技能職メンバーの軽率な追放に起因する、とある出来事

冴吹稔

第1話 丸のみ・壁尻・肉壁同化

 ――しまった、失敗した。

 

 宝箱の罠解除にしくじり、何かの罠を発動させてしまった瞬間。グラフは胸中でそう叫んだ。

 

 単に罠の解除だけの話ではない。厳しい方をするなら、これまでの冒険の過程全てで積み上げてきた過ちがここで噴き出した、と言えるのだ。

 王国を支えるテモナス教団の神官たちから依頼を受けて、辺境の山村アスパにはびこるという邪神教を調査に来た。それ自体はいい。

 

 だが、グラフたちには経験が足りていなかった。単に剣の技量や使える術の位階とか、それだけの話ではなく。物事の裏の裏、隠され秘された事情や情報に思いを至らせ吟味の手を伸ばす、そうした世知が必要だったのだ。

 だのに愚かにも――彼は王都に来る前の冒険で仲間に入れた、壮年の斥候をちょっとした行き違いから追放してしまっていた。今回失敗した罠解除にしてもその斥候、ウォルフガングがパーティーにとどまっていたならば、何の問題もなくクリアできていたはずだ。 

 

 おまけに斥候を外した結果、グラフたちが手に入れ損ねた情報が二つある。一つは、テモナス教団が邪神と称するものが、王国の歴史が始まるよりはるか昔からこの地に住まう、比類ない力で信徒に庇護を与える強壮なる存在であること。

 

 神自体の正邪は定かならずとも、アスパの住民である信徒たちは、その神に守られて牧歌的で穏やか健やかな暮らしを享受する、ごくごく善良な人々であったのだ。それを知った時、グラフたちはひどく拍子抜けする感覚に襲われた。

 

 そしてもう一つは――

 


        * * *

        

 

「う、ううん……」


 グラフが目を覚ますと、そこはどことも知れぬ闇の中であるらしかった。何も見えず、耳に自分の鼓動の音だけがやたらと大きく響く。どうやらここは、先ほどパーティー三人が進んでいた山の洞窟内部ではないらしい。

 

(どこだ、ここは……まさかうわさに聞く、テレポーターの罠にでも引っかかったのか……!?)


 発動した瞬間に周囲の空間をゆがめて、どこか遠い場所と無作為ランダムにつなげてその場にいた者、あった物を移動させてしまう、厄介で恐ろしい罠だ。最悪の場合は岩壁の中に出現させられてそれっきり――物質が同じ場所に重複することで爆発を起こすとも、岩の中に生きたまま閉じ込められて身動きとれぬまま餓え乾いて死ぬともいわれるが、定かではなく。

 

「くそ……ステラ! メルキナ! 無事か……!? 近くにいたら返事をしてくれ!!」


 パーティーの残る二人を、声を上げて叫ぶ。叫べるだけまだ随分マシな状況らしい、と安堵するが、同時に厄介なことにも気づいた。真っ暗なこの場所はおそらくひどく狭くて、グラフの声はまるきり反響を生じないのだ。そして、体が何かに埋め込まれたように自由が利かない。手足の感覚はあるが、皮膚に何か触れている、というわけでもないのだった。

 

 ――ぐ、グラフ……!

 

 パーティーの火力担当、魔法使いソーサラーのステラがか細い声で彼に応えた。その声はどこかくぐもって奇妙に響いた。

  

 ――良かった、あなたも生きてるみたいね……私、なんだかおかしいの。顔が何かに半分埋まってて……上手く声が出せない。

 

「ステラ! どこなんだ? 君の声が随分下の方から聞こえるんだ……メルキナ。メルキナ! 頼む、聴こえていたら明かりを……! ここは暗くて何も見えない……!!」


「今つけるわ」


 すぐ隣から声がした。パーティの治癒及び加護担当、神官プリーステスのメルキナが「灯火ホーリィ・ランタン」の奇蹟を行使する。彼女の指先に灯ったはずの白い明かりは、しかし奇妙なことに頭上三タラット――おおよそ普通の平屋建て家屋の屋根ほどの高さに灯った。

 

「なっ……これは一体……!」


 どうにか物が見える明るさになって、グラフは隣にあるメルキナの顔と、頭上に灯る明かりを見比べた――メルキナの手は確かに、その明かりの場所にある。

 

 しかし彼女の顔は、グラフのすぐ横。

 

「メルキナ! 君の体、どうなってるんだ!?」


 答えは聞くまでもなかった。見たままなのだ。メルキナの手と顔はそれぞれべつの場所から。かすかにひくひくと蠢動を続ける、口内粘膜めいて赤みを帯びた肉色の壁から。

 

 そうして、下方へ目を移したグラフはさらに驚くべきものを見た。鎧をつけ剣を佩いた自身の下半身が、肉壁から生えていた。足先を明後日の方向へだらしなく伸ばしている。驚いて、その下半身は空中の何もない場所をすかすかと蹴った。

 

 ――ちょっとグラフ! むやみに動かないで! 私の顔に、変なものがあたってる…

 

 …下半身の陰から、ステラの声が今度はいくらかはっきりと響いた。

 

 

 アスパの裏山に住まう邪神とは、肉で出来た洞窟そのもののような、何かである――斥候ヴォルフガングがいたとしても、どこまで正確に拾えたか分からないが――彼らが掴み損ねた今一つの情報とは、それであった。

 

 

        * * *

        

        

〈ああ、うるせえ……久方ぶりに気持ちよく眠ってたのに〉


 三人の頭の中に、直に声が響いた。

 

〈あーあー……テレポーターに引っかかったのか。すまんな。あれは俺が仕掛けたわけじゃなくてな。以前ここに勘違いして入り込んだ、魔術師の作品なんだが……なんせこの身体だ。自分で片づけに行くわけにもいかなくてな〉


「……邪神!?」


〈人聞きの悪いことを言うなよ……これでも俺はもともとは人間だったんだ。何の因果か、こんな異世界の洞窟の中に貼りついて生きるなんかに転生しちまったがな……お前ら、巫女のアスリンから警告を聞かなかったのか?〉


「……あ、アスリンってあの……なんか薬で酔わされてるみたいなぼんやりとした女の子?」


〈それは言うてやるなよ。昔、『教団』がまだここいらの原始宗教だったころに俺への生贄ってことで穴に投げ込まれて、溶けかけたところを寄せ集めの材料でどうにか治してやった子なんだ……残念なことに当時はまだ、俺も色々とへたくそでなあ〉


 常軌を逸した物語の片鱗。グラフはそれを聞いて、これが確かに問題の邪神であると確信した。そして、それが人の言葉を解しながらも、全く人知の及ばぬ存在であることも。

 

〈さあて、どうすっかねえ、こりゃあ……お前さん方、そのままだと俺に養分として吸収されて、意識も体も残らなくなっちまうぞ。さすがにそりゃあ嫌だろ?〉


「は、はい。どうか助けてください……! もうこの村には関わりません、教団から何か言って来たら逃げます!」


〈いい子だ。良し、ちょいと面戸くせえ作業になるが、何とか元に戻して地上に帰してやるよ……その間、ちょっと寝てな。人間の心には刺激がキツ過ぎるからな〉


 肉壁から何かが滲み込んでくる感じと共に、グラフの意識は途切れた。そのまま目覚めないのではないか、消されてしまうのではないかという恐怖で震えたが、その時にはすでに声を出す力さえ奪われていた。

 

 

 数日後。グラフたち三人は、アスパへ続く街道から、少し入った脇道の路傍で目を覚ました。無事を喜び合ったが、ステラがおかしなことに気付いた。

 

「ねえ、グラフの眼……その色、あたしの眼だったんじゃ?」


 言われてみれば、彼女の右目にはグラフのものだったはずの、とび色の瞳が収まっていた。そして――

 

「ねえ、グラフ。この子誰だろ……」


 草の上に尻をついて座り込むメルキナの腕の中には。あどけない顔ですやすやと眠る7歳ばかりの男の子の、一糸まとわぬ姿が抱かれていたのだ。

 

「よう、起きたか。ん、これか? なんか妙に部品が余ったんで、俺用の体を一個作ってみた。足りない分は俺の肉でできてるが、まあ人間で通用するだろ。すまんが街まで連れてってくれ……下界がどうなってるか、ちょっと見ておきたいんでな」


 目をぱちりと開けた男の子は、聞き覚えのある声でそんなことをしゃべりだした―― 

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