とある文明からの移民(またはミモレスカートガンマ線バースト)

鳥辺野九

猫は惑星


 夜もほどよく深まったので散歩していたら、猫が私の周回軌道を公転し始めた。

 やや楕円軌道を描いて等速運動で私の周囲を回転する一匹の猫。

 太ももより下、膝より上くらいの高さ、私との距離はおよそ2メートル。斜め66.6度の角度で私の顔を見上げる片耳に虫食い欠けがある白い猫。

 近所の商店街を根城にする地域猫だ。名は「白いヤツ」と呼ばれている。

 しくじった。春の陽気に誘われての深夜の散歩。ミモレスカートなんて穿くんじゃなかった。猫と私のラグランジュ点までスカート裾がひらひら舞い上がってしまう。

 猫を視線で追いかけて、くるりゆるりと一回転。膝上までひらり広がるミモレ丈、縞々柄も相まってまるで土星の輪っかみたい。じゃあ、猫は土星の衛星だ。

 どうせ短い深夜の散歩だ。見ている人も誰もいない。地下鉄の通気孔から吹き上がる風にスカートが捲れるマリリン・モンローのように、片手でミモレ丈スカートを押さえて歩こう。

 白いヤツには彼なりの理由があって私の周回軌道を公転してるのだろう。放っておいてやるのが、深夜の乙女心ってものだ。




 よくよく見れば、猫は猫でそれほど困っている様子もない。深い夜空をゆるりと見上げては琥珀色した瞳で私をじーっと見つめて、かと思うと背中を見せつけるようにして太い尻尾を揺らす。公転だけじゃなく自転もしているのか、白いヤツは。

 暗い夜道での防犯目的で私はLEDライトを手に散歩している。その白く無機質な光が猫の顔を照らし、猫がそっぽを向いて後頭部を光らせ、ブロック塀に三角な虫食い耳のシルエットを浮かび上がらせる。

 私のLEDライトと白い猫の自転運動のおかげで猫に昼夜が発生したようだ。

 猫の顔が昼の時は眩しそうに琥珀色の瞳をきゅっと細めて、夜になれば瞳孔がくるっと丸くなる。尻尾が夜の間は大人しくくるっと丸まって、昼間はのびのびと太く揺らされる。

 私のLEDライトの光が猫にもたらしたものは昼夜の違いだけではないようだ。猫は私の膝上丈あたりの高度を公転しながら私の顔を見つめている。その仰角、私の見立てでは66.6度。LEDライト光が猫の大地に斜めに差し込む。そう。猫に四季が生まれたのだ。

 白いヤツが私の周回軌道を回り始めた時は、ひらめくミモレスカートが輪っかで私は土星。猫は最大衛星タイタン。そう当て嵌めたが、星系の規模はもっと大きいものみたいだ。

 私のLEDライト光は猫の大地に恵みを与える陽の光。まるで私が太陽で猫は地球。ミモレスカートはプロミネンスとともに放たれるガンマ線か、それとも穏やかな太陽風か。私の名は燻澤想子いぶしざわそうこ。つまり、燻澤想子イブシザワソウコ恒星系の誕生である。




 深夜の散歩中、私という一つの恒星の周回軌道を猫という一つの惑星がゆっくりと回った。




 猫の惑星にとって、私という太陽には大きな欠点があった。

 それは惑星に発現した知的生命体が成熟した文明を築き上げるのに不可欠な要素であり、そもそも生物の繁栄に最も重要な因子の一つである。

 私に足りないもの。それは熱だ。

 LEDライトは従来の白熱電球とは違い熱をほとんど発しない。私が放つ光では猫惑星はたとえ猫半球が夏季でも猫大地が温まらないのだ。恒星燻澤想は冷たい星だ。

 彼らの決断は早かった。

 猫の惑星から一筋の光が解き放たれた。猫の惑星に繁栄した文明、猫の民の宇宙移民先遣隊を乗せたロケットだ。移住先は、おそらく私だ。LEDライトの光をキラキラ反射させた光点がみるみる私に近付いてくる。

 ひらひら揺れるミモレスカートの下に潜り込もうと猫の民のロケットは進む。

 ミモレスカートの下?

 いや、ちょっと待て。そんなところに移住されても困る。そもそも私は宇宙移民を受け入れるつもりはない。

 私は一歩たじろいだ。


「あっ」


「ニャッ」


 私が急に一歩後退り、周回軌道を乱したせいだろうか。ラグランジュ点がズレてミモレスカートが翻り、スカートの下に潜ろうとしたロケットの光を打ち消したのだ。

 翻ったスカートに衝突して、音もなく小さな光が強く瞬き、先遣隊を乗せたロケットと思しき光は潰えてしまった。

 白いヤツはその光に驚いて私の周回軌道を離れてしまった。跳ねるように私と距離を置き、一度だけ振り返って私の目を見る。琥珀色の瞳がLEDライトをキラッと反射させ、そして白い猫はもう振り返らなかった。一目散に駆け出して、すぐに夜の闇に溶けて姿を消した。

 ああ、すまない。猫の惑星の住民たちよ。悲しい事故だと諦めてほしい。

 私だってスカートの中に移住されて人肌の熱で文明を築かれるのも嫌だ。移住するなら、せめて上半身にしてよ。




 深夜の散歩中、白い猫の姿を見失って、ふと純国産H3ロケット打ち上げ失敗のニュースを思い出した。

 失敗が何だ。そこから学んでまた一歩前進すればいいだけだ。

 宇宙移住に失敗した猫の惑星の住民たちは、次は何処へ行くのだろう。商店街で白いヤツにまた会ったら、猫缶を一つ奢ってやろう。私は夜空を見上げて思った。

 頑張れ、猫の惑星の住民たち。頑張れ、H3ロケット。頑張れ、JAXA。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

とある文明からの移民(またはミモレスカートガンマ線バースト) 鳥辺野九 @toribeno9

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ