第15話 扉

 相変わらず、憎たらしいほどの美貌だったが、もう騙されることはない。この女は人間の皮を被った悪魔だ。巧みに言葉を操り、二百人以上を死へと導いた扇動者。歴史に名を残す大罪人。


「お前がしたかったことは……これなのか……」


「これとは?」


「ふざけるな! 信者に集団自殺を命じたのはお前だろうが!」


 この状況でも白を切る天子に対して、俺は怒りをぶつける。


「あぁ。そっちのことですか。そうですね。正解でもあり、不正解でもある……とだけ、言っておきましょうか」


「はぁ……?」


「ふふっ。藤木さん。あなたはタイミングがいいです。やはり、全ては因果律によって定められていたのですね。あなたがここに来ることも、私の部屋でメモを盗み見ることも、そして、これから目撃することも──」


「な、何を……」


 その時、天子の背後に妙な物体が見えた。

 テーブルのような台座に、布に覆われた“何か”が蠢いている。まさか、あれが祭壇の正体か、


「お、おい。後ろに、誰かいるのか」


「さて、時間です」


 そう言うと、天子は布を剥ぎ取る。

 そこにいたのは──“妊婦”だった。手足を拘束され、身動きが取れない状態にされており、口元には猿轡(さるぐつわ)が巻かれている。


「ふふっ。大丈夫ですよ。恐れる必要はありません。あなたは依り代に選ばれたのですから」


「フーッ。フーッ」


 優しく、我が子に語りかける親のように、天子は妊婦の髪を撫でる。なんだ。この光景は。これから天子は何をしようとしているんだ。


「その人を……どうするつもりだ」


 答えを聞くのが恐ろしかったが、俺は天子に対して問いかける。


「ふふっ……決まってるじゃないですか。これから始めるんですよ」


「始める、だと」


「えぇ。“降誕祭”をね」


「ンンンンンンン‼」


 瞬間、妊婦の体が海老のように仰け反り、肥大化した腹が更に膨張する。

 ど、どうなっている。臨月だとしても、あそこまで膨れるのはあり得ない。何百匹の蟲が詰め込まれているかと疑うほどに、妊婦の腹は胎動を始めた。


「う、うまれ──ルッ」


 今、産まれる、と言ったのか。まさか、降誕祭の目的は──集団自殺じゃない。あの腹に入っている何かを産み落とす儀式を指す言葉だったのではないだろうか。


「あぁ、やっと……この時が来ました。今度こそ、成功です」


 天子は妊婦の前で天に腕を掲げる。

 そして、ついに──出産が始まった。


「ギャッ……」


 妊婦の金切り声と共に、彼女の腹は真っ二つに裂ける。

 腹から出てきたのは──大男のような筋肉質の太い腕だった。最初は片腕だったが、数秒後にもう片方の腕も出現し、そのまま妊婦の腹をまるで扉を開けるように外側に裂きながら、そいつはこの世界に降誕した。


「あ……あ……」


 常軌を逸した光景に、言葉を失う。全身に鳥肌が立ち、悪寒で震えが止まらない。

 妊婦の腹から現れたのは──全身を漆黒に染め、頭部が山羊の形をしており、腕が四本、背部には翼と尻尾が生えている巨体の奇妙な生物だった。いや、俺はこいつの名を知っている。そうか、こいつが──


彁混神かまかみ……」


 天子の目的は最初からこいつを呼び出すことだった。

 恐らく、天国の扉という宗教団体はこの怪物を呼び出すためだけに用意された贄だ。天子は十年もの歳月をかけて、神へ捧げる供物を育て上げた。

 教団の目的である天の国の扉は今、開かれた。


「あぁ……お父さま。よくぞおいでくださりました」


 忠誠を誓う家臣のように、天子は膝をつく。その姿を前にして、彁混神は──彼女の頭部を撫でるように触れた。


「……私の天命は遂げました。次は藤木さん。あなたの番です」


「──ッ⁉」


 天子の言葉に、心臓の鼓動が跳ね上がる。

 俺の番。俺もまた──贄ということか。ここで彁混神に殺される。

 逃れられない死。この短期間で数多くの死を目撃したせいか、俺の体は自然とそれを受け入れていた。全てを知った今、後悔は何もない。この光景を俺は心のどこかで望んでいた節さえある。我ながら、どうしようもない男だ。

 ゆっくりと、彁混神と天子は俺に近付いてくる。抵抗なんてしても無駄だというのは分かっている。俺は一歩も動くことはなく、残された時間でこれまでの人生を振り返っていた。

 そして、彁混神は俺の前に立つ。時間はあと何秒残されている。二秒か、三秒か。その太い腕で俺の胴体を貫くのか。頭蓋骨を嚙み砕くのか。内臓を毟り取ってボロクズのように捨てられるのか。様々に悲惨な結末が思い浮かぶ。

 刑の執行を待つ死刑囚のように、俺は目を瞑って闇の中で死と同化する時を待っていた。しかし──なぜだろうか。五秒。十秒経っても、俺はまだ生きている。彁混神はとっくに俺の前にいてもおかしくない。そして、二十秒が経過する。

 さすがに不自然だ。なぜ、俺はまだ生きている。ゆっくりと目を開けると──彁混神は俺の横を通り過ぎていた。


「……なっ」


 階段を上り始めている彁混神の隣には天子が補助をする形で体を支えていた。


「お、おい!」


 思わず、俺は叫び声を上げる。彁混神はその声に反応すらしなかったが、天子はこちらに振り向いた。


「な、なんで……なんで俺を殺さないんだよ!」


「殺す? 私が? なぜ、藤木さんを?」


「は、はぁっ⁉ 普通、殺すだろ! いいのか! 俺は全てを知っているんだぞ!」


「あぁ……ふふっ、どうやら……あなたは少し勘違いをしているようですね」


 天子は口元を掌で覆う。その時に見せた笑みはどこか、これまで見せた仮初の愛想笑いではなく、心の底から笑っているように見えた。


「藤木さん。あなたは最初から……今日の出来事を世間に公表するために呼ばれたんですよ。神話には記述者が必要、ということです」


「……記述者、だと」


「では、私はこれで。お仕事、頑張ってくださいね」


 俺は──記述者。最初から、天国の扉の最期を見届けるために用意された駒──


「うっ……ま、待て──」


 ここで、俺は意識を失った。

 その後、天子と彁混神はどこに消えたのか。それは誰にも分からない。

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