しあわせ書房5~ライバル出現?~
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ライバル出現?
四月に入り、僕は無事進級を果たし、学校と自宅を往復する日々が再び始まった。
杏樹は相変わらず音信不通で、ゼミにすら全く顔を出さなかった。
「杏樹ちゃん、どうしたのかな。去年はほとんど休まず来ていたのに、新学期になったら全然来なくなっちゃったよね」
「ゼミで一番勉強をがんばっていたのにね。何があったのかな」
僕の後ろの席から、杏樹がゼミに来ないことを不思議がる声が聞こえてきた。
その原因は、おそらく僕だろう。あんなひどい顔を見られては、もう二度と僕には顔向けできないと思ったのだろう。杏樹に会えなくなるのは残念だけど、いつまでも過去を引きずっているわけにはいかない。
学校帰り、僕はいつものように「しあわせ書房」で週刊誌を立ち読みし、ついでに店の中を本の脇からそっと覗き込んでみた。そこには、ポニーテールを揺らしながら本を並べている椎菜の姿があった。
古着風のネルシャツにフレアジーンズを着こなす彼女は、派手さはなくても、僕の気持ちを奪い取ってしまう位の可愛らしさがあった。
椎菜の後ろ姿を見てニヤニヤしながら立ち読みしていた僕のそばを、がっちりとした体格の男が通り過ぎ、靴音を立てながら店の奥へと入り込んでいった。
肩幅が僕の倍近くあり、浮かびあがる身体のラインからも、その筋骨隆々ぶりが伝わってきた。
「よう、椎菜ちゃん。お久しぶり」
男は奥の本棚で陳列作業を行う椎菜に声を掛けた。
「あ、
「福岡での仕事がひと段落したから、ちょっとだけ実家に戻ってきたんだ。友達から椎菜ちゃんがこの店で働いてるって聞いたから、訪ねてみたんだよ」
「ありがと。この仕事、すっごく楽しいんだ」
「なら良かった。俺も福岡で、毎日楽しくビル建設の仕事をしてるよ。あっちは食い物が美味しくてね」
「そういえば東吾くん、ちょっと太ったんじゃない? ちゃんとダイエットして、痩せなくちゃだめだよ」
「ちっ、椎菜ちゃんに言われると痛いなあ」
二人は僕が知るよりも付き合いが長そうだ。しかも東吾という男、相当馴れ馴れしく椎菜に話しかけている。話が弾むにつれ、椎菜と東吾の間隔はほとんど無くなり、すぐに手が触れられる所にお互い立っていた。僕はその様子を、指をくわえながらじっと見つめていた。
「ちっくしょう、何であんな至近距離に……」
僕は雑誌を買う振りをしながら、二人の間に割って入って邪魔してやろうと思った。
しかし、筋骨隆々の東吾の怒りを買い、ケンカになったらどうしよう? そうなったら、間違いなく僕は勝ち目がない。
僕は東吾が帰るのをじっと待ち続けたが、とうとう僕は根負けし、談笑する二人を遠目で見ながら徐々に店から離れて行った。
あいつ、何者なんだ?
僕はまさかの強力なライバル出現に、身震いが止まらなかった。せっかく杏樹を諦め、新しい恋に気持ちが向かっていたのに。
翌日、学校帰りの僕は、浩太朗と一緒に居酒屋でビールを飲んでいた。
浩太朗は高校時代は水泳で鍛え、今も毎日筋トレを続けており、小柄だけどがっしりとした体つきである。浩太朗に聞けば、こんなひ弱な僕でも筋肉をつけることが出来るヒントがもらえると思い、酒席を設けつつ藁をもすがる思いで相談を持ち掛けたのだ。
「筋肉をつけたいの? 確か杏樹はマッチョは嫌いだって言ってたぞ。別に鍛える必要なんかないんじゃね? 」
「ち、違うよ。杏樹の目を引こうというわけじゃないんだよ」
「じゃあ、違う女ってこと? 」
「……うん」
「お、見つけたんだね! 堀田もなかなかやるじゃん」
「浩太朗、僕みたいなひょろひょろな男は、どんなトレーニングをすればすぐ効果がでてくると思う? 」
「そうだなあ……すぐには効果が出ないと思うけど、とりあえずは俺の通ってるジムにでも行ってみるか? 」
「ジム? 」
「ああ。ジムならばコーチがいるからちゃんと手ほどきしてくれるし、設備もしっかりしてるからな」
「でも、続くかなあ……僕、スポーツって昔からなかなか続かないんだよね」
「大丈夫だって。俺だって最初はキツくて泣きそうになったけど、慣れればなんてことないんだよ。今は逆に、サボって体がなまるのが嫌になる位だからさ」
浩太朗はそう言いながら、シャツをめくって上腕筋のこぶを見せつけた。
「うらやましいなあ、浩太朗みたいな体していたら、あいつにも立ち向かっていけるのに」
「あいつ? 誰のこと? 」
「あ、な、何でもないんだ」
翌日、僕は浩太朗と一緒に学校近くにあるスポーツジムを訪れた。
浩太朗はこのジムの正会員になっているが、僕は、とりあえず今日限りの一日体験コースに参加させてもらえることになった。
たくさんのマシンが所狭しと並び、筋骨隆々の男女がトレーニングを続けていた。浩太朗は大きなバーベルを見つけると、余裕の表情で肩から上に持ち上げていた。
「すげえな、浩太朗。僕はどうやったらそこまで出来るようになるんだろう?」
「練習だよ。ひたすら練習をするしかない」
浩太朗はバーベルを床に置くと、額の汗を拭いながらさわやかな笑顔を浮かべていた。
ジムの周囲には、一周100メートルのランニングコースが設けられていた。僕は一通りマシンをこなすと、最後の仕上げに軽く走ろうと思い、コースに足を踏み入れようとした。
その時、僕の目の前を、明るい茶色に染めたショートカットの髪型をゆらしながら、一人の女性が必死の形相で走り抜けていった。
「……杏樹?」
僕は目を丸めて驚き、女性の背中をひたすら目で追った。いつものような派手なメイクは無いものの、彫りの深い大人っぽい顔つきは、まさしく杏樹だった。
「おい、浩太朗。杏樹だろ、あれ……」
「ああ、そうだな。あいつ、大の運動嫌いだったのに、一体どうしたんだ? 」
「浩太朗、頼む……聞いてもらえるか? どうしてここにいるのか」
「何だお前、もう杏樹に未練が無くなったわけじゃないのかよ」
「いいから頼む。今度また一杯おごるから、な?」
「しょうがねえなあ……」
浩太朗はランニングコースに出ると、杏樹に声を掛け、一緒に走りながら色々と話しかけていた。一周し終えた頃、浩太朗は杏樹に手を振って僕の元へと戻ってきた。
「どうだった? 」
「学校には行ってないけど、元気だってさ。今はここでほぼ毎日トレーニングしてるって」
「トレーニングって……そんなにスタイルが悪いわけじゃないのに? 」
「今までの自分のイメージを変えたいんだって。そして、自分がイメージチェンジした所を、お前やゼミのみんなに見せつけてやりたいんだって」
浩太朗はそう言うと、笑いながら僕の背中を叩いた。自分を変えたいと必死に歯を食いしばる杏樹……僕はその姿に、あの鎌倉デートでの辛い経験を乗り越えたいという彼女の強い意思を感じ取った。
「どうした? 杏樹のことがまだ気になるのか? 」
「べ、別にいいよっ。それより今日は疲れたから、もう帰ろうぜ」
ジムからの帰り道、僕は「しあわせ書房」の前を通りかかった。
店の奥からは、若い男女の笑い声が聞こえてきた。あの東吾という男、今日も椎菜と談笑しているのだろうか?
やがて東吾が大きな体を揺すりながら店の奥から出てきて、「じゃあな、またこっちに帰ってきたら、寄らせてもらうから」と言い、大きな手を左右に振っていた。
後を追いかけるように出てきた椎菜は、店先から東吾の背中に向かって手を振っていた。
「あの人、誰ですか? 」
僕は呟くような声で、椎菜に問いかけた。椎菜は振っていた手をぴたりと止め、僕の方を振り向いた。
「あら、いらっしゃい。ごめんなさい、来ていたのに気が付かなくて」
「あんなに身体ががっしりして、かっこいいお知り合いがいたんですね」
「……」
「あの人とは、もう長く付き合っているんですか? 」
僕はそこまで言った時、椎菜は口を押さえ、まるで凍り付いたかのようにそのまま身動きできなくなってしまった。僕は自分の言ったことの重さに気づいてようやく正気に戻り、これ以上余計なことを言うまいと必死に言葉を飲み込んだ。しかし、しばらくすると椎菜は呪縛が解けて、いつものきょとんとした表情に戻っていた。
「あの……誤解の無いように言いますと、あの人とは、彼氏彼女の関係じゃないですよ。仲のいい友達ですから」
「え!? でも、すごく親しげに会話してたじゃないですか? 」
「高校時代、クラスが一緒だったんですよ。ラグビーやってたから見た目は怖そうだけど、包み込むような優しさがあるというのかな。だから私、女友達よりも東吾さんの方が気軽に話せるかもしれません、アハハハ」
「……」
「あ、私、そろそろ陳列のお手伝いしなくちゃ。そろそろ失礼しますね」
椎菜はそう言うと、笑顔で手を振りながら駆け出していった。一人取り残された僕は、あっけにとられた表情で椎菜の背中を目で追っていた。
椎菜に目を向けてもらうために、必死に体を鍛えている僕、そして、僕に新しい自分を見てもらおうと、必死に体を鍛えている杏樹。
考えれば考える程、頭の中が混乱しそうになった。
「ああ、僕は一体どうしたらいいんだ!? 」
僕は慣れないトレーニングで筋肉痛になった腰や背中を押さえながら、自宅に向かってゆっくりと歩きだした。
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