるんだなって思ってたけど、ぱっと見は普通の男子高校生だ。

「それで?私に何か用?」

『用……ってわけじゃないけど、ちょっとした確認かな』

「確認?わざわざ学校外でするような?というか何で私がここに居るってわかったのよ。もしかしてつけて来たの?あと何でずっと見下ろしてるのよ!」

『まってまって、一旦落ち着こう?一つずつ答えるから』

 そう言うと火鉢はベンチに離れて腰かけた。

 思わず八つ当たりみたいになってしまったけど、撤回するのも癪だ。

 火鉢は一つ咳払いをして、私の目を見て話し始めた。

『まず、職員室にいる吾妻を見つけた。丁度話があったから追いかけようとしたけど……先生に呼ばれてそのタイミングを逃しちゃったんだ。それで用事が終わって吾妻を探しに行ったけど、学校にはどこにもいなくて、辺りを走り回ってたらこの公園にたどり着いたってわけ』

 だから息が上がってたのか。

「そうまでして確認したいことって何なの?」

『単刀直入に言うけど、吾妻……いじめを受けてないか?』

「っ……!」

 いじめ。その単語に反応して、私の身体が硬直する。まぎれもない真実だったから。

『その反応……やっぱり……』

「なんで、いじめのこと……?」

 アイツらは巧妙にいじめを隠してた。仲間内だけでやってて、誰にもいじめのことは知られなかった。私がなんともないように過ごしていたのもあるけど、私とあいつら以外にいじめのことを知っている人間はいなかった。クラスメイトにも、教師にも。それなのに、何で火鉢がこのことを知ってるの?

「なんであなたが知ってるの!?私とあなたは話したことなんて無いし、クラスも違う、なのに……何で?」

『これは単なる俺の推理だけど……いいか?』

「いいわ。聞かせて頂戴」

 出かけていた涙は引っ込んだ。今はただその推理を聞くことだけ。

 火鉢は一息ついて語り始めた。

『話は今日の朝にまで遡る。俺の姉は神薙高校の教師をしてて、その姉から話を聞いたんだ』

「それが、いじめの事?」

『いや、落とし物が多すぎる生徒がいるって話だ。心当たりあるんじゃないか?』

「落とし物……あっ」

 隠されたストラップは毎回落とし物箱に届けられるので、取りに行く度に次は気を付けてねと言われる。私のせいじゃないんだけど、なんだか申し訳ない気持ちになる。

『何回言っても落とし物をするから、俺の方でも注意してくれないかって言われたんだけど、知り合いじゃない奴にいきなり言われても困るよな』

「それはそうね……」

『だからその時はお断りしたんだけど、その話が妙に引っかかってな。落とし物は毎回ストラップだっていうし、その生徒はしっかり者だっていう。だから色々考えてみたんだよ』

「考えた?」

『うん、まず何でストラップなのか。カバンに着けるようなストラップだって言ってたから、何回も落とすようなものじゃない。そしてしっかり者なら、一回落とし物をすれば次はしないように、何らかの対策をするはずだ』

「……」

『しっかり者の子が何回も落とし物をする……いや、させられる。そんな事案一つしかありえない。そして職員室で見た吾妻の表情だ』

「表情?」

『さっきもだけど……吾妻、泣きそうな顔してた。辛かったんじゃないか?何回もストラップが隠されるの。その度にストラップがボロボロになっていくのが悲しかったんじゃないか?』

「っ……!」

『誰にも相談できなかったんだよな。なんか負けた気がするって思ったら』

 心の中を見透かされているような発言に息を呑み、再び火鉢の顔を見る。

「どこまで……知ってるの?」

『さっき話したことで全部だし、最後のは憶測だ。まだちょっとしか関わってないけど、きっと吾妻ならそう思うだろうなって』

「あなた……変わってるわね」

『よく言われるよ』

 困ったような笑顔を見せてベンチにもたれかかる火鉢。

「あなたの推理は正しい、それは認めるわ。でもこれからどうするつもりなの?いじめのことをあなたの姉に報告するの?」

『確かにそれが一番いいのかもしれないけど……吾妻はそれを望んでないんだろ?』

「負けた気がする、なんて私の意地に付き合ってくれるっていうわけね」

『うん……でもこのまま見過ごすわけにもいかない』

「?」

 火鉢は舞踏会で女性をエスコートするように手を差し出して、小さな笑みを浮かべながら口を開いた。

『今日から吾妻を、俺のにする』

「……はぁ?」

 火鉢の言うことが理解できなかった。あれだけまとまった話をしていた人間がそんな突拍子もないことを言い出すなんて、思いもしなかった。

「ちょっと待ちなさいよ!助手?何がどうなってそんなことになったのよ!」

『このまま吾妻を放っておくわけにはいかない。かといって助け出すというのも望まれていない。というわけで、俺がずっと吾妻のことを見ていられるような位置に据えておくことにした』

「一つも意味わかんないんだけど!大体助手って何の助手なのよ!」

『俺は謎解きが好きなんだ。生活っていうのには、意外と謎が多く存在するんだ。無くしものの謎、恋愛感情の謎。果ては七不思議の謎なんてのもある。俺はずっとそんな謎を解いてきたんだ。だからそれの助手ってことで』

「……」

説明を聞いても理解できない。生徒のいじめを知ったかと思えば、その生徒を助手にするなんてまるっきり理解不能な状況だ。

こんな状況、人生にあるとは思ってなかった。

「私が助手……ねぇ?」

『そう、助手』

「――ふん!お断りよ!」

 こんな話に付き合っていることが馬鹿らしくなった私は、カバンを持って足早に公園を去る。

 一方的に話を打ち切ったというのに、火鉢は私を止めようとはしなかった。何か言葉をかけるでもなく、ただ去り行く私を見ていた。

 そして公園から少し離れた曲がり角から火鉢の様子をこっそり見ると、誰かと電話しているようだった。何の不満げもなく、楽しそうに。

「……変な男」

 噂の悟りくんはどんな人かと思ったけど、変な人だという事しかわからなかった。


× × ×


 翌日の昼休み、食事を終えたクラスメイト達がわいわいがやがやと休憩時間を楽しんでいる。友達と話すのがそんなに楽しいものなのか私には理解できない。本でも読んでいる方が有意義だと思う。

 私に嫌がらせをしてる連中もわいわいがやがや。あーうるさいうるさい。

『吾妻~いるか~?……あ、いた』

「……火鉢?」

 火鉢が廊下側の窓からひょこっと顔を出してきて、丁度その真下で机に突っ伏す私を見つける。

「え?悟りくん……?なんでここに?」

「わ、悟りくんだ!この前友達が助けてもらったって言ってた!」

 私が思ってたよりも火鉢は有名人な用で、その来訪にクラスがざわめき始める。

 ただでさえ他のクラスの人が来ること自体注目されるのに、さらにそれが火鉢になると、必然的にその話し相手である私にも目線が向く。

『お昼ご飯もう食べた?』

「見ての通りだけど、何なの?」

『ちょっとこっち来て、早く』

「わ、わかったわよ……」

 これ以上注目を浴び続けるのは嫌なので、そそくさと教室を出る。大方昨日の話の続きでもしに来たのだろう。早く切り上げて借りて来た本でも読もう。

『なんで吾妻さん連れて行ったんだろう?』

『さぁ?付き合ってる……とかないよね……?』

『……あるわけないでしょ。あいつに限ってそんなの』

『そ……それもそっか』


× × ×


『それでは、早速推理を始めましょう』

 今私たちがいるのは神薙高校本校舎1階の保健室。

 薬品などの独特な匂いが少しだけ気になるその部屋には、私と火鉢を含めて5人の生徒と1人の先生が集まっていた。

(なんで……こんなことになったのかしら……)

 火鉢によると、解いて欲しい謎があると言われたから助手である私も同行するようにとのことだった。

 助手になった覚えはないと反論すると、そこを何とかと土下座でもしそうな勢いで頼み込んできた。昨日の諦め具合とは打って変わっての行動に動揺した私は、つい「わかったから顔を上げなさい!」と言ってしまった。

『それはいいんだけどね?悟りくん……その子は?』

 おっとりとした雰囲気の先輩が私をちらりと見て火鉢に問いかける。何でここに居るのかは私が一番知りたい。

『謎解きを手伝ってもらう俺の助手です。ほら、挨拶して』

「っ……あ、吾妻日和……です」

 何でこいつが保護者目線なのかは知らないけど、変に場を乱してもいい事は無いので、そのまま自己紹介する。

 そして先輩3人からも名前を聞かれ、いよいよ本題の保健室の謎へと突入する。

一昨日から保健室で起こっている不思議な現象を解明してほしいという類のものらしいけど、どういうことなのだろう。

……って、あれ。何かちょっとだけ気になっている自分がいる。

『――っていう事があって……どういうことなんだろう?』

 一通り話を聞いても、その謎の全貌が見えてこない。学校には意外と多くの謎が存在する……昨日火鉢が言っていたことは本当らしい。

 頭をひねってもまるでわからない。手がかりになりそうなところを探そうにもどこを探せばいいかわからない。

 昔から謎解きとか推理は得意な方だと思っていた。でもそれはゲームや物語の〝用意された謎〟に限った話だった。こんな風に明確な答えがあるかもわからない謎には、私は歯が立たなかった。

「――謎は解けました」

「……え?」

 火鉢はそう言う。まだ謎を聞いて数分も経っていないのに。保健室を見渡して少し考えていただけなのに。

 頭では理解できていなかったけど、見上げた火鉢の横顔を見た時、その言葉が真実なんだと察した。

 私のお父さんとお母さん……私が憧れたの顔が、火鉢に重なって見えたから。

『ほ……本当なの!?』

『いや、まずは仮定の話なんだよね?まさか……ね?』

 皆半信半疑で火鉢の言葉を待つ。私もそうだ。

 その要求に答えるように、火鉢は公園で推理を語ったあの時みたく説明を始めた。さっきまでの無気力な火鉢とは違う、楽しい時を過ごしているように生き生きとした口調だ。

「この謎の全貌はこうです」

 火鉢の謎解きの結果は、言葉一つ一つに筋が通っていた。やがてその筋は結ばれて一つの道になる。へと続く道に。

誰も異論は挟まない。挟めない。答え合わせなんて無くとも、皆それが真実だと悟ったからだ。

「これが、俺が解いた謎の全てです」

『……なるほど、うん。そうだったんだね』

『ありがとう悟りくん!おかげですっきりしたよ!』

『謎を解いてくれてありがとう火鉢君。火鉢先生の言ってた通りだわ』

「それでは、俺はこれで。――〝謎〟の提供、ありがとうございました」

 最後にそう言い残して保健室を去る火鉢の顔は、どこか満足そうだった。

「……あ、ちょっと待ちなさいよ!」

 呆然としたまま突っ立っていた私は急いでその後を追う。幸い火鉢は保健室から出たすぐそこを歩いていた。

「置いて行くなんてどういうことよ」

「あ、ごめん。助手がいるの忘れてた……」

「だから助手じゃないわよ!」

「あはは……それで、今日の謎解きはどうだった?」

「どうだったって……何のことよ」

「楽しかった?」

「……楽しむ間もなかったわよ。あなたがすぐに解いちゃうんだもの」

「それは……ごめん。つい嬉しくて」

 申し訳なさそうに言うので、恐らく悪気は無かったのだろう。ただ謎が解けたことが嬉しくて結論を述べただけに過ぎない。問題があるのはその速度だ。

「あなた……どうしてあの謎があんな短時間で解けたの?」

「どうして……かぁ」

 答えに困ることはわかっている。なんでそんなに頭が良いの?という質問と同じような意味だから。でも聞かずにはいられなかった。その脳内がどうなっているのか気になって仕方なかったから。

「俺にもわからない。ただ謎解きが好きだから……としか言いようがないかな」

「ふん……」

「謎を解くのが楽しいから、俺の頭はそれ用に進化したのかな。なんてね」

 冗談めかしてそう言う火鉢だけど、その冗談は何処か引っかかった。謎を解くのが好きで、それ用に進化した脳……そんなバカみたいな話は、私の心を動かした。

 私はいつか探偵になる。お父さんやお母さんみたいな立派な探偵に。そのためには、あの程度の謎で立ち止まってはいられない。

「だからさ、助手。次の謎は一緒に解こう。どんな謎が待っているか知らないけど、きっと楽しい謎が――」

「だから助手じゃないし、何で次があるみたいになってるのよ!」

「え?だって助手は助手だから……」

「馬鹿なのか天才なのかはっきりしなさい!あぁもう!あなたの言ってることは何にもわからない!こんなの初めてよ!」

「はは……」

「何笑ってんのよ!」

「いや、吾妻はそっちの元気な方が似合うなって思って……」

 昨日の泣きそうだった私を思い出しているのだろう。あの弱弱しかった私を。

「早く忘れなさい!こっちが本当の私なんだから!」

「わかったよ。助手」

「だから助手じゃないわよっ!」

 この調子がいつまで続くのだろうと、その時の私は思っていた。こいつの助手なんか願い下げだって心から思ってた。

 その翌日も、翌翌日も、そのまた次の日も、さらにその来週も再来週も、火鉢は謎解きに私を同行させた。

 火鉢より早く謎を解いてやるって意気込んでたけど、全部だめだった。先に謎を解いた火鉢にヒントを与えられてやっと真実を知った時は屈辱的だったし、逆に自力で謎を解いたときはすっごく嬉しかった。

 いつしか私は火鉢が来る昼休みを楽しみに感じていた。心から謎解きを楽しむようになっていた。いつも強引に謎解きに誘ってくる火鉢について行く時間を私は楽しんでいた。この学校の謎が尽きないで欲しいと、そう思えるほどに。

 あれ?そういえばなんだか悩んでいたことがあったような気がしたけど、なんだったっけ。

(まぁいいわ。それより今はこの謎よ……!)

 今は火鉢があっという間に解いてしまった謎を必死になって考えている最中。その謎を提供してきた人には既に火鉢が説明しに行っている。一人図書室に残った私は火鉢が帰ってくるまでに何としてもこの謎を解いてやろうと躍起になっている。

 最近の寒波の影響で窓の外に降る雪はまだ止みそうにない。空気は凍り付いたように寒くて、まるで氷河期だ。

 図書室は温かいので気にならないけど、廊下に出ている火鉢は今頃寒さで震えている頃だろう。火鉢が図書室から出た時に聞こえた「寒っ!」は今でも耳に残っている。

「……火鉢のかっこつけ」

 誰にも聞こえないようにそう呟いてポケットに手を突っ込むと、まだ暖かいカイロが入っている。

(いくら私が寒そうにしてたからって……自分が寒かったら元も子もないじゃない……)

 その温もりはカイロのものなのか、それとも彼の……

(いやいや、何考えてるの私!集中集中……!)

 と言っても全然集中できそうにない。さっきから火鉢の事が気になって仕方ない。

 気になってというのはそう意味じゃなくて、帰りが遅いなー的な意味だ。

「……やっぱり遅い」

 謎は解けそうにはない。火鉢も帰ってくる気配はない。

(すっごく癪だけど、ヒントを聞きに行こうかしら)

 火鉢が心配だとかそんなのじゃない。あくまで謎解きのためだと自分を納得させて、図書室の扉を開いた。

「寒っ!」


× × ×


 冬の夕暮れは不思議な気分で、夕方というよりは夜に近いような印象を受ける。

 視界に移る白い息も気にならなくなってきた。火鉢が向かった1年生の教室まではもうすぐ着く。

 謎を提供してきた人は隣のクラスの男子生徒で、放課後は教室に残って勉強しているのだそう。

 階段を上って教室まで行くと、そこには誰もいなかった。その男子生徒どころか火鉢もいない。

「?」

 気になってスマホを確認してみるけど、火鉢からの連絡は無い。入れ違いになってしまったのだろうか。

「……無駄足じゃない」

 そう言い残して踵を返すと同時に、なにやら遠くの教室から声が聞こえてくる。

『……!……!!』

「…………」

 女子の声が複数と、男子の声が一つ。

(っていうかこの声って……)

 その声のする方へ向かうと、会話の内容が鮮明に聞こえてくる。

『だからさ~私達と遊ぼうよ~』

『そうそう!この後カラオケ行くんだけど、一緒に行こうよ~』

『いっぱいお話きかせてよ~〝悟りくん〟』

(……っ!?火鉢!?)

 教室を覗き込んでみると、火鉢が4人の女子生徒と話していた。あろうことかその女子は皆私に嫌がらせをしていた奴らだった。最近はされなくなったから忘れてたけど、今更どうしたんだろう?

「悪いけど、俺吾妻の所行かなきゃいけないんだ」

 早々に話を切り上げてその場を去ろうとする火鉢だけど、4人のリーダー的な女子生徒が火鉢の腕を掴んで、トーンの上がった高い声で話す。

『吾妻なんてほっとこうよ~、アイツと絡んでもいいことないからさ~』

 ……まだアイツは私のことが嫌いなのか。

「いや、俺は……」

『いいじゃ~ん、行こうよ悟りくん』

そういえばクラスでちらっと聞いた。以前あの4人のうちの一人が火鉢に謎を解いてもらったらしい。それから火鉢のことが気になり始めたらしいけど、火鉢にはいつもシャーロットという女の子が引っ付いて回っていた。恋人同士なのかと思っていたけど、ただの幼馴染だという。

 火鉢の謎解きに同行すると大体シャーロットもセットになってついてくるので、話す機会はそれなりにあった。良い意味で表裏の無いシャーロットと話すのは、なかなか楽しい。

 しかし火鉢のことが好きな人物にとっては邪魔な存在で、よくクラスでシャーロットの陰口を言っていた。見た目や中身は逆立ちしてもシャーロットには勝てないからこそ出た悪口なのだろう。

 しかし1週間前からだろうか。火鉢はシャーロットと一緒に居ることが少なくなった。挨拶はするけど、一緒にご飯を食べたりはしない。一緒に謎解きをすることもない。別れたんじゃないか?という噂まで立ち始めたほどだ。火鉢を狙う者にとっては好奇だろう。

『吾妻ってさ、何にも面白くない奴なんだよ?愛想もないし、喋ってて楽しくないし。あと他人をすっごく見下してる奴なの』

 シャーロットと火鉢に何があったかは知らないけど、今火鉢の周りにいる女子は私と後一人だけ。でもその一人はクラスと委員会以外で火鉢と話す事はあまり無いので、こうして昼休みや放課後を共に過ごすのは私だけだ。

 あの4人は私からなら火鉢を引きはがせると思っているのだろう。あの馬鹿にするような声を聴いただけですぐにわかる。

「行かないよ。この手を離してくれないか?」

『ねぇなんで~?いっぱい楽しいことしようよ~』

 火鉢は拒絶するけど、向こうも引く気はないらしい。

 こうなったら私が出て行って火鉢を連れ出そうかな。なんて考えが頭をよぎる。

 でも、身体が動かない。言うことを聞いてくれない。扉にかけた手がそれ以上動かせない。

(……あぁ、そうか。まだ怖いんだ)

 どうやらあのいじめの件は、私の中ではすっかりトラウマになっているらしい。強がっていてもそれは変わらない。火鉢と謎解きをする安らぎの時間の中で、その恐怖心を隠していたんだ。必死になって忘れようとしていたんだ。

 一度弱い自分を見つけてしまうと、もうどうしようもない。ネガティブな考えばかりが浮かんで、身体から力が失われ、その場にへたり込む。

(火鉢……このまま行っちゃうのかな……?)

 そんなことないはずだと思いたいのに、自分を信じられない。

 私はまだ、弱い自分のままだった。

『ね~ね~悟りく~ん』

 火鉢のことが好きだと言っていた女子が火鉢の肩に手を回そうとする。

 その光景の続きを見たく無かった。私の心にかかる靄の正体がわからなかった。

 恐怖心じゃない、もっと別の……感じた事の無い気持ちだ。

「――聞こえなかったか?帰るって言ったんだよ」

 一瞬誰の声かわからなかった。聞いたこともないような低い声と共に、火鉢はその女子の手を払いのけていた。

「吾妻の事知らないくせに好き勝手言って……いい加減にしろよ」

 無気力な火鉢とは違う。謎解きの生き生きとした火鉢とも違う。その目は鋭く、目線が動くたびに心臓が破裂しそうになるくらいの迫力だった。4人はそんな火鉢を見て固まっている。

「お前らがどう思ってようと勝手だけど、次吾妻のことを悪く言ったり手出したりしたら……」

『『『『――っ!?』』』』

 火鉢がそう言ってスマホの画面を見せる。そこには私のストラップをカバンから引きちぎる4人の写真が写っていた。それだけじゃない。画面をスライドすると、いじめの証拠となるような写真や動画がいくつも表示された。

「すぐ吾妻に謝れ。言葉じゃなくて行動での謝罪だ」

『ご……ごめんなさい……』

「謝る相手が違うだろ?俺の言ったこと忘れたのか?」

 火鉢の言葉一つ一つは落ち着いているはずなのに、なぜかずっと体が震えている。声色のせいか、人を追い詰める内容のせいか。

 いつもの穏やかな火鉢に戻ってほしい。こわい火鉢は……もう見たくない。

 もう話は終わりだと言わんばかりに火鉢がドアの方へと向かってきた。この後図書館に行って私を迎えにくるのだろう。

 私はすぐに、その場を逃げ出してしまった。

 今の私が火鉢に会うなんて、できなかった。

 走りながら『先に帰る』というメッセージを火鉢に送り、学校を飛び出した。

 謎の答えなんてもういい。明日聞けばいい。

「どうしちゃったの?……私……」

 未だ降りしきる雪の中、いつぞやの公園のベンチで、私はさっきの光景を思い出す。

 「火鉢は怒らないわよね」と以前言ったことがある。「その必要が無いだけだよ、怒るときは怒る」と火鉢は言っていた。怒った火鉢があんなに怖いなんて、思いもしなかった。

 でも、それと同時に嬉しかった。私のことを庇ってくれて。

「まだ……ドキドキしてる……」

 このドキドキはいつも穏やかな火鉢が怒った場面を見たからだ。そうに違いない。

 そうに……決まってる。

「やっぱり……はぁ……ここにいた」

「火鉢……?」

 顔を上げると、完全に息を切らした火鉢が立っていた。

「なんで……?先に帰るって言ったのに……」

「これ……忘れてたよ」

 そう言って火鉢が差し出してくるのはあのストラップ。家族旅行のお土産で買った大事なストラップ。

「あ……」

 きっとあの教室の前で落としたのだろう。よく見ると紐が切れている。もう古くなってたし……寿命だったのだろう。

「教室で話してたこと……聞いてたの?」

「……うん。火鉢が怒ってるの、見ちゃった」

「そっか……」

 火鉢が隣に座って、同じ目線になる。

「怖がらせちゃった?」

「そ……そんなんじゃ……」

 声も手も震えている。これじゃすぐに嘘だってバレるだろう。

「許せなかったんだ。吾妻が悪く言われるの」

「……」

「俺は、吾妻がつまらない人間だとは思わない。一緒に居て楽しくて、自分の考えをしっかり持ってる強い人間だと思う」

「ちがうわよ、私は……強くなんかない。怖い物からは目を反らして、嫌なことからはすぐ逃げ出す。そんな弱い人間」

「……わかってないなぁ。そんなの、普通のことだよ」

「え?」

「俺だって苦手なことからは逃げるし、怖い物からは目を反らす。関わりたくないモノには近づかない」

「わ、私は、人との接し方がわからなくて、周りに合わせることなんかできなくて!」

「人との接し方に正解は無いよ。現に今吾妻と俺はうまく話せてる」

「じゃ、じゃあ!」

「大丈夫だよ」

 言葉を遮った火鉢が私の頭に手を乗せ、優しく頭を撫でる。

「吾妻が思っている短所は、誰かにとっては素敵な個性なんだ。それを否定したりはしないよ。そのせいで人から嫌われるなら、その人から離れればいい。そのせいで嫌なことがあったら、俺に頼ればいい」

「……火鉢に?」

「うん。俺と、あとシャロとか。吾妻のお父さんとかお母さんとか」

 私はいつも一人で抱え込んで、一人で解決しようとしていた。いじめのことだって、お母さんやお父さんに相談する事は無かった。そうやって強い自分を演じていたんだ。

「だから吾妻……もう泣かないで」

「え……?」

 頬に当てた指が濡れた。頬についた雪が解けたわけじゃない。

 私自身の、溶けた氷だ。

「……もう……我慢しなくてもいいの……?」

「うん、いいよ」

「あなたを頼ってもいいの……?」

「うん」

「火鉢は……こんな私を受け入れてくれる……?」

「もちろんだよ。これからもよろしくね。吾妻」

「火鉢……」

「大丈夫。俺は、ずっと吾妻のだから」

「うっ……うわぁあああああん!」

 火鉢の胸に体を預けて、私は子供みたいに泣きじゃくった。

 家族以外の人を頼ったのは、思えばこれが初めてだった。人の胸で泣いたのなんていつ以来だろう。家族以外では初めてだ。

 こんなに……温かかったんだ。

 降りしきる雪の中でも、こんなにも。

 ひとしきり泣いた後、火鉢が飲み物を買ってきてくれた。

 それを二人で飲みながら、私は結局解けなかった謎の答えを聞いた。

 そのトリックはひどく簡単で、まだまだ火鉢には追い付けないことを思い知らされた。

「次の謎は俺より早く解けると良いな?我が助手?」

「ぐぬぬ……今に見てなさいよ!絶対あなたよりも早く解決してみせるんだから!」

「できるかな~?我が――」

「助手じゃない!」

 それはいつものやり取り。別に忘れてもいい普通の会話だったけど、今日のは少しだけ特別にしたかった。

「あ、あなたの方こそ助手になるべきよ!」

「……俺が?」

 今日の会話は、忘れたくなかった。

 弱い私から、弱くて誰かに助けてもらえる私への乗り換え記念日だから。

「私は将来お母さんやお父さんみたいな立派な探偵になるの!助手は今日で卒業よ!」

「そ……そっか」

「だから火鉢悟!あなたが今日から私の助手よ!」

「――え?」

 誰かを助けて、頼りにされる探偵になる。

 その夢を叶えるために、いい見本がここに居る。

「いいわね!?」

「そんなの、お断りだね!」

 人差し指をびしっと突き立ててそう言い放つ火鉢。

 そういう動作も、今度からやってみようかな。

「あなたも強引に私のことを助手にしたでしょ?」

「それは……確かに……」

「なら、別に文句はないわよね?」

「ぐっ……それじゃあ!何か吾妻が一つでも俺に勝てたら助手になってあげるよ」

「勝つ?」

「あぁ、トランプとか、スポーツとか、謎解きとか。何でもいい。一つでも俺よりすごいことを証明して見せなよ」

「ほう……?随分舐められているようだけど、いいわ!その勝負乗ってあげる!」

「果たして俺に勝てるかな?」

「ふん!ボコボコにしてあげるんだから、覚悟しなさいよね!助手!」

「まだ助手じゃないんだけど……」

「細かいことはいいの!」

 私は自分を信じたい。弱いままでいいから自分の行動に自信が欲しい。

 だから何が何でも夢を叶えてやる。誰かを助ける探偵になってやる。

 私の憧れた、の探偵みたいになってやる。

「だからこれからも……」

 助手なんて呼ばれ方、私には似合わない。

「よろしくね……助手」

 だって助手っていうのは、誰かを人なんだから。

「あぁ、よろしくな。――吾妻」

 吹雪は収まっても、雪はまだ止まない。寒波の影響はもうしばらく続くだろう。しかし、私にとっての寒波はこの日を境に止みそうだ。

 その日から、私の人生はちょっとだけ変わった。

 ちょっとだけ友達ができて、ちょっとだけ学校が楽しくなって、ちょっとだけ本気で叶えたい夢ができて……

 ちょっとだけかっこいい、助手ができた。


× × ×


「これが、私と助手……悟との出会いの話」

「……素敵な話だね」

「認めたくないけど、私は助手に救われた。助手と出会わなかったら、あなたとだって仲良くなることもできなかったし、人生に価値を見出せなくなっていたかもしれない」

 その言葉の続きは出なかった。きっと暗いことを言って、衣織を心配させてしまうだけだったから。

「だから……衣織。これからも……その……」

「うん、ずっと一緒、だね!」

「……うん」

 照れくさいけど、今この場所でしか言えない気がした。友達に改まったことを言うのは、いつも通りではできそうにないから。

「ねぇ、日和ちゃん」

 それから少しだけ笑った後、足を止めた衣織が真剣な声色で呼び止める。

 衣織の言い出すことが、わかる気がする。

「日和ちゃんはさ、もう気づいてるんだよね?」

「なにによ」

「自分の気持ちに……だよ。私の告白を止めようと思った気持ちの……そのに」

「……」

 恋する乙女は鋭いものだ。以前お母さんがそう言っていた。浮気調査の依頼を受けたときに感じたそうけど、私は今やっと実感した。

 いや、違うか。これは私が隠せていないだけだ。

「好きよ……好きになるに決まってるじゃない」

 助手は降りかかる悪意を振り払ってくれて、私に夢と友達をくれた。

 それでどれだけ救われたか。何度感謝したことか。その感謝が好意に変わるのに、長い時間はかからなかった。

「やっと素直になったね……」

「誰かさんのおかげでね」

 私はこんな会話がしたかった。友達と旅行の夜に恋バナをしてみたかった。

 その恋の相手が同じ人だけど、それはそれ。

「誰にも言ったこと無かったのよ。お母さんにもお父さんにも」

「私はバレちゃったよ。お父さんとお母さんに」

「えっ!?ど、どうなったの?」

「二人とも応援してくれたよ……何が何でもつかみ取りなさいだって……」

「よ、よかったわね……」

 親とそういう話なんて、私なら恥ずかしくてできそうにない。

 でも、きっと私の両親もそう言うだろう。ひそかに助手を探偵にする計画を進めているようだし。

「だから頑張るつもりだったけど……もっと積極的に行かなきゃだね。だって……もう一人強力なライバルが増えちゃったんだから」

「……へぇ?」

「日和ちゃん。私……負けないから」

「こっちだって、助手を渡すつもりはないわ!」

 二人の視線が交差する。

 例え片方が悲しむことになっても、必ず祝福すると誓う。

 そんな戦いの火蓋は、既に切られていた。

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