空想にとって、行き届いたインプットはかえって害悪である。なぜならば空想とは、欠けた部分を間に合わせのつぎはぎで埋めることに他ならないからだ。そのためにはなによりもかけた部分を認識できなければならないのだが、人体は盲点や瞬き、体内の血流音や、下着、靴下の締め付けの感覚などを、自動的に埋めたり無視したりする。それは知覚のみならず、心理的にも行われ、いわゆる自閉的なモードへ移行したりするし、そこまでいかないまでも、助言、叱責、他の選択肢の提示、再考指示などにたいする激しい嫌悪感、拒否といった態度も、同じ範疇にある。それは「脳」本来の構造的作用であったり、その構造が訓練されることによって生じる経験的な反応であったりするのだろう。端的にいえば「柔軟性」の問題である。
新人類の特徴は大脳新皮質にあり、それは各ユニット毎に独立していた入出力系統を横断的に結ぶことによって得られる「空想」力をもたらした。これにより、実在しない、いや感知していない刺激を自ら創り出し、それによって脳の接続経路自体を自ら変更していく術をもつことになったのである。「空想」は諸刃の剣である。人は「空想」に生かされるし、殺される。だから「空想技師」とは「テロ集団」になりうるし、その方法は「洗脳」ということになる。
洗脳においては、視覚を遮断し「想像」させることが重要だ。「想像」によって「現実」をおのずとゆがめさせることができる。映像を喚起する知覚として「音」は有効である。「触覚」では直接的すぎて恐怖心が強くなるだろうし、「嗅覚」による喚起力は個人差がありすぎるからだ。「耳」は平均化されやすい。また、耳朶はひじょうに敏感な部位でもある。おそらく脳へはあらゆる器官からの信号が届いているが、発達過程において不要な回路は沈黙させられるものと推測する。言語習得においても、「音」は教育により順化されやすいことは証明されているが、脳回路の間引きも大きく関係する。オーガズムは脳全域への過剰な刺激がもたらされた状態であり、その瞬間は沈黙させられた回路が開くと想像できる。憑依によるエクスタシーの状態がシャーマンの神降ろしの状態に酷似していることは、脳の大半が、生殖器の感覚処理であることに関係している。性的感覚が脳の古層の大半であり、この感覚をそのまま大脳新皮質へスパークさせることによって生じるのが「空想力」であるとするならば、あらゆる宗教儀式で課題となる「性」の管理の重要性はそのまま、無意識(この場合は潜在意識とは異なる、真の無意識、すなわち間引きされた脳回路に割り当てられる領域)へアクセスする鍵となっていたこともうなずけるというものである。
その手がかりとして、「音」そして「耳」を用いる段階に、「空想技師集団」は来ている。音が振動であり耳は触覚であるという位置づけのもと、「音」から「臭い」へ遡っていくロードマップにおいて、いよいよ「爬虫類の夢」に立ち入る準備に入ったのである