おやつ探偵犬雪丸 2

西野ゆう

まめこの巻

「ぐちゃぐちゃだね」

「ほんと、ぐちゃぐちゃねえ」

 お年玉を握りしめて出掛けていた外出先から帰ってくると、そこで目にしたのは、何者かに荒らされたキッチン。

 私は頭をゆっくりと昇り始めた満月の、二倍の速度で回転させた。犯人の暴れる姿が目に浮かぶ。

「ちーちゃん、犯人を探してきてくれる?」

 共に現場を発見した母に、重要な任を与えられた。

「はーい」

 私はビシッと(?)返事をして、リビングから出て廊下を横切り、僅かに開いている襖に手をかけた。

「雪丸! 出てきなさい!」

 声を発しながら、右手は手探りで照明のスイッチを探す。すぐにそれは見つかって、薄暗くなっていた和室が白く浮かんだ。さすが変えたばかりのLED照明。立ち上がりが早い。

 しかし、肝心の犯人は姿を現さない。私は首に巻いたマフラーを外しなが嘆息した。

「雪丸ってば!」

 少し動いた。ケージの横でこんもりとした毛布が。何か罪悪感を感じることがあれば、雪丸は必ずあの毛布にくるまる。クレープの具のように。

「雪丸」

「ぐるる」

「雪丸」

「ぐるるる」

 毛布を微妙に動かして、喉で返事しちゃっている犯人。いや、犯犬。

「おやつ」

「わんっ!」

 飛び出してきて、中学二年生の私には濃厚すぎるキスをせがむ雪丸に、押し倒される。へそ天な私だ。


 さて、我が家の名犬雪丸。聖徳太子の愛犬の名前を受け継いだ雪丸は、ちょっと賢いと思っていた。よその子よりも。

 ところが、ここ数日、留守番中にキッチンを荒らすようになってきた。キッチンを荒らすといっても、ドッグフードやおやつを探している感じでは無い。どうしたことだろうか。

 これがネコだったら、ネズミの存在を疑うのだけれども。

「どうしたのかな、雪丸」

 食卓の椅子に座った私。その上に座って私の顔を見つめる雪丸。首周りのたるんだお肉をわしゃわしゃすると身をよじる雪丸が、聖徳太子の愛犬のように会話ができたらいいのに。

「どうしたんだろうね。こんなに散らかすの初めてだもんね。ストレスとかあるのかな?」

 母が恐ろしいことを口にした。

「ストレスって。そんな怖いこと言わないでよ」

 冬休みに入った平日の朝。普段は学校に行って見られない朝の情報番組。そこでストレスの恐ろしさを意図せず知ったばかりだ。

 私の涙目の訴えに、母はキョトンとした。

「ストレスって犬も当然あるよ。あの身体が濡れてもいないのにブルブルさせるのも、ストレスを感じた証拠だって」

「ブルブル?」

 私は思い当たることがあって、わしゃわしゃする場所を首周りから、雪丸の体全体に移行し、「ガウガウガウ」と言いながら、雪丸の顔の周りを噛むフリもした。

 すると雪丸は私の上から飛び降り、身体をブルブルさせたのだ。

「雪丸う。雪丸はちーちゃんが嫌い? キッチンを荒らすくらいストレスを溜めてたの?」

 雪丸にストレスを与えていたのだという事実を突きつけられた私は、涙を流した。累々と。

 その涙を舐めに来た雪丸を優しく抱きしめる。

「ごめんね、雪丸。わしゃわしゃはウザくない程度で我慢するね」

 母はこの間、ニコニコしているだけで、ただ雑煮の準備を進めていた。

 そして雪丸は私の腕の中からすり抜け、玄関に向かった。そして玄関マットの上に正座(?)している。

「ただいま」

「あ、お父さんおかえり」

 一家の主が帰ってきて、マットの上でくるくる回る雪丸。

「雪丸ただいま。まだ世間は正月だってのに、パパは今日も沢山働いたぞー」

 そう言ってお父さんは革靴から開放された足を、雪丸の鼻先にやった。雪丸も雪丸で、されるがまま、向けられるがままに足の匂いを嗅ぐ。

 くんくんくん。

 そして「ぐるる」と喉を鳴らすと、前傾姿勢で立ち上がった後、ブルブルと身体を震わせた。

「あっ、またストレスだ」

 私が父に「虐めないで!」とかなんとか言おうと思って、その言葉を考えて逡巡しているうちに、雪丸は同じ行動を繰り返していた。

 くんくん、ぐるる、ブルブル。

 くんくん、ぐるる、ブルブル。

 残念だ。雪丸は名犬じゃなかった。アホな子だ。

「雑煮できたよ。お父さんはきな粉無しでいいの?」

「あ、うーん、いいよ。無しでいい」

 不思議だ。なぜお父さんはあんなに美味しいきな粉を拒むのか。

 お父さんのお父さん、つまり私のおじいちゃんもきな粉をつけなかった。

「やまともんは何にでもでんなあ」

 と、都人みやこびとらしい笑顔を顔に張り付けて。その時の母の悲しそうな笑顔も覚えている。

 奈良の雑煮は白味噌に丸もち。その辺は他のご近所府県と変わりない。ただ、餅の食べ方が違う。雑煮から取り出した餅を、別皿に用意しているきな粉(まめこ)につけて食べるのだ。

「美味しいのに」

 私は、目の前のお父さんと、その先におじいちゃんの顔を思い浮かべて言った。


 さて、それから数日経って、また雪丸がキッチンを荒らした。

「ちーちゃん、ペットカメラでも置いてみようか? 最近随分と安いものもあるみたいだから」

 お母さんが値段まで調べているということは、多分もう「カートの中身」にペットカメラが入っているはずだ。

「私はどっちでも。お父さんには聞いた?」

 お父さんは、お母さんが何か買ったからといって怒るような人じゃない。あ、でもその逆はよく見るな。お父さん、強く生きて。

 そして案の定。

「お父さんには聞かなくていいよ。うん、買ってみよう。雪丸が散らかす原因を調べないとね。留守中ずっとケージの中っていうのは可哀想だからしたくないし」

 私はほんの少しだけお父さんが可哀想に思えた。

「通話機能なんて要らないから、この五千円のでいいね」

 お母さんは私の同意を求めるでもなく、スマホを操作している。あっという間だ。やっぱりカートに入れてたな。私こそ名探偵かも。

 でも、雪丸が急に悪い子になった理由は全然分からなかった。

 そしてなんと、意外なことに、と言ってはお母さんに失礼だけど、お母さんはある程度予測できていたみたい。


 翌日、早速届いたペットカメラを、お母さんがセットした。キッチンカウンターに乗せている小物の中に紛れ込ませて。

 その翌日、早速犯行現場がペットカメラによって収められた。

 その後すぐ明らかになったのだけど、お母さんが犯人に文字通り「エサ」を撒いていたらしい。

 その餌は雑煮だった。

 金時人参や里芋などの野菜に火を通し、白味噌もとかす。あとは焼いた餅を入れるだけの状態まで下拵えをした雑煮。

 だが、雪丸はそんな雑煮に興味を持つことはなく、ソファーの上でのんびりしている。

 その雪丸の耳がピンっと動いたかと思ったら、玄関に走っていった。

 玄関の様子までは映らない。だが、何が起きたのかは明白だ。お父さんが帰ってきたのだ。

 そして、しばらくしてお父さんだけがリビングに入ってきた。どうやら雪丸はケージの中に追いやられたらしい。

 そして、お父さんが犯人に用意したエサである雑煮に近づいてきた。

「エサに食いついたね」

 なにやらお母さんはドラマの登場人物みたい。そして、それをどう見ても楽しんでいる。

 スマホの画面の中のお父さんは、鍋の蓋を開け、お椀に汁を少し注いでいる。そして、そのお椀を一旦テーブルに置いた。

 次に手にしたのは椅子。

 その椅子をキッチンの上の方にある戸棚の下まで運ぶ。普段は使うことのない戸棚だ。そこからタッパーと袋を取り出した。

「お餅ときな粉だ」

 全く意外性のない組み合わせを、意外な人物が隠し持っていたことに驚きを隠せない私。

 横を見るとお母さんは「やっぱりね」とほくそ笑んでる。そんな芝居する人、居たかなあ?

 その後のお父さんの行動は、私でも予想できた。

 トースターで焼いた餅を雑煮に投入。そして餅を取りだし、きな粉につけて、食べる!

「めっちゃ美味しそうに食べてるんだけど」

 私の言葉に、お母さんはただただ微笑んでいるだけだ。

 その後お父さんは、餅ときな粉を元の棚に隠し、お椀を洗って、雪丸を抱いてリビングに戻ってきた。

 そして、雪丸をソファーの上で何度か撫でた後、再び外へと出掛けたのだった。

 この後の雪丸の行動は、これまた予想通り。

 ケージに追いやり、満足に遊んでくれなかったお父さんの匂い(主に足の臭い)を辿って、遊んでくれなかったストレスを発散している。

「一件落着だね」

 私は言ったが、お母さんの顔はより厳しくなっていた。

「ちーちゃん、私たちの戦いはね、今始まったばかりなの」

 いや、だからそんな芝居誰がしてるの?

 でも確かに戦いはこれからなのかも。


 それから数年にわたって、お母さんと、お父さん、そしてラスボスであるおじいちゃんとの、お雑煮をめぐる戦いは続くのだった。

 でもそれは、また別のお話。

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