スライムと人間を融合させたらぐちゃぐちゃになったけどなんとかなった

砂塔ろうか

生地がぐちゃぐちゃになった時は小麦粉を足してみるとなんとかなるかもしれないという話


 ——とんでもないものをつくってしまった。


 ぐちゃり。

 粘液状の肉塊——そんな少し矛盾するような形容がぴったりの生き物が目の前で蠢いている。色は赤混じりの青。水に落ちた血が拡散している過程の、あの感じと言えば伝わるだろうか。

 いかんせん、緊急事態だ。適切な表現を見出せない。語彙辞典ソフトウェアを生体インストールしても、実際に使える語彙が増える訳ではないとは、こういうことを言うのだろう。

 そう。インストール。

 問題は、インストールしてしまっているということだ。この、不完全ででき損ないの肉体——否、肉塊に。


 びちゃん——!


 肉塊がヒトの手のようなカタチをつくり、それを、こちらの方へと叩きつけた。衝撃に粘液が飛び散る。

 そして、ぐ、ぐぐぐ、と。

 来る。ゆっくり、しかし確かに。

 身体——と呼んで良いのかも定かではないが——の各所に空いた穴、おそらくは吸気口と思しきそれは未熟な演奏者による笛のように不細工な音を奏で続ける。ああ。生きているのだ。こんなにも不恰好で、生き物と呼ぶに相応しくないように見えるモノでも。


 そして、そうであるからには、なにがあろうと生きることを諦めはしないだろう。

 なにせ、私がなのだから。


 目の前で蠢く肉塊——その中身、意識・人格は私自身だ。


 あれは——私のバックアップボディを材料にして作ったものなのだ。


 ◆


 遺伝子工学の発展により生まれつき脳にコネクタ器官を持つ新人類が誕生してはや20年。貧富の格差は人類史上かつてないほどに深刻なものとなっていた。

 国家の権威は失墜し、企業が国や地域社会を直接管理するようになった。

 富める者は富み続け、貧しき者は搾取され続ける。「今の子供は言葉を覚えるより先にこの現実を理解する」——そんな言葉が太古の哲学者の金言のごとく語られるようになったのは、一体いつからだっただろうか。


 諦観と絶望が貧民の間に蔓延っていた。


 そんな時代ときに事件は起きた。KOTORI-ASOBI製薬フローティングTOKYO沈没事件——またの名を、「異界門開通事件」。

 これを期に、ここではないどこかへ通じる穴——異界門が世界のあちこちで開くようになったのだ。異界門の中には異界生物と呼ばれるこの世の常識では考えられないような生物が暮らしている。

 彼らは【まじない】と呼ばれる未知の——あるいは、人類が技術発展の途上で空想や幻想と切り捨てた——技術を行使することが確認され、また、人間にも才能さえあれば扱えることが判明した。

 現状、異界門は開けっぱなしにする方法も、意図的に開く方法も不明であり、開通の法則性さえ定かではない。ゆえに企業による統制ができておらず、異界門に入ろうとする人間の側を統制しようにも、異界門出現時、周辺地域においては思考・精神・痛覚に干渉する脳神経ソフトウェアが動作を停止することが判明している。


 そんな状況であるため、事件から半年もする頃には成り上がりを成し遂げた元・貧民が出てくるようになった。


 ——私も、その一人だ。


「異界生物と人間の配合実験……か」


 幼い頃から粗悪品のドラッグ漬けの日々だったから第二次性徴を終える頃にはもう、身体はぼろぼろだった。快楽のためではない、身体の不調を忘れるためにドラッグを摂取するようになっていた。

 そんな私が今、こうして企業の生化学部門の研究員をやれているのも、異界門のおかげだ。私の身体は呪いとそれに基づく諸技術に類を見ないほどの適性を示した。異界門の向こう側で呪いを習得した私は、企業のスカウトを受け、技術者養成ソフトウェアを生体インストール、脳神経のアップデートとドラッグに冒された肉体のオーバーホールを行い、この健康な身体と専門知識を持つ頭脳とを手に入れた。


 とはいえ。


「——うっ…………」


 オーバーホール技術も完璧ではない。頭が割れるような痛みや突発的な吐き気に襲われるのが私の日常だった。

 人格を完全電子化し、肉体も機械化してバイオ的要因を排除すればこの悩みは解消されることだろう。だが、呪いに奇跡的なレベルでの適性を示した私の身体を下手にいじりたくはなかった。


 ——だから、耐えるしかない。


 大丈夫。それも、この身体が完全に壊れるまでの辛抱だ。

 企業所属の研究員に与えられた特権————人格移植。この施術を受けるには、一度肉体的な死を迎える必要がある。これは、それまでの辛抱だ。

 一度死ねば————なんだが他意のありそうな言い回しになるが————この苦痛とも本当にお別れができる。


 もちろん。大切な、才能ある肉体だ。拾い上げてくれた恩があるとはいえ、企業に管理を任せてはおけない。

 だからこうして——私は、自分の肉体のクローンを自分で管理している。

 脳の構造・状態こそが「才能」の源泉である可能性も考慮して、人格と記憶もインストール済だ。


 白い部屋。幾重もの隔壁で保護された一種のシェルターの中に、クローンはある。これらは私が倒れ、死んだらその時の私の人格・記憶で上書きされるようになっている。さらに、肉体の成長段階は私の現在の肉体年齢を基準として5段階に分けて用意している。

 一見に無駄に見えるし、実際私自身も合理的理由など思いついていない。だが、こういう無駄こそがなによりも、私に実感を与えてくれるのだ。

 もう、あの貧民街の生活に戻ることはない——そんな実感を。


 まあ、だからといって完全に無駄にするわけでもないのだが。

 私のクローンはなにも、私が倒れたときのバックアップのためにのみ存在するのではない。


「……スライムの検体は用意してもらってるので、あとは私の——そうだな、一番若い身体のクローンと合成してみようか」


 こういう、人体が必要な実験の検体としても、使い出があるのだ。

 それに、あまり好みではないが調整を加えて人格をアンインストール、特殊な嗜好用のソフトウェアをインストールしてから出荷すれば、好事家たちから金を巻き上げることもできる。

 それもこれも、この時代の発展した技術、そして、この私の手にした呪いの力あってこそだ。


 検体保管室の隣に設けた私設儀式場。ここに検体のスライムを入れたケースと検体のクローンを入れたケースを並べる。そして、呪いマクロを起動。自動化された肉体動作と精神状態の推移によって【合成の呪い】の儀式を完遂する。

 正直、自分でも何がどうなっているのかは理解できていない。細かい手順などはとうに忘れてしまった。

 マクロはクローンの脳内にも既にインストール済だから、覚えていなくてもいいと油断していたらいつの間にかこうなっていたのである。


 だから。

 私は理解を怠っていたのかもしれない。

 この【合成の呪い】がどのような結果をもたらすのかを。




 ぐちゃり。




 マクロの実行が終了し、肉体の支配権を返還された私が最初に見たのは、悍ましい肉塊であった。


 ああ。


 ——とんでもないものをつくってしまった。


 ◆


 中身が私自身なのだから、あれは生を諦めまい。

 自死を望めない以上は————。


 私は白衣の下に忍ばせておいた呪剣を投げつける。果物ナイフ程度の大きさの、さほど重くない片手剣だ。生体インストールしたソフトウェアの動作補助によって、投擲フォームは完璧。狙い通りに肉塊へと突き刺さる。

 あの剣は呪いによって強化されており、たとえかすり傷程度のダメージであろうとスライムにとっては致命の一撃たりうる。

 混ざりものだから効きは悪くなるかもしれないが、それでもまったくの無意味とはなるまい————。


「……ふう。新しい検体の申請を出さなくては…………」


 ——びちゃ。びちゃびちゃびちゃびちゃ!!


 振り返ると呪剣が刺さったままこちらへ猛進してくる肉塊!

 吸気音は地獄行きの急行列車の汽笛のよう!


「いっ生きてる……!? しかも、速くなった!?」


 そうか! 中身は私なのだ。当然、あれは呪剣のことも知っている!!

 自分を殺そうとした私を殺すつもりだ!

 こうなったら儀式場ごと爆破するしかない!!

 念のため、脳内ストレージにローカル保存した非常事態マニュアルを参照する。

 小癪な長ったらしい言い回しを要約すると『ヤバい事態が発生したらその現場ごと爆破して事態を収束させること』ということだった。現場にいる人間は人格データのクラウド保存をし、肉体はその場で破棄することが推奨されている。


 まずい。無線アップロードができない……! 私は呪いの才能を失うことを恐れて、肉体改造は最低限に留めていたのだ。有線接続端子ならあるが、脳に大幅に手を加える必要のある大容量データ無線通信用の改造は施さなかった。


 どうすれば……。


 その時。私の身体が発光し始めた。


「————ッ!? まさか……」


 この身体が爆弾に……?

 噂で聞いたことがある。一部の企業は、特定の条件を満たした時、社員が爆弾化するように呪いを施していると。


 そうか——これが————。


 発光はますます強まり、死がすぐそこまで来ていることを理解した。光の強さに、目は潰れた。

 何か、生暖かいものが身体にぶつかってくる感覚があった。

 それが、私の最期だった。


 ◆


 研究室の扉が開くと、黒煙とともに不定形の生物が出てきた。

 のっそりとした歩みのそれは、シルエットはヒトのそれに近い。痩せ気味の、小柄な少女。そう見ることもできるだろう。

 だが、その身体からは各所からぼとぼとと、粘液に包まれた肉片を零している。身体は赤混じりの青。青い液体に血が溶けているような色合い。

 だが、そんな惨憺たる有様でもそれの発する言葉は至極呑気なものと言わざるを得ない。


「……ごぷ。ああ——ひどい目に、あった」


 そんな独り言をこぼして、のっそりのっそりと歩く。

 はじめ、足取りがおぼつかない容態で、手——のように見える部位——を壁につきながら歩いていた。しかし、それもしばらくすると身体が馴染んできたのだろうか。手は壁から離れ、歩みも普通のヒトと同様のものとなった。


 それは手を握っては開き、握っては開きをすると、顔に笑みをつくった。


「——まあ、色々あったが実験は成功、だな。呪剣でスライムが元々持っていた自我を殺してもらえたのが良かった。おかげでこうして——肉体を思い通りに動かせる」


 ぼとっ、と溢れた粘液が研究所の廊下を溶かした。


「しかし。スライム一体に対して同じ人間の身体が5——いや、一応6か——6体必要というのは、些か割に合わないな……。

 まあいいか。

 どうせこんな身体になってはまともな研究員としては扱われないだろうし、私のクローンはあそこにあった分で全部。

 遺伝子データや胚の状態のものならまだあるとはいえ……」


 それは、この社会の企業に倫理や道徳と呼ばれるものが一切存在しないことを識っていた。


「研究員の私はここで死んだ」


 口にすると、すっきりしたような表情になる。壁を溶かして空けた穴から不夜の都市、その闇の中へ。

 企業の庇護なき生活。汚泥のごとき在り方を強いられるとわかっているのに、その目には希望の輝きが宿っていた。


(了)

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スライムと人間を融合させたらぐちゃぐちゃになったけどなんとかなった 砂塔ろうか @musmusbi

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