【KAC20235】焼き肉屋の看板娘

無雲律人

看板娘に起きた悲劇

 カルビ、タン、ザブトン、ヒレ、ランプ、ハチノス……私の父ちゃんの焼き肉屋『笑門しょうもん』には美味しいお肉がたんまりあるよ! お客さん、是非うちで一杯やって行きませんか? それとも、大盛りご飯で満腹になる?


***


 東京郊外の住宅街に、その焼き肉屋はひっそりとあった。


 良質な肉を揃え、比較的安価に提供する。その評判は口コミで広がり、連日店は大盛況だった。


「スズちゃーん! ハラミ追加、生お代わり!」

「はいよっ! とくさん今日も調子いいね!」


 早川はやかわすずは、『笑門しょうもん』の店主、浩三こうぞうの一人娘だ。年は二十五歳。高校を卒業してからずっと店を手伝っている孝行娘だ。


 浩三の妻は、鈴が小学生の頃に、病で死んだ。以来、浩三は男手ひとつで鈴を育てて来た。


 それは、大切な花を愛でるように。そして、他人を思いやれる優しい子になるように、と。持てる愛情を全て注いで、育てて来た。


 鈴は看板娘としてとても評判が良かった。見た目が愛らしい事もあったが、気立ても良く、はきはきと客をさばく様は見ていて気持ちが良いと評判だった。


 そして、鈴は近々幼馴染の亮太りょうたとの結婚を控えていた。


 鈴と亮太は、店が終わった後のほんの少しの時間、近所の公園で缶ビールを一本飲むという逢瀬の時間を習慣にしていた。その日も、鈴は店が終わると息を切らして公園へと向かった。


「亮太―! お待たせ! 待った?」


 苦しくなっている呼吸を整えながら、鈴は亮太の姿を探した。しかし、そこに亮太の姿は無かった。


「亮太、まだ来てないのかなぁ?」


 時計を見ると時刻は零時。鈴は頭を左右に振って周りを見る。


 その時だった。鈴は、背後から強烈な力で足を掴まれた。


 鈴は短いながら大きな悲鳴を上げたが、周囲に歩いている人はいなかった。鈴は、あまりにも突然の事で頭がパニックになっていた。


「きゃぁぁぁ!!!!!!」


 悲鳴も虚しく、鈴は倒されてどんどん引きずられ、公園の茂みへと連れていかれる。


 そして、仰向けに転がされると、意味が分からないままに服を引き裂かれ、そして、凌辱された。


***


 痛みと口惜しさで呆然としている鈴をよそに、その男はズボンを直し、ベルトを締め、そして足早に去って行った。


 鈴は、しばらく動けなかった。


 凌辱されたショックに加えて、全ての筋肉や節々の痛みがあったが、何より悲劇だったのは、鈴がその男を知っていたという事だった。


「徳さん……なんで……」


 そう。鈴を凌辱した男は、『笑門』の常連客の徳田だったのだ。


「スズちゃん、俺ずっとスズちゃんが好きだっんだ!  あんな小僧に抱かれてるなんて許せねぇ!」


 そう、徳田は叫びながら鈴を凌辱したが、それは、鈴にとって受け入れがたい裏切りだった。


 何故、自分がこんな目に遭わなければいけないのか。何故、ただの店の常連である徳田を受け入れなければならないのか。何故、こんなうだつの上がらない男に凌辱されなければならないのか。

 

 鈴の頭は、混乱していた。


 その時、声がした。


「鈴ー! 鈴どこだー?」


 亮太だった。


 鈴は、今の姿の自分を亮太に見られたくなかった。だから、息をひそめて茂みに隠れていた。


 しかし、見付かった。


「鈴!? 鈴どうしたんだその姿……まさか……!?」


 鈴は無言で頭を振る。しかし、服を切り裂かれた自分の姿は、どう見ても性暴力を受けた後のそれだった。


「鈴……俺が遅刻さえしなかったら。残業なんてしなかったら、もっと早くにちゃんと連絡しておけば、こんな事には……」

「亮太……自分を責めないで……」


 鈴も亮太も泣いていた。


 亮太は、こんな時でも相手を思いやる気持ちを忘れない、鈴の純粋な心に感動していた。


「鈴、俺、鈴をこんな目に遭わせた奴、許さないから……」


 鈴は、亮太に連れられて家に帰り、そして、亮太と浩三に事の真相を告げた。


***


「いらっしゃい! 今日も美味しいお肉、いっぱいあるよ!」


 店内に鈴の元気な声が響く。


「おー、スズちゃん! 一週間も店を閉じてたから、マスターの具合でも悪いのかと思っていたよ!」

「父ちゃんは今日も元気ですよ! 中井さん、今日は一頭買いで特別に美味しいお肉を入荷していますが、どうしますか? スペシャル特価で提供しますよ!」

「そうか! じゃぁその一頭買いの肉のおまかせと生の大で!」

「はいよー!」


 店内は変わりなく賑わっている。スペシャル特価の特別な肉も、とても好評だ。


「スズちゃん、この肉と部位、何て言うんだい? ちょっと筋肉質な噛み応えだけど、凄く美味しいなぁ」


 鈴は、満面の笑みでこう答えた。


「それは、の筋肉の部分かな。特別のとくちゃんです!」

「とくちゃーんなんだそりゃ」


 客たちがどっと笑いだす。


「そういや、徳さん最近見ねぇなぁ。どっか行っちゃったのかな?」

「そうですか? 転居でもされたんですかね?」


 そう、鈴を汚す者は、この世から居なくなった方が良い。鈴は、浩三にとっても、亮太にとっても、かけがえのない娘なのだ。


 向けられる歪んだ好意など、網の上で焼いてしまえ────。



────了

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