門(書き下ろし短編)
山門に駆け込むと、ヘチマの実が莚にゴロゴロと転がしてある。夕方の乾いた風が吹いてくる。
「くだらない」と思う。半分が日向で半分が日蔭の境内の、日陰を選んでぶらぶら歩く。スマホを見ると圏外になっている。家からの徒歩圏内の屋外に圏外になる場所があることに混乱する。だが、そんな混乱した感情をきちんとした感想に整える作業が面倒くさい。スマホを尻ポケットに収めて拝殿の裏に廻る。寺に来た理由はよく分からない。
「分かっているはずです」
掠れた口笛のような声がした。僕はスマホから顔を上げた。そして、自分がいつのまにか尻ポケットからスマホを取り出し、タイムラインを眺めながら歩いていたことに気づいて、少し怖くなった。
「お話をうかがいましょう」
同じ声が背後から聴こえた。蜩が鳴き始めた。宵闇が迫っている。
「話すことなんか……」
そう言いながら振り返った僕を目がけて、蝉の貌をした僧侶が一直線に飛んできて、僕のシャツの胸元にしがみついた。
「痛ッ」
蝉の貌の僧侶は、僕を上目遣いで見つめながらじりじりと這い上ってきた。それを片手で払いのけながら、僕はスマホのシャッターを押した。フラッシュ目を眩ませて、蝉の僧侶はポタリとおちた。腹を上にむけ、手足を硬く折り曲げている。僕はその様子を動画に撮ってSNSにアップしようと思った。しかし、ここは圏外になっていた。僕は家からの徒歩圏内の屋外に圏外になる場所があることが許せなかった。この経験をみんなと共有できないもどかしさに、激しい苛立ちを感じた。だが、蜩の声が幾重にも重なると、感情は乾いてスカスカになっていった。
「くだらない」
寺に来た理由はよく分からない。山門に至る石段は急だ。ところどころに苔が生えていて滑りやすかった。汗まみれになって石段を上り終えた。振りかえってみると、いつも遊び歩いている街を眼下に一望できた。半分が日蔭で半分が日向に分かれている。ここから飛んだら死ぬだろうか、と思った。あの街に留まりたかった。理由はよく分からない。
「分かっているはずです」
乾いた風のような声がした。僕はスマホから顔を上げた。みんなからの誘いを断ったのが、とても遠い場所での出来事だったような気がした。僕は本当に独りぼっちだった。ずっと何かを発信していないと、呼ばれたらすぐに合流しないと、存在はゼロだ。SNSの海で、僕たちは回遊魚と同じだ。泳ぎ続けなければ死んでしまう。
「色即是空」
まず、蝉の声だと思った。それから、この山には一匹の蝉も鳴いていなかったことを思い出した。石段の下で、蝉の顔をした僧侶が手を振っていた。僕は恐ろしくなって山門に駆け込んだのだった。蝉の僧侶の背中が左右に割れ、大きく翅を広げる瞬間を見たような気がしたからだ。バタン。背後で山門が閉ざされた。
チリーン……
山門の中には、ヘチマの実が莚にゴロゴロと転がしてあった。夕方の乾いた風が吹いてくる。僕は非常に疲れて、ヘチマの莚に横たわった。空の半分が青く、半分が赤かった。間断なく蜩が響き、ご神木の楠の幹には隙間なくスマホが打ち付けてあった。
「死にたいわけじゃない。でも生きていてもおもしろくない」
莚が風にバタつくような声が聞こえた。その声は僕の周囲からいくつも響いてきた。
「死にたいわけじゃない。でも生きていてもおもしろくない」
莚の上に半身を起こすと、托鉢の装いをした修行僧たちが山門の隙間からぞろぞろと境内に戻ってくるところだった。行列が拝殿の裏へ向かって曲がるとき、修行僧たちはみな僕を見て、何か唱えて頭を下げていった。何と言っているのかは聞こえなかったし、夕闇に紛れて、唇もよく見えなかった。僕はスマホの動画に撮影し、映像を加工してから拡大再生してみた。
「クダラナイ」
唇はそう読めた。全員の唇がそのように動いていた。
僕は何だか悲しくなって、寺を出ようと思った。だが、莚の上のヘチマの実が、僕の体のあちこちにしがみついてきた。
「痛ッ」
上目遣いで僕を見るヘチマの実を片手で払いのけながら、スマホのシャッターを押した。フラッシュに怯えたヘチマの実はブルブルと体を震わせて離れていった。
「色即是空」
乾いたヘチマの実の中で乾いた種が鳴るような声が聞こえた。僕は莚を蹴飛ばして立ち上がり、ご神木にスマホを打ち付けて山門を出た。石段は急で、ところどころに苔が生えていて滑りやすかった。いつも遊び歩いている街が眼下に一望できた。半分が闇に沈み、半分がネオンに輝いていた。ここから飛んだら死ぬだろうか、と思った。なんだか背中がムズムズした。あの街に留まりたい理由はよく分からない。
「分かっているはずです」という声がした気がした。それは、山門が閉じた音だった。
ブッダR 新出既出 @shinnsyutukisyutu
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