とむらい坂

飯田太朗

とむらい坂

「これ、先生の作品に活かせるか分からないんですけど……」


 僕には、小説家の一面の他にもうひとつ、大学の教員としての顔がある。

 いや、教員と言うのは言い過ぎか。スピーカーと言う方が適切かもしれない。

 とにかく僕は、年に一度三ヶ月間だけ、多摩にあるとある有名私立大学で教鞭をとる。この大学を卒業した与謝野明子くんが後輩たちの刺激になるようにと大学と掛け合ってくれたらしい。扱うのは「現代文学とミステリー、および娯楽小説の関係性について」。文学部国文学科の学生は必須科目。その他の学科学部生は選択科目となっている講義だ。


〈東京二十三区の主要駅近くに店舗を構える大型書店を想定する。言葉遊びや独特の言い回しで読者を楽しませていた娯楽小説が『文章の美しさ、多彩な表現力』を理由に芥川賞を受賞した場合、当該小説の商業的扱いについて、書店員としての見解を答えよ〉


 問題用紙をめくった直後に上がる、大小様々な呻き声。うむ。今年も良い悲鳴だ。

 僕の講義は基本的に出席を取らない。こう宣言した時点で帰る奴らは一定数いる。そういう奴らが帰った後、僕は「今帰った奴らには単位をあげない」と告げる。出席と単位は別物だからな。そうして選抜された残りの気骨ある学生たちを、今度は「機械的暗記を学問だと思っている若者たちを困惑させる自由度の高い」問題でさらに谷底へ突き落とす。教員としての僕はかなり性格が悪い部類に属するだろうが、しかしこれも後進の世代を育てるためだ。嫌われようと憎まれようと、次の子たちの力になるものを授けようではないか。

 とは言っても、きちんと僕の講義を受けている人からすれば、僕の先ほどの問題は大したことない。

 僕は常々口にしている。作家と読者を繋ぐきっかけは確かに重要ではあるが、しかしそれはお見合い相手の選定みたいに自分の力ではどうしようもない側面が多々ある。特に小説のジャンル分けなんかは難しいことだ。ミステリーを書いたつもりがSFと解釈される例なんて山ほどある。その小説を毒にするか薬にするかは読者次第なのだ。だから作家は、今自分が何を書いているのか、把握する必要は確かにあるが、しかしそれを人に――特に読者に――押し付けてはならない。

 そう、口にしている。

 ジャンル分けは読者が自分の好きな本を見つけやすくする記号であって、作家の道標ではない。ジャンル分けはお見合いの仲介人……書店員に任せておけばいい。

 故に先ほどの問題も、解釈の仕方がある程度決まってくる。

 そう、どんな手を取ってもいいのだ。通り一辺倒の回答じゃなく、自分の頭で考えた結果の行動ならばそれが正解。書店員は作家と読者を繋ぐ架け橋であって、繋ぎ方は色々な方法がある。

 とある物事に直面した時、自分がどんな手を取ったのか、自分で分かってさえいればいい……そういう問題なのである。

 さて、そんな阿鼻叫喚のテストの後。

 とある女子学生が教壇に立つ僕の元に来た。僕は彼女のことを数歩前の時点で認識していたので回答用紙をめくる手を止めてその子の方を見た。

「どうしましたか」

 僕が訊くと彼女は、冒頭のセリフを述べた。「これ、先生の作品に活かせるか分からないんですけど……」。どうも大学職員の他、本業として小説家の顔を持つ僕に、ネタの提供をしてくれるようだ。

「先日、私の友人に起きたことなんですが……」

「待った。その話、長くなるかい?」

「え? あ、もしかしたらちょっと長いかも、です」

「じゃあこの後、キャンパス入り口にあるスターバックスで待ち合わせしよう。今が十四時だから……十四時半には着くようにする」

「分かりました」

「テストに関する泣き言は聞かないからな」

 すると彼女はニコッと笑った。よく見れば、かわいらしい顔をした女の子だった。

「大丈夫です。私、自信ありますよ?」

 もう五年くらい教員をやってきたが、こんなに自信のある学生は初めてかもしれない。


 *


 そんなわけで、僕は回答用紙の入ったカバンを肩から下げ、大学入口のスターバックスへと向かった。店内に入るや、テーブル席に座っていた彼女が立ち上がった。僕はコーヒーを一杯注文すると彼女の元へ向かった。

「飯田先生、本日はお忙しいところをありがとうございます」

「おいおい僕は単に小説のネタを君から提供してもらうだけだ。そんなに畏まられた義理じゃない」

「いえ、実は個人的な相談も兼ねてまして……」

「さっきも言ったが、テストへの問い合わせなら聞かないぞ加藤くん」

 と、女の子はびっくりした顔をした。

「ど、どうして私の名前を……」

「初歩だ」

 僕は返す。

「君が教壇に近づいてきた位置から講義室内の座席の位置を推定する。回答用紙を見てその席周辺から集められた女子の回答らしきものをピックアップし、さらに『テストの後に講師に話しかけにくるくらい真面目に講義を聞いていそうな』学生の回答を絞った結果、見つかった回答用紙がこれだ」

 と、僕はカバンから一枚の回答用紙を出す。

「加藤美音。君の回答は面白かったよ。一年生には思えないね。なかなかいい視点を持ってる」

「恐縮です……」

 彼女の回答は、以下のようなものだった。


〈東京二十三区主要駅近くの書店ならば、客層はおそらく労働者であり、実に多様な人間がアクセスすることが想定される。そうした客に対し、間口を狭めたセールスは有効ではないと考えられるが、しかし多様化する客全てにヒットする販売戦略は実現不可能に等しい。よって本屋に足を運ぶ人間の中でもさらに『芥川賞、直木賞に興味があり』なおかつ『言葉遊び等エンタメ的視点も好む』層、具体的には(言葉遊びに対応できることから)ある程度の教育を受けた人間に的を絞ってセールスすべきであり、大卒以上を狙うと考えれば、都内にある有名大学の関係者で当該小説について言及している人物を選び、その人のコメント類を一部抜粋してポップなどに記載し、旬の小説として扱う戦略が有効であろう(例えば飯田太朗先生のコメントとか)。ちなみにこの時、ミステリーや純文学といったジャンル分けはする必要がない。そこまで具体的に客層を想定すると間口を絞りすぎたことになり、当初の販売コンセプトとは離れてしまうからである〉


「実に面白い」

「ありがとうございます……」

 彼女は椅子の中で小さくなる。

「で、僕にくれるネタというのは?」

 僕が訊くと彼女は、気を取り直したという風に姿勢を正すとこう告げた。

「先生、この大学の近くに『土村井坂』という坂があるのはご存知ですか?」

 ――とむらいざか――

 彼女は確かにそう発音した。

「どういう字を書く」

「『つち』、『むら』、井戸の『井』、坂道、です」

「土村井坂……聞いたことないな」

 すると加藤さんは身を乗り出して続けた。

「私、この大学の近くに下宿しているのですが、先日隣の部屋に住んでいて、私とも親密な交流のある法学部の野口衣織さんという子が、奇妙な体験をしたんです」

「ほう」

 僕は背もたれに体を沈めながら話を聞いた。

「野口さんはお酒が好きで、夜中に月を見ながら一杯飲むのが好きな子なんですが……」

「中国の仙人みたいな趣味の子だな」

「ふふ。確かに」

 と、加藤さんは笑ってから話を続けた。

「彼女、ある満月の夜に気が向いて、マンション近くにある公園に行ってお酒を飲もうとしたんです。野口さんは一人暮らしをしていますけれど、実家は市内で、歩いていけるくらいの場所にあるそうなんですが……、偶然私の隣の部屋を借りていて」

 何で実家を出たんだ、と思ったが、まぁ、子供の自立心を促す目的があったのかもな、と僕は納得した。

「で、その夜、野口さんは家を出て公園に行って、そこで一杯飲んでから帰ったそうです……」

 僕は黙って話を聞く。

「帰る途中に例の土村井坂を通る必要があったんですが、土村井坂は日野会館ホールの前を通るのです……」

 そのホールは知っていた。葬式なんかをする場所だ。

「その晩、遅い時間なのに日野会館ホールに明かりが灯っていたそうです」

「ほう」

「野口さんは不思議に思って、何となくホールの入り口を覗いてみたそうです。そしたら……」

 僕は沈黙で応える。

「『野口衣織葬儀会場』、そう書かれていたそうです」

「はン」僕は鼻で笑った。「同姓同名だろう」

 しかし加藤さんは首を横に振った。

「彼女が驚いていたら、その日野会館ホールの中から、何人かの人が出てきて……」

 まだ続きが。僕は再び黙る。

「どうも出棺か何かだったみたいで、霊柩車が出てきて、みんながそれを見送ったそうなんです。で、気になった野口さんはみんなのことを少し離れたところから見ていたそうですが、参列者の中、ハンカチで涙を拭いていた人が……」

 僕は彼女の目を見る。瞳孔が、震えている。きっと彼女自身、まだこの話が信じきれていないのだろう。

「泣いている子、それが――私だったみたいなんです」

 場の空気が硬度を持った。

「野口さんは、私の肩を叩いて訊いたそうです。美音、こんなところで何してるの、誰の葬式……? って」

「そしたら?」僕は先を促す。

「私らしき人は涙を拭きながら、野口さんのことを無視して『衣織……』って言ったみたいなんです。……で、この話自体は、これで終わりなんですが」

 まだ続きがあるのか。

 僕は身を乗り出す。

 そうして加藤さんの口から発せられたその言葉は、僕の好奇心を、作家としての本能を、大きく震わせた。それはもう、立っているのも難しいくらいに……。

「死んじゃった、んです」

 彼女は言葉を続けた。

「野口衣織さん、死んじゃったんです」


 *


「葬儀は?」

 僕が訊くと加藤さんは「一昨日の夜」と返してきた。それから続けた。

「葬儀の最中、出棺の時、誰かに急に肩を叩かれて」

 僕は唇を噛んだ。

「それで訊かれたんです。『美音、こんなところで何してるの、誰の葬式……?』って」

 電撃を、いや氷柱の一撃を、脳天から尾骶骨まで、ずどんと一発喰らったような気持ちになった。面白い……面白い! 

「私思わず、『衣織……』ってつぶやいちゃったんです。で、気づきました。これ、衣織が話してたのと同じ流れだ……」

「ちょっと待て。ちょっと待て」

 僕は話を遮った。

「その野口衣織って子は、自分の葬儀を見たってことか? それも未来の」

「そうなんです」

「詳しく聞かせてくれ」

 僕はカバンからモレスキンのノートを取り出した。

「野口さんが葬儀を見掛けたという日から実際に死ぬまでどれくらいの期間があった?」

 自分の葬儀を見せられる。これはある種の「死の宣告」だ。そしてこういう類には大抵ルールや期限がある。三年峠ならその峠で転ぶことが宣告になるし、期限は三年。必ずこういう決まりがある。僕はまずそれについて探ることにしたのだ。

「多分……ひと月くらい」

 加藤さんが首を傾げる。

「衣織の葬式、月が綺麗な夜でした。ちょうど満月が近くて……で、衣織が自分の葬式を見たっていう日も……」

「満月。なるほど」

 僕はスラスラとメモを取った。それから腕を組んで天井を見上げ、ふと思い立った。

「今夜も満月だな」

「そうなんですか?」

「ああ。ワームムーンというんだ。三月の暖かくなってきた頃、夜行性の虫の幼虫が土から出てくる季節だから、ワームムーン……」

 僕はちらりと、彼女の方を見た。

「君、今夜暇かい」


 *


 そういうわけで僕は女子大生の部屋に行くことになった。話を聞いた日の夜、僕は携帯用のタブレットPCを持って彼女の部屋に行った。

「せ、狭い部屋ですが……」

「綺麗にしてるじゃないか」

 僕は彼女に勧められるままに座布団の上に座った。ホワイトとベージュを基調にした、なかなか落ち着ける部屋だった。

「さて、今夜土村井坂での現象を検証する前に、いくつか前提知識を共有しておきたいと思う」

 それが目的だった。何も女子大生の部屋に上がりたいわけじゃない。

「はい……!」

 彼女にも事前にそう説明してある。加藤さんはノートを取り出しペンを握った。

「まず土村井坂についてだ。過去の文献を当たったところ、これは『弔い坂』の読みをなぞった名前であり、古くは『弔う』意味での『弔い坂』だったようだ」

 加藤さんがペンを走らせる。

「では過去にこのあたりに葬儀を行う土地としての風習があったのかというとそうではなかった。古来この土村井坂のあたりは裳着もぎの儀式を行う場所だったそうだ」

「裳着……成人式?」

「そう。女子のな」

 僕はタブレットの画面を示す。

「裳着という儀式は本来公家が行うものだが、江戸時代終わり、この地に公家の儀式を真似て成人を祝う一族が現れ、ちょうど土村井坂のあたりをその儀式の地とした」

「裳着も葬式も、『儀式』ですね」

「いい着眼点だ」

 僕は続ける。

「この場がなぜ『弔い』の場所になったか、詳しい理由は分からなかったが、こんな言い回しが、先ほども話題に上がった江戸時代の後期からある。『赤飯炊いたら弔い坂 夢見しみらい ありがたや ありがたや』」

「赤飯炊いたら?」

「ああ。他にも『はつうまは弔い坂』」

「はつうま?」

「『はつうま』について調べた。『初午』と書くらしい」

 僕は画面上に「初午」と打ち込んだ。

「『農業を開始する二月最初の午の日』のことを指すらしい」

「はぁ」

「これだけじゃ確かに意味が分からない。だが『赤飯〜』と『はつうま〜』の言い回しについてさらに調べた。こんなことが分かった」


〈はつうまにさきをみる。これを吉兆とすべし。凶兆とすべからず〉


 僕は画面にそう打ち込んだ。

「おそらく冒頭の『はつうまにさきをみる』に漢字を当てるとしたら『初午に先を見る』だな。これを吉兆とすべきで、凶兆としてはならない」

 と、ここまで述べたあたりで、僕は窓の外に月が高く上っているのを見た。加藤さんに告げた。

「月が綺麗だ。土村井坂に行こうか」


 *


 深夜の散歩。

 土村井坂。それは緩やかだがしっかりとした坂だった。

 どんな寂れた道があるのやらと思っていたが、想像に反してそこにあったのはアスファルトで塗装された小さな道だった。住宅街にならどこにでもありそうな坂道。

 僕は加藤さんと二人でこの道を歩いた。

「あの、さっきの『赤飯炊いたら〜』と、『はつうまにさきをみる』なんですけど」

 街灯も少なく、月明かりがハッキリと主張する暗闇の中、加藤さんがつぶやいた。

「どちらも未来について言及していますね」

「ああ。……もしかしたら、この坂道で何かをすることが占い的側面があるのかもな」

「私もそう思いました」

 加藤さんが言葉に熱を乗せる。

「土村井坂で裳着を行うことにも意味があるのかなって」

「ほう?」

「女子の成人に伴い、その子が将来どんな大人になるか、希望を持つ人もいるだろうって」

「なるほどな」

 だが、僕には反論があった。

「だが『女子の成人』と『はつうま』がミスマッチだ。どうして二月に女子の成人が……」

 と、僕が言いかけた時だった。

 正面に明かりが見えた。そしてそれは、あの日野会館ホールの明かりだった。僕は手を挙げこの話を遮った。彼女も黙った。

「何かやってる」

 僕は加藤さんを伴いゆっくりホールに近づいた。

「何かやってるぞ」

 息を、止める。

 心拍音が鼓膜の向こうで聞こえた。僕の服の袖を、加藤さんの細い指が掴んだ。僕は構わずホールに近づいた。ゆっくり、ゆっくりと。仄かに空気が染まっていた。それは燻した草のような匂いだった。やがてそれが、線香の匂いだというこのに気づくのに時間はいらなかった。そして、見えた。

「か、か……」

 僕の背後で、加藤さんが震える。ホールの入り口。そこにはこんな看板が出ていた。

「加藤美音葬儀会場……」


 *


「せ、先生……」

 僕の後ろで加藤さんが震えていた。

「ど、どうしよう、これ……」

 と、震える加藤さんを差し置き。

 ホールの中から人が出てきた。たくさんの人。ゾロゾロ、ゾロゾロ。蟻の大群を彷彿とさせる黒の集団は、やがてホールの入り口で止まるとしばし、待った。そこに、やってきた。

 霊柩車……。

「あ、ああ……」

 加藤さんの声が聞こえる。

裕翔ゆうと……花音かのん……」

「誰だ?」

 僕が訊くと、彼女は答えた。

「弟と妹です」

「じゃあ、あれは……」

 そう、間違いない。

 今、目の前で行われているのは。

 加藤美音の、葬式。

「せ、先生。私――」

 しっ、と僕は彼女を黙らせる。会場の奥からもう一人姿を現したからだ。僕はそいつのことを見た。目を細め、じーっと……。

 そして、言葉を失う。

「あ、あれは……」

 そう、参列していた人の一人に。

「僕?」

 そう。飯田太朗。紛れもない僕が、そこにいた。

 まずい!

 僕は思った。

 野口衣織は自分の葬式に加藤美音を見て死んだ。そして加藤美音は自分の葬式に僕を、ということは、次に自分の葬式を見るのは……。

 それは遠回しな死の宣告だった。心臓が冷える。吐く息が震えた。そうしてブレた自分の芯を、僕はしっかり、掴み留めた。

「ふ、ふふ……」

 声が出る。

「ふふふ、ふふふ」

 加藤さんが僕のことを強く掴んだ。

「せ、先生……!」

 彼女の声も震えている。

「お願い、先生、しっかり……」

「しっかり、だと?」

 僕は彼女の方を振り返った。

「この僕に『しっかり』だと? いいか加藤くん。さっきの言葉を思い出せ」

 僕は指を一本立てた。

「『はつうまにさきをみる。これを吉兆とすべし。凶兆とすべからず』」

 吉兆とすべし。凶兆とすべからず。

「加藤くん、そこにいるもう一人の僕に訊け」

「えっ、えっ?」

「いいから訊くんだ」

 僕は彼女を前に押しやると、背中を軽く押した。

「『今は何年何月何日ですか?』と」

「あの、すみません」

 僕から離れた加藤さんが、恐る恐る、喪服の僕に訊ねる。

「今は何年何月何日でしょうか」

〈二〇××年三月八日だよ……〉

 それは遠くから聞こえるような、不思議な響きのある僕の声だった。そうして聞こえた〈二〇××年〉とは、今から約七十年先の未来だった。僕は加藤さんの背後から告げた。

「土村井坂で見えるのは『未来』だ。そしてここに、ヒントがある」

 僕は続けた。

「例えば天気予報で雨と出たとしよう。運動会が楽しみな子どもがいたとすれば、その子にとってはバッドニュースだな。だが運動会が苦手な子には……?」

 加藤さんが応える。

「いいニュース……」

 僕は笑った。


 *


「捉え方の問題なんだ」

 一ヶ月後、大学のスタバにて。

「土村井坂で見える未来はただの未来。だがそれに対する解釈の仕方でルートが分かれてしまう」

 四月。無事、二年生になり、学年がひとつ上がった加藤さんは、春だからだろう、髪型を変えて僕の前にいた。ショートボブ。最近流行ってるな。

「土村井坂の見せた未来を凶兆と捉えると悪い未来……最悪の未来がやってくる。野口衣織さんの場合は『自分の死』」

 まぁ、しかし彼女の場合は仕方がない。

 自分の葬式に、大学で新しく友達になったばかりの人が来たとなれば、それは近い未来の話――少なくとも友人関係が続く範囲での未来――に見えるだろうし、そう誤解してしまった結果、自身の死を引き寄せてしまったのだとしたら……。

 凶兆と捉えた結果、何十年も先の未来を、手元に引き寄せてしまったのだとしたら。

「私は何で助かったんですか?」

 加藤さんの問いに僕は答える。

「助かってはないよ。将来、君は、もしかしたら土村井坂の近くで死ぬのかもな。葬儀場があそこになるかもしれない。だがそれは、あの夜もう一人の僕が言ったように二〇××年の話だ。寿命だろうね」

「はぁ……」

「野口さんも、もしかしたら寿命を迎えての葬式だったのかもしれない。だが彼女はそれを『すぐ先の話だ』と解釈してしまった。結果、すぐ死んでしまった」

 そう、これは、解釈の問題なのだ。

 ミステリーを書いたつもりがSFに間違えられる。

 だが作家は読者にジャンルを押し付けてはならない。

 その作品をどう捉えるかは読者次第。

 その小説を毒にするか薬にするかは読者次第なのだ。

 土村井坂が見せた未来も、毒と解釈するか、薬と解釈するかは受け手次第。そして受け手次第で未来が変わる。

 それだけなのだ。それだけなのだ、あの坂は。

「捉え方の問題だよ」

 僕はコーヒーの入った紙コップを掴んで立ち上がった。

「『弔』という字も元々は『弓を担いだ狩人』の象形だそうだし、考えようによっては『一生懸命生きている』人の象徴じゃないか。きっと『弔い坂』の名には今後人生の困難に立ち向かっていく狩人のような気持ちを想起させる意味もあったに違いない」

 僕はコーヒーを一口飲んだ。

「実に興味深い話だったよ。小説にするかもしれない。よければ君をメインの役どころで出せるが、どうする?」

「うーん、そこは先生にお任せします」

 と、告げてから、加藤さんはカバンからひとまとめの書類を取り出した。

「これ、本件のレポートです。私も勉強になったので、先生に見てほしくて」

「ほう……」

 僕はそのレポートを受け取り、パラパラとをめくる。

「『赤飯炊いたら弔い坂』、『はつうまは弔い坂』、裳着の儀式に弔い坂、そして満月、月に一度、これらに関して、私もある発見をしました」

 江戸時代、女性の生理用品のことを「午」と呼んだそうです。

 彼女はそう告げてから、「では『初午』は……?」と訊いてきた。僕の心に電撃が走った。

 レポートをめくる。彼女が口にした思考過程が丁寧にまとまっていた。続く結論を見て、僕は笑った。

「なるほどな。『女子の成人に伴い、その子がどんな大人になるか、想像する……』故に、『未来が見える』」

「私の仮説、正しかったでしょ」

 僕は彼女の笑顔を見つめた。まぶしい、聡明な女性の笑顔だった。


 了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

とむらい坂 飯田太朗 @taroIda

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ