初恋スクランブル

宵埜白猫

されど、物語は止まることなく進んでいく

 夏休み前の暑い日差しを、カーテンが辛うじて受け止めてくれている。

 窓の外から聞こえてくる運動部の掛け声。

 規則正しく響くそれは、メトロノームのよう。

 同じく、一秒の狂いもなく、黒板の上に掛けられた時計が、青い春の一瞬を刻んで行く。

 ふわり、カーテンが風を孕んだ。

 それと同時に、長く艷やかな髪が、私の前を横切る。

 美しい、としか形容できないその髪の持ち主は、気にした風も無く古びた小説本のページをめくった。


「……それ、面白い?」


 特別内容に興味がある訳じゃないけれど、彼女が面白いというなら読んでみよう。

 そんな下心満載の質問に、彼女は視線すら動かさずに答えた。


「別に面白くなんて無いわ」


 ニヒルぶりたいだとか、そんな様子ではない。

 ただ単純に、彼女にとってはつまらない物語だったのだろう。


「じゃあなんで読み続けるの?」


 そう私が訪ねると、彼女は初めて私の顔を見た。

 退屈そうな、それでいてどこか意志のこもった目だ。


「だって腹立つじゃない。どんな単調な小説だって、もしかしたらとんでも無いどんでん返しがあるかもしれない。……けれどその感動は、最後まで順を追って読まないと味わえないんだもの」


 そこまで言って、彼女は窓の外に視線を投げた。


「途中で辞めちゃったら、負けみたいじゃない」

瑞雪みゆきってほんとに負けず嫌いだよね」


 悔しそうに言う彼女に、私は小さくため息を吐いた。


「あなたに名前で呼ばれる筋合いは無いんだけど?」

「えー、つれないなぁ。名前くらい良いじゃんか、クラスメイトなんだし」


 そう、私はただのクラスメイト。

 彼女の友人でもなければ、恋人でもない。

 知り合ったのだって、つい数週間前のことだ。

 だから、彼女の言うことは何も間違っていない。


「そういうものかしら?」

「そうそう、女の子同士なんだしさ。あんまり気にしないで。なんなら瑞雪も私のこと名前で呼んで良いんだよ?」


 半ば懇願にも似た言葉だった。

 他の誰に呼ばれなくてもいい、けれど彼女にだけは私の名前を呼んでほしい。

 あわよくば、少しでも長く、こうして話していたい。

 こんな欲張りになったのはいつからだろうか。


「名前……」


 眼の前で真剣な顔をして、小さく唸る彼女を、こんなに愛しく思うようになったのはいつかれだろうか。


「……陽菜ひな


 小さく涼やかな声音。

 気を抜けば、耳に残らず通り過ぎてしまいそうな、小さくて愛しい声。

 その声が、確かに私の名前を呼んだ。

 揺らぐ。

 胸の奥に秘めようと決めていた淡い想いも。

 揺らぐ。

 視界に映る、愛しいその人の姿すらも。

 全てが滲んで、揺らいでいく。

 その揺らぎはやがて痛みを連れてきて、けれど温かくもあって。

 胸から上がってきたそれは、すぐに嗚咽になって吐き出した。


「え?……だ、大丈夫? 佐藤さとうさん」


 あぁ、なんでこんなに上手く行かないんだろう。

 隠し通すことも、かと言ってこの想いを伝えることも出来ない。

 ずっと隣に居ることは出来なくても、せめて彼女の想い出の中では、いつも笑っていたいのに。

 そんなことを考えれば考えるほど、涙は溢れて止まらない。

 きっと今の私の顔は、みっともないくらいにぐちゃぐちゃなんだろう。

 好きな人の前でこんな顔を晒すくらいなら、いっそ逃げ出してしまおうか。


「佐藤さん、これ」


 そう言って彼女から差し出されたのは小さなクローバーが刺繍された可愛らしいハンカチ。

 一瞬躊躇ったけれど、素直に受け取って涙を拭いた。


「あり、がどう……」


 大泣きしたせいか、まだ喉の調子が悪い。

 おかげで声まで酷いものだ。


「ほんと、びっくりしたわ」

「えへへ、ごめんね。……私もびっくりしちゃった」


 取り繕うように笑ってみるけれど、やはりどこかぎこちなくなってしまう。


「あ、こんな時間。私はそろそろ帰るけど、佐藤さんはどうする?」

「んー、私はもうちょっとしてから帰ろうかな。泣いた後の顔、友達に見られたら恥ずいし」

「……そう。じゃあ、気をつけてね。また明日」


 気まずそうな顔で、瑞雪は教室を後にした。

 静寂。

 こんな言葉を、本当に使うときが来るなんて思いもしなかった。

 授業もたまには役に立つらしい。

 とはいえ、本当に明日からどんな顔して会えばいいんだろう。


「……もしかしたら、どんでん返しが待ってるかもしれない、か」


 彼女が口にしていたその言葉を、私も声に出してみる。

 痛くて辛くて苦しくて、でも温かくて優しい気持ちになる。

 こんなぐちゃぐちゃな感情に、『恋』って名前をつけた人は天才だ。


「私ももう少しだけ、続きを読んでみようかな」


 大好きな彼女と同じ性別に生まれた、神様のとんでもない設定ミスはあるし。

 今日みたいに情けないとこばっかり見せてるんだけど……。

 最後には、最高のどんでん返しが待っている事に期待して。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

初恋スクランブル 宵埜白猫 @shironeko98

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ