第14話 地獄
「あっ……あっ……」
その光景に圧倒され、腰が抜けて尻もちをつく。
死んでいる。全員。
腐敗臭や刺激臭とはまた違った匂いが教室内には充満している。これは──“死臭”だ。大量の人間の死の匂いが漂っているのだ。
傍には紙コップが並んでいる。まさか、これで毒を──っ。
「うっ⁉」
たちまち胃酸が込み上げ、俺はその場で嘔吐してしまった。
吐瀉物の匂いが死臭と交じり合い、鼻孔を塞ぎたくなるほどの悪臭が発生する。このままでは余計に吐き気が増す。四つん這いに近い態勢で、何とか教室を離れた。
「な、んだ……何が起こっている……」
呼吸が乱れる。正常な思考ができない。口内にはまだ酸味が広がっている。
一度、落ち着く必要がある。このままでは気が狂ってしまう。
「すー……はー……すー……はー……」
深呼吸を繰り返して、呼吸を整える。そのまま数分間、俺は比津地の死体の前で何とか平静を取り戻そうとしていた。
「はぁっ、はぁっ」
駄目だ。昨日から色々なことが起こり過ぎて、おかしくなる。まさか、俺はずっと夢を見ているのか。そうだ。これが現実であるわけがない。
夢なら──痛みはないはずだ。
「ぐっ⁉」
俺は目の前の壁に頭を打ち付ける。衝突の甲高い音と共に、額から血が零れ落ちた。
「……夢じゃ、ない」
そこにあったのは確かな“痛み”だった。これは紛れもない現実だ。頭に上っていた血が抜けたおかげか、多少は落ち着いてきた。
間違いない。今、この天使の故郷では一九七八年に発生した集団自殺と同じことが起こっている。そして、それを扇動したのは教祖である天子だ。この教団に所属している二百人以上の信者は──十二月二十四日の降誕祭で、全員服毒自殺をする予定だった。
「なんだよ……これは……」
何が天国の扉だ。こんな光景のどこに天国がある。これは紛れもない──地獄だ。そして、天子は何の罪もない人間を死に追いやった悪魔そのもの。あいつは一体、今どこにいる。あの女がそう簡単に信者と一緒にくたばるわけがない。きっと、あいつだけはまだ生きているはず──っ。その時、彼女の居場所の一つだけ心当たりがあることを思い出した。
「……そうか。あそこか」
あれは三日前の出来事、比津地に案内をされた際に、この施設内で唯一、普段から立ち入ることが許されていない場所があった。
集いの場の“祭壇”。そこに必ず、天子はいる。そんな予感がした。
「くっ……」
足腰に力を入れて、何とか立ち上がる。
予定変更だ。俺は集いの場である体育館に向けて、歩き出した。
あの祭壇と呼ばれる場所に、全ての答えがあるはず。俺はそれを──見届けなくてはならない。
「はぁっ……はぁっ……」
手すりを使って、何とか一階まで降りてきた。
頭部からはまだ絶え間なく出血が続いている。クソ、強く頭を打ち過ぎたな。傷が深い。
右手で頭を押さえながら、体育館に続く渡り廊下を目指す。その最中、通りかかった教室の窓からは──先程と同様に、信者たちが服毒自殺している光景が広がっていた。
「お、おい……誰か、生きてるやつはいないのか」
いつの間にか、俺は生存者を求めて、声を張り上げていた。しかし、返答は──ない。二百人近くが共同生活をしているとは思えないほど、校舎内は静寂に包まれていた。
「だ、誰か……いないのかよ……」
本当に全員死んでしまったのか。二百人だぞ。あれだけの人数が、一人の女の命令で、全員が死んだのか。頼む。一人だけでもいい。誰か、生存者はいないのか。
「……っ⁉」
生存者を探そうと左右を見回していた時、ある教室が目に入った。
「あ……あぁ……」
その光景を見た瞬間に、俺は嗚咽を漏らしてしまった。
こんな、こんなことが許されていいのか。あぁ、神よ。
涙が溢れ、全身が震える。
その教室は──学びの場として使用されていた場所。そう、そこには──身を寄り添うように、数十人の子どもたちが机にうつ伏せになって倒れていた。
「お、おい……おい……!」
俺は扉を開けて、一番前の子に語りかける。しかし、反応はない。その隣の子の肩も揺らすが、同じく既に事切れていた。
「あ、あぁっ……な、なんで……なんでだよ……」
この子たちが何をした。なぜ、この歳で死ななくてはいけない。
あまりに理不尽な光景に、怒りさえ覚える。まだ年端もいかない彼らは──なぜ、この集団自殺を共に遂げたのか。一体、ここの信者たちは何を信仰して、尊い命を捧げたんだ。
この先の祭壇という場所に──答えがあるのだろうか。
「……ぐっ」
涙と血を拭って、俺は立ち上がった。
あと、もう少しだ。もう少しで、その答えが分かる。
「……開いてる」
体育館に足を踏み入れると、あれだけ厳重に施錠されていた祭壇への扉が開かれているのが目に入った。やはり、天子はこの先にいる。
扉に近付くと、まるで地獄の入口のように、地下へと続く闇が広がっていた。ゆっくりと、足場を踏み外さないように、階段を下りる。そして、三十段ほど下ったところで──最下層へと辿り着いた。
周囲は薄暗く、光源は壁に数十本の蝋燭が立っているのみ。しかし、その闇の中でも“彼女”の姿だけは鮮明に見えていた。
「天、子……」
「ん? あぁ、藤木さん。もう起きたんですね」
くるりと、天子はこちらに向かって振り向き、笑みを見せた。
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