第16話 エピローグ

 あの日から二週間が過ぎた。

 次に俺が目を覚ましたのは翌日、病院のベッドの上だった。

 どうやら、近隣住民の通報により、俺が意識を失ってから数時間で天国の扉集団自殺事件は発覚したらしい。犠牲者は合計二百三十五人。教団にいた者は天子を除き全員死亡。うち三十人は未成年の子どもだった。教祖である天子の死体は未だ見つかっておらず、重要参考人として警察が行方を追っている。

 現在のワイドショーやニュース番組はこの事件で持ちきりだ。そりゃそうだ。平和な日本で発生した二百人以上の集団自殺。世界的に見ても、ここまでの人数が一斉に命を絶ったという事例は数件しかない。タブーと言われた宗教ネタだが、見逃せる限度を超えているだろう。恐らく、数か月はこのお祭り騒ぎが続くだろうな。

 そして、唯一の生還者である俺のことも──既にマスコミに報道されていた。生き残ったのは偶然、潜入取材をしていた雑誌記者。これ以上においしいネタもないだろう。今は関係者以外の面会は拒絶しているが、そのうち俺にも取材陣が押し寄せることになる。皮肉な話だ。今まで俺は追う側の立場だったのに、追われる側になってしまうとは。


「おぉ、藤木。もう元気そうだな」


「えぇ。怪我自体は軽傷ですから」


 編集長はここしばらく、毎日見舞いに来ている。

 一応、俺に潜入取材を命じたのは彼だからな。多少の責任は感じているか。だが、それも──あいつの言葉を借りるなら、定められた因果というやつだったのだろう。


「どうだ。退院はできそうか」


「医者の話だと、あと一週間もあれば完治するそうですよ。まあ、体調自体はもうとっくに戻ってますけど」


「そ、そうか。無理はするなよ」


 いつもは偉そうにしている編集長が、この病室に来るとやけに物腰が低くなる。安心してくれよ。あんたを訴えるなんて真似はしないから。


「昨日、奥さんと娘さんが見舞いに来たんだってな。どうだった?」


「“元奥さん”ですよ。別に、感動的な再会ってわけでもありませんでした。ただ、もうこれ以上危ないことはしないでくれって泣かれましたけど」


「お、おう……そうか……」


 この事件を機に、離婚した妻とはたびたび連絡をとるようになった。とは言っても、そこまで関係性が変わったわけじゃない。彼女も俺も、再婚する気はさらさらない。あくまでこれはただ友人としての付き合いだ。それ以上に望むものはない。

 だが、数年振りに、歩けるようになった娘と再会した時は──年甲斐もなく、泣いてしまった。これから先も、しばらくは顔を合わせるのを許してくれるそうだ。これが俺にとって、一番の収穫だったかもしれない。


「で、編集長。例の件はどうなりましたか」


「あぁ、問題ない。ちゃんと枠は取れたぞ。上層部も、今回の事件は大きなチャンスだと思っているらしい」


「そうですか。そりゃよかった」


 ノートパソコンでタイピングを続けながら、俺は笑みを浮かべる。

 俺はあの事件の真相をまだ誰にも話していない。警察の事情聴取にも、信者の自殺現場を目撃し、逃走する天子を見たとしか語っていない。メモの件や彁混神を知っているのは──俺と、高橋だけだ。彼にも口止めはしている。信頼できる男だ。決して外に情報を漏らすことはないだろう。

 なぜ、事実を誰にも告げないのか。そんなことは決まっている。一体、誰がこんな突拍子もない話を信じるというのか。 凄惨な現場を目撃して、頭がおかしくなったと思われるだけだ。

 だが、俺もこのままあの日の記憶を墓場まで持って行くつもりはない。公表するには──時と場を選ぶ必要がある。


 そこで、ある作戦を考えた。どうすれば最も効率的に、この事実に真実性を持たせることができるのかと。それは世間の関心が最も高まっている時期に、全国規模で一斉に情報を公開するという方法だった。

つまり──俺が本を出版すればいいわけだ。あの日、何が起きたのか。目撃した全てを書き起こした記録を発表する。勿論、事前に内容は伏せておく。これで余計な情報が錯綜することなく、俺の体験をそのまま伝えることができる。

 しかし、内容が内容だからな。原稿を編集長に見せたら、計画自体が中止になる可能がある。その時は素直に別の出版社を探すか、最悪ネットで公開すればいい。今のご時世、発表する場はいくらでもある。


 天子は最後に、俺は記述者だと言った。この事件の記録を残し、世間に発表する。最初からあいつはそれが目的で、俺を招いたのだろう。あの女は──彁混神と共に、新しい神話を後世に残そうとしているのだ。このまま俺が本の内容を公表すれば、天子の狙い通りになる。果たして、それでいいのだろうかと、今でも悩んでいるのは事実だ。だが──それ以上に、あの彁混神を野放しにしておくのは危険すぎる。

 今なら分かる。彁混神はこの世の者ではない。通常の生命と違って、あいつは死の渦から産まれてきた怪物、化け物だ。このままでは彁混神は死を撒き散らし、大勢の犠牲が出ることになるだろう。いや、既に手遅れかもしれない。

 だからこそ、一刻も早く、この状況を公表する必要があるのだ。邪神が存在するなら、善の神も存在するはず。大半の民衆には悲惨な事件を目の当たりにして狂ったと思うだろう。だが、世界中の誰かひとりには事の重大さが伝わるかもしれない。俺にできる仕事は──その者に、全てを託すことだ。あの女の好き勝手にさせてたまるか。俺を殺さなかったことを後悔させてやる。


「それで、タイトルはもう決めているのか?」


「えぇ。それは最初から。タイトルは──」




『天国の扉』




《了》

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天国の扉 海凪 @uminagi14

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