ところで……

秋谷りんこ

ところで……

 夜中の散歩は気持ちがいい。人は少ないし、静かだし、涼しいし。でも、今日は少し事情が違った。

「ちょうどこのへんだよ」

 男が言う。

「ちょうどこのへんで、この時間に……」

 もったいぶった口調だ。

たんだよ」

 何を? とは聞けなかった。

 こんな夜中に、こんな薄暗いところで「視た」と言われたら、誰だって恐ろしい想像をしてしまう。特別怖がりというわけでもない僕でも、そんなことを聞いたらさすがにゾワっとする。すぐ脇にある竹林のサワサワ鳴る音だって、不気味に聞こえてくるものだ。

「どんなものを視たか、聞きたいだろ?」

 正直、聞きたくないと思った。今でさえ、自分の中で勝手な妄想が広がって鳥肌がたっているのだ。具体的な何かを聞いてしまったら、それこそ映像が固定されてしまう。

「なんて説明したらいいんだろうなあ。あれは」

 だから言わなくていいって。男は嬉しそうにしていた。自分の話を誰かに聞いてもらいたくてたまらないのだろう。


 ところで……

 お前は、いったい誰に向かって話をしているのだ?


 いつもの散歩道、ちょうど同じくらいの速度で前を歩く男がいるのは気付いていた。しゃべる声が聞こえるくらいの距離で、同じくらいの速度で、同じ道を散歩していたのだ。その男が、誰もいない隣に向かって一生懸命に話をしている。最初はハンズフリーで電話をしているのかと思った。でも、イヤホンをしている様子はないし、スマートフォンも持っていない。

 お前は、いったい誰に向かって「何かを視た」話をしているのだ?

 男が竹林の横で立ち止まったから、僕は追い抜こうとする。すぐ横を通り過ぎるとき、ふと冷たい視線を感じる。

「なあ」

 突然声をかけられた。足元から恐怖が這い上る。答えてはいけない。瞬時にそう思った。速足で逃げるように立ち去る。家に帰るとびっしょりと汗をかいていた。竹林のサワサワした音がいつまでも耳から離れなかった。

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ところで…… 秋谷りんこ @RinkoAkiya

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