~エピローグ~納骨堂の中で
前半生で病気で苦しんでいたことを埋めるように、術後の安卓未は凄まじい速度で回復している。
医療チームの予想では少なくとも一週間ほど安静しないと病床を降りることすらできないとのことだったが、安卓未は目を覚ましてからの四日目でこっそりと冀楓晩に夜這いを仕掛けた。二週間後にリハビリを始められる。三週間後に基礎的な移動能力を取り戻せるなどといった推測を裏切り、安卓未はリハビリ室で十日しか滞在していないところで、各数値は術前の頃を上回った。
その回復の速さもあり、手術を終えてからの四十日目、冀楓晩は安卓未と薪火の運転するワゴン車に乗って、冀一家の遺骨が収蔵されている納骨堂に向かった。
納骨堂は殻の屋から車でおよそ二時間ほどかかる丘陵地帯に位置しており、途中で安卓未はかなりはしゃいでいていた。ネットで納骨堂の紹介と写真を調べながら、この納骨堂を選んだ理由や遺骨が納骨堂に収蔵されるまでの流れなどを冀楓晩に質問責めしていた。
ワゴン車が二人を納骨堂の正面口まで運んで、冀楓晩は安卓未を電動車椅子に乗せ、大きな地蔵菩薩立像が聳えるホールに足を踏み入れた。
冀楓晩が前回納骨堂に入ったのは四年前のことだった。堂内の内装や動線などはあの時と変わらないが、スタッフに案内してもらってようやく家族の遺骨が供養されているところにたどり着いた。
冀一家と猫一匹は三つの収蔵区を貫通させた特大収蔵区に供養されている。冀楓晩は鍵を取り出して収蔵区を開け、長方形となっている収蔵区に入った三つの大きい骨壺と一つの小さな骨壺を見てにわかに鼻がじんとして、思わず目を逸らした。やりきれなさで潰れそうになった途端、安卓未は彼の手を握った。
安卓未は何も言わず、ただ作家の強張った顔を見つめている。作家を見る目には心配以外にも「あなたを悲しませたやつを痛めつけてやりますから」というメッセージが込められている。
それを見て冀楓晩は口角をひきつけた。安卓未の手を握り返し、深呼吸してから収蔵区に向かって言った。
「父さん、母さん、兄さん、ベンツ、久しぶり。この人は小未と言い、僕のテル友、ファン、それと二か月間くらい世話になったアンドロイド執事。今は安科グループでトップエンジニアと董事長を務めている」
「はじめまして!」車椅子の上で安卓未は全力で胸を張って背筋を伸ばした。顔は緊張の色に染まりきっている。
「僕が小未をここに連れてきた理由は……あなたたちが本当にここにいるならもう見当はついてると思うが──小未は僕がこれから一生を共にしようと思ってる相手だ。異論は認めない」
「はい、私も楓晩さんと……一生をなんですって!?」安卓未は裏返った声でそう叫んだ。
「一生を共にする」
冀楓晩はそう答え、安卓未が信じられないという顔をしているのを見て、落胆したような顔で言った。
「今更何を驚いてるんだ?納骨堂に連れてくると言った時は恋人を家族に合わせるのだとわからなかったとしても、前置きの時点で察しはつくだろ」
「でも、私、ええ……あ、うっ!」
安卓未の口部筋肉は思考に追いつけず、束の間の沈黙を経て車椅子の内蔵スピーカーを使って早口で言い続けた。
「あなたのことを独り占めにする可能性が僅か少しあるかもしれないというのは夢にも出ていましたが、これは私が本当に確実に絶対にあなたのことを独り占めにできるってことですか?互いの名前を刻印に入れた指輪をはめて百万元をかけてオーダーメイドスーツを着て夕日を浴びながら誓いの言葉を交わして一か月間ものハネムーンに行ってそして勝手にあなたに近寄ろうとするやつを『この泥棒猫!』って罵ってビンタを食らわせるみたいな独り占めにしてもいいってことですか?」
「大勢の前で罵ったり暴力を使ったりする以外、あなたがその気なら僕は大丈夫」
安卓未は目を丸くし、冀楓晩を見つめて何も言えずに固まったままだが、後ろのスピーカーから「信号がありません」「ういういういうい」「シャープコメビックリ黒ひし形」「あいよおううううえ」といったような奇々怪々な音が漏れてきた。
冀楓晩はため息をつき、屈んで安卓未にデコピンしてスピーカーのノイズを止め、ショックに陥っていた青年に「何か僕の家族に言いたいことはないのか?」と聞いた。
「あ、あります!」
安卓未は自分の声でそう言い、電動車椅子で収蔵区の前に移動し、その中に入った集合写真を見た途端口を開けて愕然とした。
「どうした?」冀楓晩はそう聞いた。
「私……」
安卓未は前のめりになって、冀一家の写真を凝視して「私、この人たちに会ったことあります……この猫も」と言った。
「ネットで見たのか?」冀楓晩は眉をひそめる。彼は家族の写真と名前をネットにアップしたことはないが、彼ら自身もそうだったかどうかは分からない。
「いいえ、写真ではありません、もっとこう、直接に……」
安卓未は目を細めて、なんとか記憶を呼び覚まそうと頭を巡らせていたら、ぱっと閃いたように冀楓晩に振り向いて、「手術室に入った……後で、麻酔を受けてからなんです!」と言った。
「夢で見たってことか?」冀楓晩の眉間にさらにしわが増えた。
「違う気がするけど……」
安卓未は首を傾げて、写真に映っている冀楓晩の母親に指差して、「あ、でも髪型が少し違います……ここでは髪を……下ろしてますが、私が見たのは……ヘアクリップ」と言った。
冀楓晩はびくりと指が震えた。母は家ではいつもヘアクリップで髪を留めているが、オシャレ好きな彼女は写真を撮る場合は必ずヘアクリップを外すようにしていた。
そのため、もし本当に安卓未が彼の母親張玉琴を見たのなら、それは決して写真ではなかったのだ。
「この人の着ている服も……違います」
安卓未の指は他の人に差して「ここでは……白い唐服を着ていますが、私が見たのは……青いの。そしてこの人は……褐色のエプロンを着てて……柄が青の鍬を持っていました。そして猫は……もっと太っていて、お腹がタプタプしていました」と言った。
言い方はシンプルだが、冀楓晩の頭ではその景色が鮮明に映し出した。それは父の冀東遊が明け方に太極拳の稽古に出るときいつも着ていた青服と、兄の冀雲深が仕事用のエプロンと鍬と、とても可愛がっていた猫の太ってはみ出したお腹のたるみだったからだ。
それらは全部、安卓未には知る術もなかったことだったはずだ。
「彼らは……猫も、私を救ったんです!」
安卓未はバラバラだった記憶を拾い集め、興奮気味で嬉々とそう言った。「私が溺れそうになって……走れなくなったところで、彼らは……私をおんぶして、守ってくれて……送ってくれました!」
冀楓晩はよろめき、安卓未の喜びに満ちた横顔を見て、感情的には火のごとく沸き返っているが、理性的には安卓未が薪火のデータ収集能力を通してこの作り話で自分を喜ばせているのではないかと疑いを抱く。
冀楓晩が結論を出しかねていたところで、安卓未は彼に振り向いた。
「玉琴さんが……あなたに……『あたしたちはほとんど納骨堂にいないけど……年に一回くらいは……来なさい』って、伝えてほしいと」
安卓未は顔を上げ冀楓晩を見て、ゆっくりと真摯に言葉を紡ぎ出す。「それと『楓ちゃんが……あの夜……家にいなくて良かった』……と」
冀楓晩は目を大きく瞠った。彼のことを「楓ちゃん」と呼ぶのは家族だけだったのだ。そして彼自身と納骨堂の来客リスト以外、彼が年に一回も来ていないことを知る者はいない。よって、それらのことを言えるのは……
彼ははっと息を呑み、身を翻して顔を伏せ口を覆った。
「楓晩さん?」
「……」
「どうした……んですか?」
「……」
「楓晩さ……うっ!」
安卓未はびっくりして声を上げた。冀楓晩がいきなり自分の太ももに顔を伏せて、袖をクイっと引っ張って震えながらすすり泣きだしたのだ。
安卓未は肩を震わせて泣いている冀楓晩を見て、手を彼の背中に乗せて、玉琴さんが自分にしていたのを真似て、恋人の背中をさする。
冀楓晩は額を安卓未の太ももに当てて、服越しに彼のやや低めだが確かに存在する温かみ、現実の暖かさ、それから恋人の言葉を通して死者から伝わってきた慰めが彼を包み込み、最後の懸念と五年間の葛藤を拭き去り、彼に遠慮せず涙と泣き声で気分を吐き出させた。
冀楓晩と安卓未の姿はガラス越しに家族の写真に映り、長方形の収蔵区に冀楓晩以外の遺骨が収納されていて、そして全員が映った集合写真。静かに佇み、まるで涙する者を凝視し、慰めているかのように。
死が訪れるまで守り合い、死が訪れた者に巡り合いを。
(完)
~ちょっとした裏話~
「つつつつまり、九百九十九本のジュリエットバラも、ウィリアムソンピンクスターやホープダイヤモンドを際立たせる指輪も、百本のドンペリ、台北一〇一の壁面広告に二百台の無人機で二十四時間『楓晩、楓晩愛してる!』放送するのほかに三跪九叩頭の礼をしてから首輪と口枷を差し上げなくてもあなたをお嫁に迎えるってことですか?」
「そうだ!そういうものは全部準備するな!それとああいうSM用語はいったい誰に教わったんだ!」
アンドロイド人形は点滴スタンドの夢を見るか M.貓子(M.ネココ)/KadoKado 角角者 @kadokado_official
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