■終章
山の中に開けた、ちょっとした広場がある。
涼しい風が通り抜ける広場には、無数の石が置かれていた。遺体はここにはない……モンテ領は伝統的に火葬だ。灰が撒かれたこの場所は、やがて木が生えて、森になる。森の一部になるのを良しとする弔い方だった。
ノーマとニギン、メアリの三人は、石の前に集まって、しばし黙祷を捧げた。多くの石が並んだ中に、あの夜死んだ一座のものも含まれている。アンドレアの言葉通り、生き残りはいなかった。
最後の別れを邪魔しないよう、傍に立っていたフォルカが、祈りが終わるのを見て声を掛ける。
「……お疲れ様でした」
「ああ。ありがとな、色々手伝ってくれて」
「どういたしまして。……その、皆さん、こちらで良かったんですか? ええと」
聞きにくそうにしつつ、遠慮しきれていないフォルカの疑問に、ノーマが苦笑する。
尻尾をくねらせて、少し間を取り、頷いた。ニギンとメアリの髪を、軽く撫でる。
「良いんだよ。元々は、
並ぶ石に視線を落とし、ノーマは続けた。ニギンとメアリに、伝えなければならないことだった。
「本人の遺言がなければ、その土地のやり方で弔う。で、酒でも掛けながらこう言ってやるのさ」
家族同然だった一座を失った少年と少女は、別れに疼く感情を飲み込もうと、ノーマの声に耳を傾ける。ニギンが、メアリの手をぎゅっと握った。
ノーマは哀惜を諧謔に含めて、声を張った。
「『おまえさん、想像もしないような葬式をするところまで、よく歩いてきたな』」
「……ふふ。素敵な送り方ですね」
「土地の人間からしたら、よそ者が妙なことを、ってハナシだけどな」
「文化を尊重する心は、通じるものですよ」
短い祈りを終えて、一行は石の広場を後にする。〈転がる羊〉劇団が世話になっていた村は、シュトゥと黒狼によってほとんど全員が殺されていた。助かったのはごく一部、運良く村を離れていた者や、地下に隠れてたまたま見つからなかった者だけ。いくつかの村がそうやって、【物語】に喰われていた。
だから、死者が眠るこの石の広場で悲しむものはむしろ少ない。
静かな広場を出て、少し山道を歩く。村に続く道へと出て、そこにマティアスとコーエン、護衛の騎士たちが待っていた。
それぞれ馬に乗り、山道を歩き出す。まだ馬に乗れないニギンとメアリは、それぞれノーマとフォルカが後ろから抱えてやっていた。
「別れの時間は、十分取れたかな」
「ああ。アンタたちにも感謝してる。弔いを一緒にさせてくれて」
「構わないとも。結局君たちにも手伝ってもらったわけだしね。……被害に遭った村はここで最後だ」
【物語】による一連の事件から、一週間が経っていた。貪食の獣の討伐から、【物語】は目撃されていない。
マティアスとコーエンは、避難から戻った人々と共に、まずコナドの街の状況を落ち着けることに奔走した。街に残った人々は領主の館で保護されていたし、外に避難した人々はコーエンをはじめとした騎士団が守りにつき、ほとんどが無事に生還できていた。
ノーマとフォルカは全ての力を使い果たした代償に、その一週間、ほとんどを寝込んで過ごした。ニギンとメアリは二人を甲斐甲斐しく看病し、忙しい伯爵や屋敷の使用人たちを手伝って走り回っていた。
二人の回復を待って、マティアスは領内の村を巡る行程に発った。目的は、弔いと今後の調整だ。数日を掛けて、領内を巡った。
「さて、コナドの街に戻るわけだが、君たちはこれからどうするのかな」
マティアスは少々面白そうな色を隠さずに、ノーマとフォルカに問う。
面倒くさいな、という感情をこちらも隠さずに目配せをしあって、譲り合いに負けたフォルカから口を開いた。
「私は、図書館に帰還します。報告もありますし、巡回司書は二名一組ですから」
改めて送った手紙により、この一週間のうちに図書館からは追加の司書が派遣されてきていた。入れ替わりに、大怪我を追ったアンドレアは図書館へ護送されている。
「それに……モンテ領の『終末抄』、中身を覚えているのは私だけです。早く写本を作らないとなりません」
「うむ。期待しているよ、フォルカくん」
シュトゥに奪われた『終末抄』は、戦闘の痕をどれだけ探しても見つからなかった。貪食の獣に喰われ、砂となったというのが、フォルカと司書たちの見立てだった。
貴重な神話が失われるのは、人類の損失だ。だが、内容が内容だけに写本は存在しない。司書で唯一内容を読んだフォルカが、その記憶から写本を作ることになっていた。今もマティアスと共に、少しずつ書き溜めているところだった。
「ノーマくんと、ニギンくん、メアリくんはどうするのかな」
「俺らは……」
水を向けられたノーマは、少し考える素振りをする。
その呼吸に言葉を差しはさんだのは、一領地を支配する貴族の交渉術であったか。
「コナドの街にも劇団があってね。英雄であり名優である君を迎え入れられるのなら、光栄なのだが」
英雄という表現は、決して大袈裟なものではない。
あの夜、貪食の獣を見た者は、例外なく絶望に囚われていた。立ち向かう気概を保ったのは僅かだけ。その僅かにも、戦う術はなかった。
ノーマは、コナドの街の住民全員の英雄だった。そして、もしかしたら世界の。
「は。英雄なんて、舞台の上だけで十分さ。主役はフォルカの方だしな」
当のノーマは尻尾をくねらせて、鼻で笑ってみせる。
そして、軽くニギンの肩を叩いた。
「っ」
「伯爵閣下直々のお誘い、光栄です。ですが、ちょいと先約がありまして」
「ほほう。モンテ領を支配する強大な貴族の誘いよりも大切な?」
「失礼ながら、仰る通りで」
マティアスが口ひげを撫で、ノーマが応じる。いずれも笑みを含んだ声は、コーエンですら溜息をつくほどの大根芝居だ。
その中心で、ニギンが唇を開き、閉じて、息を吸う。ノーマが背を押すように、囁いた。
「『おお運命よ、運命よ、みなが汝を浮気者だという』。……男を見せろよ」
「うん。……フォルカさん!」
ぐっと身を乗り出して、ニギンが声をかけたのは、フォルカだった。成り行きを見守っていたフォルカは、思わぬところで名を呼ばれて咄嗟に反応できない。きょとんと、眼鏡の奥で、瞳を丸くした。
「は、はいっ! なんでしょう……?」
「僕を……、僕を、図書館に連れていってください。……司書に、なりたいんです!」
ニギンの顔は真っ赤で、緊張した様子で拳を握り締めている。
言葉が放たれて、数秒。馬の足音だけがしばし山道に響く。
フォルカは、ゆっくりと頷いた。その表情に笑みはない。
「わかりました。お連れすることも、司書のことを色々教えることも、できるでしょう。ですが、紹介や推薦はできません。司書の試験は完全な実力勝負で、……誰もが突破できるわけではない、難関です」
それでも良いのか、と、ことさらに硬い調子でニギンへ答える。不器用な優しさに、ノーマの頬が緩みかけて、流石に自重し空を見上げた。
ニギンはまだ赤い頬に決意を忍ばせて、頷く。
「はい。それでも、なりたい……なります」
「ちょっと、フォルカ! ニギンがなるって言ってるんだから、応援しなさいよ!」
「め、メアリ」
「……ふふっ」
少年の決意と、少女の応援に、フォルカが微笑む。メアリの髪に手を伸ばしてそっと撫で……嫌がられてやめて……頷いた。
「応援しますよ、もちろん。ニギンさんが後輩になったら、凄く頼もしいですし」
ニギンの表情が、ぱっと明るくなる。握り締めた拳の理由は、先ほどとは違うだろう。
「……そういうわけで。そもそも、俺はまだ役者として未熟なんでね。もう少し、色々見て回りますよ」
「ね、ね、図書館の傍には街はあるの? 私、役者になりたいけど、服を繕う針子にもなりたいの」
「そうか……。うむ。若者の挑戦を見守るのも大人の役目、ここは素直に見送ろうではないか。だが、……ヘルツェル家は、君たちへの恩を忘れることはない。いつでも来訪を待っているよ」
「は。大袈裟だよ」
「司書の務めを果たしただけです」
「ああ、ただ、路銀はちょいと融通してもらえたら……」
「ノーマさん!?」
伯爵の演劇趣味にどこまでも乗らない二人と、彼らの笑い声を乗せて、馬は進む。
やがて森を抜け、盆地に建てられたコナドの街が見えた。
立派な市壁は穴だらけで、門も破られ、一角は白い砂と化した街。
だが、既に復興は始まっていた。人が歩き回り、街は生きていた。
陽光に照らされたその眩しさに、フォルカが眼鏡の奥で、目を細める。
守れたもの、守れなかったものに、しばし想いを馳せた。
「行こうぜ、フォルカ」
「……はい!」
司書フォルカによる、世界の終末に関する一考察 橙山 カカオ @chocola1828
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