真夜中の屋根裏の散歩者

烏川 ハル

真夜中の屋根裏の散歩者

   

 吾輩はもふもふした灰色の生き物である。名前なんてないどころか、自分が何という種族の生き物なのかすら、知らずに生きてきた。

 どこで生まれたのか、それもわからない。物心ついた時には薄暗い穴の中で、既に体も大きく成長しており、かなり窮屈な環境だった。

 窮屈ならばそこから出たくなるのは、全ての生き物に共通する願望であろう。だから吾輩も早速、その穴蔵から飛び出したのだが……。

 そこに開けていたのは、驚くほど明るい世界だった。ただしのちに得た知識によれば、それは自然の太陽の明るさではなく、人工の電灯というものによる照明だったらしい。

 しかも、その明るい世界では、恐るべき巨人たちが闊歩していた。吾輩の十倍どころか百倍にも達するような、本当に巨大な者たちだ。

「きゃっ!?」

「おい、ネズミだぞ!」

 巨人たちは、長い棒や平たい板などを持って、吾輩を追い回す。なぜか彼らは後ろ足しか使わないため、四つ足の吾輩の方が速く走ることが出来て、逃げ延びることも出来た。

 これものちに得た知識になるが、この巨人たちは人間と呼ばれる種族だという。特徴は二本足で歩くことであり、もしも人間に捕まったら吾輩は殺されるらしい。


 その後も何度か同じように穴蔵から出てみたが、毎回ではないものの、彼ら巨人と遭遇する機会は多かった。

 まだ知識としては「もしも人間に捕まったら殺される」と知らなかった頃でも、人間と出くわせば本能的な恐怖を感じる。だから吾輩も激しく警戒するようになり、やがて一つの法則を見出した。

 吾輩の住処すみかの外を人間が我が物顔で歩き回っているのは、そこが明るい時だけなのだ。吾輩の穴蔵みたいに薄暗くなったら、人間の姿も見えなくなる。

 当時は知らなかったが、これを「人々が寝静まった深夜」と呼ぶらしい。

 とはいえ、中には気まぐれな人間もいるようで、たまには例外もあった。真っ暗な「人々が寝静まった深夜」でも動き回っている連中だ。

 まあ人間は暗い環境に慣れていないらしく、そんな時は吾輩の存在すら気づかない場合も多いのだが……。


 それでも、なるべくならば人間との遭遇はけた方がよい。

 そこで吾輩は、活動場所を変えることにした。住処すみかの穴蔵から壁を伝って上がった先にも、広大な空間を発見したのだ。後々の知識によると「屋根裏」という場所らしい。

 まあ「広大な空間」といっても、あくまでも吾輩基準の「広大」に過ぎない。人間から見れば狭いらしく、そこに彼らが入ってくることはなかった。

 それでも念のため、吾輩は「屋根裏」を歩き回るのも、なるべく「人々が寝静まった深夜」だけに限定するようにしていた。

 すると、どうやらこの行動が正解だったとみえて、吾輩の同族と「屋根裏」で出会えるようになったのだ。

 吾輩よりは少し小ぶりな体格だけれど、それでも色や形、もふもふ具合が同じ。だから「同族」と判断したのだが、それにしては奇妙な点もあった。


「やあやあ。吾輩はあちらから来た者だ。あちらの下にある穴蔵を住処すみかとしている。貴殿はどこから来たのかな?」

 吾輩は精一杯の親しみを込めて挨拶しているのに、吾輩の同族らしき灰色のもふもふたちは、意味不明な言葉を返してくる。吾輩の耳には「ちゅうちゅう」みたいに聞こえる声だ。

 それを初対面の挨拶にするのが礼儀かと思って、

「ちゅうちゅう。吾輩は……」

 と話しかけてみても、同族の灰色たちには無視されてしまう。

 どうやら彼らには、吾輩の言葉が理解できないらしい。

 理由がわからず、吾輩はとても寂しく感じていたのだが……。

 その疑問を解消してくれたのは「猫」という生き物だった。


 その生き物と遭遇した時も「人々が寝静まった深夜」に「屋根裏」を散歩中だった。

 恐るべき人間は来ない場所と時間帯なので、すっかり油断していた。我輩は気持ちが緩みきっていたのだ。

 しかしその者と出会った瞬間、身の毛もよだつほどの恐怖に襲われてしまう。理屈ではなく、本能的に体に刷り込まれた恐怖感だ。

 慌てて逃げ出そうとする吾輩に対して、相手は優しい声で話しかけてくれた。

「大丈夫だよ、ネズミくん。僕は確かに猫だけど、ネズミをとって食べるほど、野蛮じゃないからね」

ネズミ……?」

 思わず聞き返したのは、聞き覚えのある言葉だったからだ。

 そんな我輩に対して、たいそう嬉しそうな声で彼は続ける。

「おやおや、君もしゃべれるのかい? だったら僕と一緒だね!」


 確かに我輩同様、もふもふな生き物だった。四つ足で歩くのも共通点だが、灰色一色ではなく、白黒茶色のまだら模様。なんだか形も丸っこいし、人間ほどではないけれど、明らかに我輩より一回りも二回りも大きい。

「とても同族には見えないのだが……」

「うん、もちろん同族ではないよ。僕は猫で、君はネズミだからね」

 我輩の否定的な呟きにも気を悪くすることなく、彼は色々と教えてくれた。

 人間のこと。猫のこと。ネズミのこと。人間の住処すみかである「家屋」のこと。その外に存在する、もっと広大な世界のこと……。


「そういえば、まだ名前を聞いていなかったね。ネズミくんは、何という名前なのかな? 僕は『お江戸にゃあにゃあ』だよ」

「名前……?」

「そうか、まだ君には名前がないのか。だったら僕が名付けてもいいかな?」

 彼の『お江戸にゃあにゃあ』は、人間たちの「テレビまんが」に由来するという。

「テレビまんが」とは絵が動く物語の総称であり、その中の一つが、彼の気に入っている『お江戸にゃあにゃあ』。ピザ屋の少女たちが猫に変身して奉仕する、という物語だそうだ。

 まだ我輩は、この世界についてようやく色々と知り始めたばかり。その段階で「テレビまんが」云々は難しい話だったが、とりあえず「ピザ屋」という言葉には何やら心惹かれる。それを正直に告げると、

「おお! ネズミの本能なのかな? ネズミはチーズが好きだ、って言うからね」

 と彼は喜び……。

 我輩に『お江戸ちゅうちゅう』という名前を授けてくれた。


「じゃあ、また会おう」

 ひとしきり我輩と話をしたあと、『お江戸にゃあにゃあ』と名乗る猫は、颯爽と去っていく。

 その後ろ姿を見ているうちに、ようやく我輩は気が付いた。彼には尻尾が二本あることを。

 改めて思い返してみると、二本尻尾の生き物に出会ったのは初めてではないか。我輩自身を含めてもまだ二匹目であり、これが彼の言っていた「僕と一緒」の意味なのかもしれない。




(「真夜中の屋根裏の散歩者」完)

   

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真夜中の屋根裏の散歩者 烏川 ハル @haru_karasugawa

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