Run away
大隅 スミヲ
Run away
ぐちゃぐちゃ。
その音を聞いたら、すぐにその場から離れなさい。
そう父から教わっていたカヲルは、その音が聞こえたと同時に団地の階段を飛び跳ねるようにして降りてだした。
2段抜かし、3段抜かし、ポンポンとジャンプして階段を下りていく。
今いるのは何階だろう。
踊り場に書かれた階数表示をちらりと見る。
まだ4階だ。
『ちょっと、やめて。痛い、痛いってば』
『こら、離しなさい。あ、バカ噛むなっ!』
『ね、落ち着きましょう。そんな私を噛んだっておいしくはないから』
ぐちゃ、ぐちゃ。
ぐちゃ、ぐちゃ。
ぐちゃ、ぐちゃ。
カヲルは目を閉じ耳をふさぎたくなるのを我慢して、懸命に階段を降り続けた。
世界が変わってしまったのは3か月前のことだった。
なぞのウイルス、通称「デッドマン・ウイルス」が流行し、人々の生活は一変してしまった。このデッドマン・ウイルスに感染すると、人間は狂暴化し他の人に襲い掛かるという特性を持っていた。
現在、日本政府は国家非常事態宣言を発令し、不要不急の外出および不要な人との接触を禁じると発表している。
これは日本だけではなかった。世界で同時多発的にデッドマン・ウイルスの流行がはじまっていた。
カヲルは団地の8階に住む、ともだちの様子を見に来ていた。
4日前ぐらいから、ゲームアプリの通信が途絶えたのだ。
そのともだちは同じ小学校に通う子で、カヲルのゲーム仲間でもあった。
心配になったカヲルは、こっそりと家を抜け出して様子を見に来たのだ。
しかし、カヲルはそのともだちに会うことは出来ずに、来た道を引き返している。
7階まで来た時に、あの音が聞こえてきたのだ。
ぐちゃぐちゃ、と。
カヲルには人にはない特殊能力ともいえるものがあった。
それは人の心の声を聞くことができるというものだった。
しかも、それは聞こえるだけではなく、漫画の吹き出しのように空間に描写されるのだ。
もちろん、望んで手に入れた能力ではない。
物心ついたときから、その能力を身に着けていたのだ。
最初は自分以外もみんなそうなのだと思っていた。
しかし、そのことを父に話すと、父はカヲルの頭をなでながら優しい口調でいった。
「それは、カヲルだけに神様がくれた、特別な力なんだよ」
その日から、カヲルは吹き出しが見えても気にすることはなくなった。
『誰か、助けてっ。痛い、痛い……』
悲痛な叫び声がカヲルの目の前に吹き出しとして現れる。
カヲルはその吹き出しを無視して、階段を駆け下りていく。
「こらぁ、なめんじゃねえぞ」
カヲルが一階のエントランスに降り立った時、どこからか声が聞こえてきた。
それは吹き出しではなく、確かな声だった。
その方向へ顔を向けると、そこには金属バットを持った金髪のお兄さんが立っていた。
Tシャツの袖から出ている腕には何語だかわからない模様のようなものが描かれている。
お兄さんが手に持つ金属バットは血のようなもので赤く濡れていた。
「おい、ボウズ。お前は感染者か?」
お兄さんがカヲルに気づき、声を掛けて来た。
「ち、違います」
感染者はきちんと喋ることができなくなってしまう。そう聞いていたので、カヲルははっきりとした口調で答えた。
「そうか。ならいい。ここはもうダメだ。さっさと逃げな」
お兄さんはバットを肩に担ぐように持つと、暗がりの中へと消えていこうとした。
ぐちゃぐちゃ。
その時、カヲルには暗がりの中から吹き出しが出てきたのが見えた。
「そっちダメ」
「あ?」
カヲルに声を掛けられたお兄さんは、足を止めると暗がりを睨みつけた。
そして、金属バットを振り回しながら暗がりの中に突っ込んでいく。
「オラァ!」
鈍い音。
ぐちゃぐちゃという吹き出しが消えていく。
「助かったぜ、ボウズ。ありがとうな」
「カヲル。ぼくはボウズじゃなくて、カヲルだから」
「ああ、悪い悪い。カヲルな。助かった」
お兄さんはそういって、ニヤリと笑って見せた。
ぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃ。
帰り道、町のいたるところから、その音が聞こえ、見えていた。
もう、前みたいにみんなで学校に行ったりすることは出来ないのかな。
カヲルはそんなことを思いながら、自転車を漕ぐ足に力をこめた。
★ ☆ ★ ☆
【宣伝】
本作品は長編ホラー小説「終末のデッドマン」 https://kakuyomu.jp/works/16817139558108179871
のスピンオフ作品となります。
また主人公カヲルが活躍する短編「Speech Balloon」 https://kakuyomu.jp/works/16817330653305318764
もあります(こちらはホラーではありません)
もしよろしければ、ご一読いただけると嬉しいです。
Run away 大隅 スミヲ @smee
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