夜の怪物と友になる

海沈生物

第1話

 私がまだ、中学生の頃のことだ。人間の友達のいない私には、夜にだけ会える怪物の友達がいた。その頃の私は学校の人間関係に馴染めず、不眠症……夜に眠れなくなっていた。最初の内はインターネットで「全然寝れない! ぎゃはは!」「もう朝じゃん。草」とツイートすることでどうにか精神を保っていたが、それも一カ月もするとそんな気分ではなくなってきた。


 段々と病み垢みたいなツイートをしそうになっていた私は、さすがにこれは不味いと思った。このままではリスカを見せびらかすような、承認欲求の「怪物」になってしまう。というか、睡眠不足で死んでしまう。一体どうすれば良いのか。


 そう悩んでいた時のことだ。私の部屋の窓を、コンコンと叩く音がした。一瞬風が窓を揺らしているのかと思っていたが、よく見ると、窓の向こうにある屋根に四足歩行の「怪物」がいた。


 その怪物の体表は真っ黒な毛で覆われていた。その毛は月明かりに反射して、キラキラと輝いていた。その毛の奥には赤く光るつぶらな瞳が三つあり、それらが私のことを窓越しに見つめていた。普通、そのような奇妙な存在を見れば、人は驚くか怖がるものだろう。しかし、私は不眠症で疲れていたせいか、その奇妙な存在が存在することを許容した。むしろ、その体表に触れたくなった。モフリたくなったのだ。


 私は恍惚とした表情で窓を開けると、早速怪物の身体に抱きついた。案の定、体表を覆う黒い毛は、洗い立てのタオルのようにフカフカだった。少なくとも一年は洗っていない私の布団とは、比べるまでもなく良質な肌触りをしていた。不眠症の私であったが、この毛の上なら眠れるという不思議な確信を持った。

 

「ねぇ、怪物くん。この上で眠ってもいい?」


 怪物は何も言わなかった。その代わり、頭を縦に振ってくれた。私は怪物の背中で仰向けに寝転ぶと、溶けるようにして眠りについた。


# # #


 次に目を覚ました時、空はまだ暗かった。怪物の背中でぐっすりと眠ることができた私は、いつもより身体が軽いのに気付いた。眠れるって、なんて素晴らしいことなんだろうか。ぐっと背伸びをすると、怪物の背中から起き上がる。

 怪物の目の前に行くと、ちょうど怪物も眠っていたらしく、ふわぁとあくびをしながら立ち上がった。


「おはよう、怪物くん」


「————」


「相変わらず、喋らないんだね。それとも、喋れないのかな? まぁ、どっちでもいいや。……それよりさ、せっかくだし散歩しない?」


「————!」


 ものすごく嫌そうな顔をされた。それもそうである。寝起きに突然「散歩しよ!」と言われて喜ぶような奇特な人間など、いるわけがない。その時間を二度寝に使いたい。あるいは、布団でうだうだする時間に使いたいものである。


 しかし、その時の私は元気が有り余っていた。久しぶりに身体が軽くなったことでテンションが壊れてしまっていたのだろう。私が百回ぐらい「散歩行こ! ねぇねぇ行こ!」と幼い子どものようにしつこく言うと、怪物はとても面倒臭そうな顔をしながら、渋々頭を縦に振ってくれた。その姿に「やったー!」と素っ頓狂な声をあげると、私は怪物にギュッと抱きついた。怪物は迷惑そうな顔をしながらも、なんだか照れている様子だった。


 それから、私は怪物と手を組んで町へ散歩に繰り出した。夜の町というのは、子どもにとって————あるいは大人にとってもそうかもしれないが————奇妙な「魔力」のようなものがある。その「魔力」は、背徳感と優越感が混ざり合ったような感情を人に覚えさせる。「夜」という時間に出歩いている自分が、普通ではない特別な人間であるような、そんな錯覚を覚えさせるのだ。


 それが、こんな人知を超えた怪物となら尚更である。「誰かにこんな光景を見られたら終わる!」という緊張感を常に感じながら、私は怪物と歩いた。危険な遊具がテープによって封鎖された公園、こんな時間に電気を付けて掃除機をかけている家、車に何度もかれてぺしゃんこになった鳥の死体。


 そんな奇妙なモノたちをわぁわぁと騒ぎながら、二人で見て回った。やがて空が白んでくると、私は「あっ」と声を漏らす。


「そろそろ帰らないと、両親が心配してしまうかぁ。…………今日はありがとう、怪物くん。久しぶりによく眠れたし、楽しい散歩もできた。最高の夜だったよ」


 私が組んでいた手を離して、帰ろうとした。しかし、怪物は組んだ手を離してくれなかった。それどころか、私の身体を自分の方に引き寄せてきた。


「————」


「な、なに? ど、どうかした?」


「———い」


「なんて?」


「————お前を、離さない。離し、たくない。お前、俺いない、眠れない。だから、一緒にいる必要がある」


「えっと……もしかして、離れるのが寂しいの?」


「————」

 

 怪物は静かに頷いた。私はその姿に頭を抱える。このまま帰らなければ、両親が絶対に心配することだろう。捜索届を出して、私をものすごく心配することだろう。とても善良な彼らを、私は心配させたくない。


「……分かったわ。それじゃあ、こうしましょう? 昨日はちゃんと眠れたけど、家の布団じゃ私は眠ることができない。だから、また私の部屋に遊びに来て。私たちは夜という不思議な魔力に包まれた時間にだけ会う、”特別な友達”になるの。……どうかしら?」


 怪物はイマイチ私の言ったことを理解してくれてない様子だった。しかし、要点は掴んだらしい。怪物はこくりと頷くと、私の手を離してくれた。私は「ありがとう」とお礼を言って、彼の頬に軽く親愛のキスしてあげた。

 怪物は顔を赤くして照れながらも、私の頬にキスを返してくれた。


 それから一年近くその怪物の友達と私は交流を持った。しかし、私の学校の人間関係にも馴染めてきて不眠症も改善し、同級生の「彼氏」が出来た頃のことだ。その怪物は唐突に姿を消した。今となっては、あの怪物が本当に実在していたのか分からない。


 ただ、あの毛の肌触りだけが私の記憶として深く残っているだけである。

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